大阪のグランドデザインを考える第2話。
御堂筋をつくった市長だけでは見えてこないこと
大阪の都市計画の歴史を語るとき、必ず登場する人物がいる。
関一(せき・はじめ)。1923年から1935年まで大阪市長を務めた人物である。
関一といえば御堂筋である。大阪を南北に貫く幅44メートルの幹線道路を整備し、その地下に地下鉄を通した。現在の大阪の骨格をつくった市長として知られている。
しかし、関一を「御堂筋をつくった偉大な市長」として紹介するだけでは、彼が大阪という都市に何を求めていたのかは見えてこない。
関一の著作を調べると、道路や交通だけでなく、住宅、都市財政、市営事業、都市制度、社会政策までが研究対象となっていたことがわかる。
代表的な著作に『住宅問題と都市計画』(1923年)があり、没後には論考をまとめた『都市政策の理論と実際』(1936年)が刊行されている[1][2]。
都市計画を、道路や建物を配置する技術としてだけではなく、都市の経済と社会を運営する政策として考えていたのである。
では、関一は大阪をどのような都市にしようとしたのだろうか。
今回は、その政策思想を御堂筋、地下鉄、住宅政策、都市財政という四つの側面から検証していく。
関一は、もともと都市計画の技術者ではなかった
関一は1873年、静岡県に生まれた。
東京高等商業学校を卒業し、同校の教授となった。ベルギーへの留学経験を持ち、交通政策、工業政策、社会政策などを研究した経済学者であった。
1914年、大阪市助役に就任する。そして1923年に大阪市長となり、1935年に亡くなるまで市政を担った[1]。
ここで注目したいのは、関一が建築家でも土木技術者でもなかったことである。もちろん、都市計画には道路、橋梁、鉄道、上下水道、建築などの技術が必要である。しかし、関一が取り組んだ問題は、個々の施設をどう設計するかということにとどまらなかった。
都市に人口が集中すると、交通が混雑する。住宅が不足する。土地の価格が上がる。衛生環境が悪化する。行政には新しい公共施設を整備するための財源が必要になる。これらは別々の問題に見えて、実際には密接につながっている。
例えば、新しい鉄道を整備すれば、沿線の土地利用が変化する。住宅地の開発が進み、人口の分布も変わる。道路整備は物流や商業活動を支えるが、同時に土地の取得や移転の問題を生む。
関一が研究していたのは、こうした都市の仕組み全体であった。
『都市政策の理論と実際』の構成を見ると、その特徴がよくわかる。都市制度、都市計画、都市財政、市営事業、都市交通、都市社会政策。今日なら複数の行政部局に分かれている分野が、一つの都市政策論として扱われている[2]。
この構成そのものが、関一の都市政策を読み解く重要な手がかりとなる。ただし、これらの分野を論じたことと、実際の政策がすべて一体的に実施されたことは同じではない。その関係は、個々の事業史や市会議事録によって確かめる必要がある。
御堂筋は、なぜあれほど広く計画されたのか
ご存じない方は、現在の御堂筋は焼け野原となった戦後に作られたものだと思うかもしれない。そしてその道路幅員を特別に意識することは少ないだろう。
しかし、作られたのは約100年前の大阪。
幅44メートルの道路を市街地の中心に通すことは、極めて大きな決断であった。
当時の大阪は、商工業の発展によって交通需要が増大していた。既存の道路は狭く、都市の拡大に対応するための幹線道路が必要になっていた。御堂筋の整備は、こうした都市交通の問題に対応する事業であった。
ただし、御堂筋の計画を関一一人の発案として扱うことは正確ではない。関一が市長に就任する以前から、大阪市では都市改良や道路整備の構想が進められていた。関一は助役時代からその検討に関わり、市長として事業を推進したのである[3]。
御堂筋の整備は、個人の構想だけでなく、都市計画制度の成立、行政組織、技術者、市会、土地所有者など、多くの関係者によって実現した事業であった。では、なぜ幅44メートルもの道路が必要だったのか。
ここには、当面の交通混雑を解消するだけではなく、将来の都市の成長を見込んで都市基盤を整備するという発想があった。
