「住民は、いつ政治から降りるのか」
ucoでは主に取材を中心として記事をお届けしていますが、これから4回に渡って、「政治離れ」の本当の理由を考え、「市民が参加したくなる社会とはなにか」という問いをひとつの視点として論考をまとめるその第3回。
市民が変わる前に、制度は変われるか。
「市民の政治への関心を高めることが必要だ。」
選挙のたびに繰り返される言葉である。もちろん間違いではない。しかし、私はその言葉を聞くたびに、少し順番が違うのではないかと思う。市民が変わることを期待する前に、制度の側は変わる努力をしてきただろうか。
前回、「どうせ変わらない」という感覚は、参加しても成果が見えない経験の積み重ねから生まれるのではないかという話を書いた。もしそれが事実なら、必要なのは精神論ではない。「参加すると変わる」という経験を積み重ねられる制度である。
私たちは、民主主義を「投票する仕組み」だと思いがちである。
しかし、本来の民主主義は「参加する仕組み」である。
投票はその一部に過ぎない。地域の公園をどう使うか。公共施設をどう運営するか。子どもたちの学びをどう支えるか。税金をどこへ優先的に使うか。
本来、こうしたことも市民が関われるはずのテーマである。
ところが、日本では多くの場合、「決まったことを説明する場」はあっても、「一緒に決める場」は決して多くない。
大阪では絶大な人気が衰えない大阪維新の会は、身を切る改革として、議員削減を積み重ねてきた。その結果、議員1人当たりが代表する府民数はトップクラスとなっている。
この政策は、参加どころか、投票する仕組みとしての民主主義を軽視している。
当然、その先にある、府民が「参加する仕組み」としての民主主義には興味すらない。
その違いは、府民・市民にとって想像以上に大きい。
海外事例として:参加型予算
海外では、この課題に正面から向き合う自治体が増えている。
代表的なのが、ucoでも以前から取り上げている「参加型予算」である。
行政が使う予算の一部について、市民が提案し、議論し、優先順位を決める制度だ。「意見を聞く」のではない。「一緒に決める」のである。
1989年、ブラジル南部のポルトアレグレ市では、水道・道路・下水道が不足し、財政が厳しく、行政への不信感が強いという状況であった。そこで、市民が税金の使い道を直接決める仕組みとして参加型予算(Orçamento Participativo)が始まった。
「意見募集」ではなく、「予算決定への参加」。
ここが日本のパブリックコメントとの最も大きな違いである。
しかしさらに重要なのは、参加した人ほど次年度も参加しているという点であろう。
つまり、「参加したら本当に変わった」という成功体験が生まれたのである。
ブラジル・ポルトアレグレ市で始まったこの仕組みは、今では世界各地へ広がり、多くの都市で市民参加の柱となっている。
また、無作為に選ばれた市民が専門家の説明を受けながら議論を重ねる「市民会議(Citizens’ Assembly)」も注目されている。アイルランドでは憲法改正、フランスでは気候変動政策など、国家レベルの重要な課題にも活用されてきた。
共通しているのは、「参加が結果につながる」ことである。だから、人は時間をかけて議論する。
日本でも構築は可能なのか
日本という国で育ってきた民主主義。学校運営協議会では、地域住民や保護者が学校運営に意見を述べる仕組みが整えられている。
地域活動協議会や公民館運営委員会、市民センターの運営協議会など、市民が公共を支える制度も各地に存在する。
問題は、それらがどれだけ市民に知られ、実際に「参加して変わった」という実感につながっているかである。
制度はあっても、形だけでは意味がない。参加した人が、「来てよかった」「自分たちで決められた」と思えることが重要なのである。
制度は、人を変えていける可能性が残されている。
これは教育でも、企業でも、地域でも同じである。誰かの善意に期待する社会は長続きしない。しかし、善意が自然に生まれる仕組みは設計できる。
民主主義もまた同じではないだろうか。
「もっと参加してください」と呼びかける前に、「参加したくなる制度」を考える。それが、これからの民主主義に求められる発想なのだと思う。
次回は、このシリーズの締めくくりとして、「市民はどこから社会を取り戻せるのか」を考えてみたい。
<山口 達也>