道路は、一度市街地が形成されると、後から大幅に拡幅することが難しい。土地の取得には多額の費用がかかり、沿道の建物や生活にも影響する。だからこそ、将来の都市構造を見据えて、必要な空間をあらかじめ確保する。御堂筋の計画からは、そのような長期的な都市整備の考え方を読み取ることができる。
しかし、長期的に必要な事業であれば、どれだけ費用をかけてもよいということにはならない。その整備費用を誰が負担するのか。事業によって土地を失う人をどう扱うのか。完成後の利益を誰が受け取るのか。
御堂筋の整備には、こうした問題も伴っていた。
事実、大阪市古地図を巡る展覧会では、御堂筋の拡幅工事のために、半ば強制的に立ち退きになったご家族の末裔の方にお話を伺う機会があった。都市建設にはそうした光と影があるのもまた事実だ。
以下は有名な大阪市パノラマ地図(1923)だ。
大阪市パノラマ地図 = The mock painted picture of the great Osaka|所蔵地図データベース
この地図は公開されていて、かなり詳細までズームアップできる。
1923年当時のこの地図には、まだ現在の御堂筋はない。ここに44m道路を作るということがどれほどの大改造であったかということを感じることができるかもしれない。

地下鉄は、都市の骨格を変える事業だった
さて、1933年、大阪市営地下鉄の最初の区間である梅田―心斎橋間が開業した。大阪に地下鉄が誕生した瞬間である。地下鉄の整備は、御堂筋とともに関一市政を象徴する事業となった。
しかし、ここでも重要なのは、地下鉄という交通施設そのものではない。地下鉄の建設によって、都市の中で人々が移動できる範囲や時間が変わることである。
鉄道は都市の骨格をつくる。
駅の周辺には商業施設や業務施設が集まり、住宅地との関係も変わる。人々は、徒歩だけでは到達できなかった場所へ日常的に移動できるようになる。大阪の場合、地下鉄は既存の鉄道や市電などとともに都市交通網を構成することになった。
ただし、鉄道を整備すれば自動的に住みやすい都市になるわけではない。運賃を負担できるか。駅まで安全に移動できるか。鉄道を利用しにくい人々の交通手段は確保されるか。交通施設の存在と、その施設を市民が利用できることは別の問題である。関一の都市交通政策を現在から検証する場合も、建設された路線の規模だけでなく、交通サービスの利用条件を調べる必要がある。
また、当時は路面電車が市内中の走っており、現在の大阪のイメージとは随分異なると思われる。
この視点は、現在の大阪にもつながっている。
鉄道の延伸や新駅の整備は、都市の成長を支える可能性がある。
一方で、日常の移動を支えるバス路線や、駅から住宅地までの交通環境も重要である。都市の交通政策を評価するには、建設した施設の規模だけではなく、誰が、どこへ、どのような負担で移動できるようになったのかを確認しなければならない。
都市が成長しても、住宅問題は解決しない
関一の都市政策を理解する上で、住宅問題は欠かせない。
関一は1923年に『住宅問題と都市計画』を刊行している[4]。この著作が示しているのは、関一が住宅問題を都市政策の重要な研究対象としていたという事実である。当時の大阪では、工業化と人口集中によって住宅不足が深刻化していた。
働く場所が増えれば、人々が都市へ集まる。しかし、住宅の供給が追いつかなければ、家賃は上昇し、過密居住が発生する。経済が成長しても、その成長を支える人々の生活が改善されるとは限らないのである。
大阪市は関一の市長就任以前から、市営住宅の建設に取り組んでいた。1919年に始まった住宅供給事業は、貸付住宅や月賦住宅など、複数の方式へ展開していった。
福本佳世らの研究によれば、当時の市営住宅では、住宅の供給だけでなく、配置計画や住環境の整備、共同福祉事業なども検討されていた[5]。
住宅政策は、単に建物を建設するだけの政策ではなかったのである。
ただし、ここで注意すべきことがある。
大阪市が市営住宅を供給したことと、関一自身が住宅問題について何を主張したのかは、区別して考える必要がある。また、市営住宅の供給によって、当時の住宅不足がどの程度解消されたのかも別の問題である。
実際の供給戸数、対象となった世帯の所得階層、住宅不足の規模との関係を調べなければ、政策の効果は判断できない。さらに、住宅政策には、生活改善と同時に行政による住民の管理という側面があったことも研究で指摘されている[6]。
住宅を供給する政策は、誰に住む機会を保障するのかという問題と、誰を供給対象にするのかという選別の問題を同時に持っている。関一の住宅政策を検証する際には、住宅供給の理念だけでなく、実際に誰がその住宅を利用できたのかを確認する必要がある。この点は、今後の住宅政策編で詳しく取り上げたい。
都市計画には、財源というもう一つの問題がある
御堂筋や地下鉄のような大規模事業を実現するには、膨大な費用が必要になる。道路を計画することと、その道路を実際に建設することは違う。土地を取得し、建物の移転を調整し、工事を行い、完成後の施設を維持する。
都市計画は、財源の裏づけがなければ実現できない。関一の著作『都市政策の理論と実際』には、「都市財政論」「大阪都市計画十年財政の苦心」「受益者負担金制の現状と其改善諸策」などの論考が収録されている[2]。
関一が都市計画の実施と財政を密接に関係する問題として扱っていたことがわかる。特に注目したいのが、受益者負担という考え方である。道路などの都市施設が整備されると、周辺の土地の利便性が向上し、土地の価値が上昇する場合がある。
その利益を受ける土地所有者に、事業費の一部を負担してもらう。これが受益者負担制度の基本的な考え方である。都市整備の費用を、すべて一般の市民が負担するのではなく、事業によって特別な利益を受ける人にも負担を求めるという発想である。
ただし、受益者負担には難しい問題がある。誰がどの程度の利益を受けるのかを、どのように測定するのか。土地の価値が上がっても、所有者の手元に現金収入が生じるとは限らない。また、土地所有者と、その土地で商売をする借家人や借地人とでは、事業による利益や負担が異なる。
受益者負担という制度を評価するには、理念だけでなく、実際の負担の配分を検証しなければならない。ここには、現在の大阪の再開発にも通じる問題がある。公共投資によって土地の価値が上昇したとき、その利益はどこへ向かうのか。事業の費用は誰が負担し、完成後の利益は誰が受け取るのか。都市の成長によって生まれる利益を、都市全体の暮らしの改善へどう結びつけるのか。関一の都市財政論は、この問題を考えるための重要な歴史的手がかりとなる。
市営事業は、なぜ必要とされたのか
関一の都市政策には、もう一つ重要な論点がある。市営事業である。
『都市政策の理論と実際』には、「市営事業概論」「市営事業の本質」「市営事業の経営」「公益事業の公私共同経営」などの論考が収録されている[2]。
都市生活を支える交通や公益事業を、誰が運営するべきなのか。行政が直接運営するのか。民間企業に任せるのか。あるいは公的主体と民間が共同で運営するのか。関一は、こうした事業の経営主体についても検討していた。
ここで重要なのは、公共的なサービスを誰が所有するかという問題だけではない。そのサービスを誰が利用し、料金はどのように決められるのか。
そして事業の利益はどこへ配分されるのか。
赤字になっても維持しなければならないサービスを、誰が支えるのか。
都市の公益事業には、通常の商品やサービスとは異なる性格がある。
例えば、交通事業は採算性だけを基準にすれば、利用者の少ない地域へのサービスを維持することが難しくなる。一方で、すべての事業を行政が直接運営すれば、財政負担や経営効率の問題が生じる場合もある。
公共的な目的と経営上の合理性を、どのように両立させるのか。これは現在の都市政策でも繰り返し問われている問題である。
ただし、関一を現在の公営化論や民営化論のどちらかに単純に当てはめることは適切ではない。当時と現在とでは、その時代背景も文化も全く異なるからである。
関一が個々の事業について何を主張し、どのような条件で市営化や公私共同経営を支持したのかは、著作本文と当時の事業記録を照合して判断する必要がある。
重要なのは、都市の公益事業を単なる経営問題ではなく、都市政策の一部として考えていたことである。
関一の都市政策は、一人で生まれたものではない
ここまで関一の政策思想を見てきたが、関一を大阪の近代都市計画の唯一の創始者として扱うことには注意が必要である。
関一が助役となった1914年当時、大阪市長は池上四郎であった。
池上の時代には、すでに都市改良や社会事業、市営事業などの政策が進められていた。池上四郎の都市計画構想を研究した文献では、大阪市域の広域的な整備と、学区など身近な地域の行政運営との関係が論じられている[7]。また、関一の都市政策も、行政の技術者、市会議員、研究者、事業関係者など、多くの人々の活動によって具体化された。
御堂筋の整備も地下鉄の建設も、市長一人の意思だけで実現できる事業ではない。予算を編成し、議会で審議し、土地を取得し、設計し、工事を進める。そこには行政組織と専門技術、政治的な調整、地域社会との関係が存在する。都市の歴史を人物の功績だけで説明すると、こうした政策形成の仕組みが見えなくなる。
関一の思想を理解することは重要である。
しかし、それと同じくらい、関一の構想を実現した大阪市の制度や組織、そしてその過程に関わった人々を調べる必要がある。都市計画は、一人の優れた人物が描いた図面によって完成するものではない。さまざまな利害や制約の中で、長い時間をかけて形成される社会的な事業なのである。
関一の都市政策には、もう一つの側面がある
関一の都市政策を評価する際には、都市整備の成果だけでなく、その政策が置かれていた社会的背景も考えなければならない。
当時の大阪では、工業化によって労働者が集中し、貧困や住宅不足、労働問題などが顕在化していた。
1918年には米騒動が発生し、社会秩序の維持も行政の重要な課題となっていた。
関一の社会政策は、労働者の生活を改善するという側面を持つ一方で、階級間の対立を緩和し、社会の安定を維持するという考え方とも関係していた。
都市社会政策に関する研究では、こうした政策が労働力の維持や都市の統治と結びついていたことが指摘されている[6][8]。
ここで、関一の政策を単純に善悪で判断することは避けたい。
都市の衛生環境を改善すること、住宅を供給すること、交通を整備することは、市民生活にとって重要な意味を持つ。しかし、それらの政策が、住民自身の意思や権利をどのように扱っていたのかは、別の問題である。
行政が考える望ましい都市生活と、そこに暮らす人々が望む生活は、必ずしも一致しない。住環境を改善するという名目で、従来の生活や地域のつながりが変えられることもある。都市の近代化によって生まれる利益と、その過程で生じる負担を、誰が決めるのか。関一の都市政策を歴史的に検証することは、こうした問題を考えることでもある。
100年後の大阪は、何を受け継ぐべきなのか
関一が大阪市長を務めた時代から、約100年が経過した。
大阪の都市構造は大きく変わった。
地下鉄は広範なネットワークとなり、御堂筋は大阪の中心的な都市空間となった。都市の人口構成も産業構造も変化し、住宅政策や公共交通を取り巻く条件も異なっている。そのため、関一の政策をそのまま現在の大阪に当てはめることはできない。しかし、関一が扱った政策分野を振り返ると、現在にも通じる重要な問題が見えてくる。
都市計画と交通をどう結びつけるのか。
住宅を市場の商品としてだけでなく、都市生活の基盤としてどう位置づけるのか。公共投資によって生まれる利益と費用を、どのように配分するのか。
都市の公益事業を、誰がどのような条件で運営するのか。
そして、都市の将来を決める過程に、市民がどこまで関与できるのか。
これらは、現在の大阪でも検討し続ける必要がある問題である。
特に、都市整備によって生まれる利益と負担の関係は、今後の連載でも重視したい。再開発によって地価が上がることと、その地域に暮らす人々の生活が豊かになることは、同じではない。
交通施設が整備されることと、すべての人の移動が便利になることも、同じではない。
新しい住宅が供給されることと、住宅に困っている人が住めるようになることも、同じではない。
都市政策の成果を判断するには、事業の完成や経済効果だけでなく、その結果として誰の生活条件が変わったのかを確かめる必要がある。
都市の未来を考えるとは、何を配分するかを考えること
関一の都市政策を調べると、御堂筋や地下鉄という目に見える施設の背後に、都市財政、住宅、社会事業、市営事業という幅広い問題が存在していたことがわかる。
都市をつくることは、道路や建物を整備することだけではない。
限られた土地をどう使い、公共の財源を何に投じるのか。
誰が費用を負担し、誰が利益を受けるのか。
どのような生活を支える都市を目指すのか。
そうした選択の積み重ねが、都市の姿を決めていく。
100年前の大阪は、急速な人口増加と工業化の中で、その選択を迫られていた。
現在の大阪もまた、人口構造の変化、住宅市場の変動、都市インフラの老朽化、再開発など、多くの課題に直面している。
関一の時代から何を受け継ぎ、何を見直すべきなのか。
残念ながら、そういった視点を今の大阪府市の首長からは聴いたことがない。
都市のグランドデザインとは、将来の完成予想図を描くことではない。限られた資源を誰の暮らしのために使い、その決定に誰が関われるのかを考えることでもある。
関一の都市政策は、その問いを考えるための重要な出発点となるはずである。
次回は、関一の都市政策を支えた都市財政に焦点を当てる。
御堂筋の整備費用は、誰が負担したのか。都市整備によって生まれた利益は、どこへ向かったのか。受益者負担制度と都市計画財政の歴史から、都市の成長と公共の負担について考えたい。
参照文献・資料
関一の著作・一次資料
[1]関一『住宅問題と都市計画』弘文堂書房、1923年。
関一が住宅問題と都市計画の関係を論じた著作。国立国会図書館および大学図書館の所蔵書誌で刊行を確認できる。
[2]関一著、関博士論文集編集委員会編『都市政策の理論と実際――関一遺稿集』三省堂、1936年。
参照可能な復刊:都市問題研究会、1966年/神戸都市問題研究所・学陽書房、1988年。都市制度、都市計画、都市財政、市営事業、都市交通、都市社会政策などの論考を収録。
国立国会図書館:https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001552467
大阪市の都市計画・都市史
[3]大阪市史編纂所『新修大阪市史』第7巻。
「都市政策の展開」「大大阪の建設」「関一の都市政策」「大阪市財政」などの項目を収録。
大阪市立図書館:https://www.oml.city.osaka.lg.jp/page/1176.html
[4]大阪市・土木学会等の御堂筋整備史資料。
御堂筋の計画、道路幅員、事業費、受益者負担制度、整備過程に関する資料。
土木学会「御堂筋の解説シート」:
https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/391
住宅・社会政策に関する研究
[5]福本佳世・長瀬安弘・井爪康夫・穐山憲(2002)
「大正・昭和初期の大阪市における市営住宅に関する研究―貸付住宅・月賦住宅を対象として―」
『都市計画論文集』第37巻、pp.889–894。https://doi.org/10.11361/journalcpij.37.889
[6]永橋為介(1999)
「1920年代の大阪市の社会事業及び住宅政策の展開にみる『都市下層』社会への統治術の検証」
『都市計画論文集』第34巻、pp.571–576。
https://doi.org/10.11361/journalcpij.34.571
都市政策思想の研究
[7]『池上四郎の都市計画』京都大学学術出版会、2022年。
池上四郎の都市計画構想、社会政策、地域コミュニティなどを検討した研究書。https://www.kyoto-up.or.jp/books/9784814004317.html
[8]関一の都市社会政策に関する研究資料。
明治大学学術成果リポジトリ所収論文。関一の住宅政策、社会政策、労働者政策の歴史的背景を検討する資料。https://meiji.repo.nii.ac.jp/record/15118/files/tadokoro_2014_bun.pdf
調査上の注記
本稿は、公開されている歴史資料、学術研究、関一の著作の書誌・目次情報などをもとに構成したものである。
関一の著作については刊行情報と収録論考を確認しているが、原著の全文を通読・照合したものではない。そのため、関一の発言を直接引用した箇所は設けていない。また、御堂筋整備に伴う負担の配分、地下鉄の利用状況、市営住宅の供給効果などは、今後、事業記録や統計資料によって検証する課題である。
本稿にucoによる独自インタビューは含まれていない。
<山口 達也>

