「大阪の顔」という看板と実態の乖離
大阪府・大阪市は、観光PRや万博誘致の文脈で繰り返し「商店街は大阪の顔」と語ってきた。
黒門市場、千日前道具屋筋、新世界、天神橋筋など、映える一部の観光型商店街は、インバウンド戦略の主役として今も動員され続けている。
しかしこの「顔」という言葉は、住民の日常を支える膨大な地域密着型商店街の実態とは、ほぼ無関係に流通してきた。華やかな看板の裏で、助成制度そのものは削り込まれ続けてきたのがこの15年である。

平松市政までの前提(~2008年)
平松市政までは、府・市ともアーケード・街路灯など共同施設整備補助、イベント補助、空き店舗対策を並行運用しており、商店街は地域商業の基礎インフラと位置づけられていた。
商店街への助成は観光集客と生活防衛の両面を支えようと予算に組まれていた。
2008年 橋下徹知事就任 ― 府助成の実質消滅
転換点は明確だ。2008年6月、府は「財政再建プログラム案」を発表し、人件費345億円の削減のみならず、私学助成の大幅削減、高齢者・乳幼児・障害者・ひとり親の4医療費助成の削減、市町村補助金のカットを打ち出した。
反対署名は300万人を超えたが押し切られ、商業振興予算も圧縮、大阪市内商店街は府側から「既得権益」として切り離された。
この時点で府単独の経常補助は実質消滅する。当時府知事がカメラの前で「既得権益の打破」を連呼した一方、切られた側には発言の場すら与えられなかった点は記録しておくべきだろう。
2011年 橋下市長就任 ― 市助成の逓減と運用冷却
橋下氏は市長転身後、市政改革PT試案では3年間で548億円を削減し、104事業もの住民施策の切り捨てに着手 。商店街支援も補助率引下げと運用厳格化を受け、同一事業について、補助金を申請する場合は、初めて交付決定を受けた年度とその翌年度・翌々年度までの申請を対象という継続制限により、中長期の取組は事実上冷やされた。
「自立せよ」という論理は筋が通るように見えるが、高齢化と大型店・EC侵食のなかで助成だけが先に消えた商店街に、自立の時間的余裕など残されていなかった。
2015年以降 ― 「顔」と「日常」の完全分離
吉村・松井市政下、大阪市メニューは共同施設整備(ハード)、活性化支援(ソフト)、空き店舗活用再生事業の三本柱に整理された。
だが空き店舗事業は大阪市、大阪商工会議所及び大阪市商店会総連盟で構成する商店街再生事業実行委員会が主催したワークショップを通じて作成された事業プランに基づき空き店舗を活用する事業のみが対象で、入口が極端に狭い。
府側も令和5年度から「商店街店舗魅力向上支援事業」を始めたが、万博開幕やインバウンドの復活による国内外の旅行客を取り込み、商店街での観光・消費を促進するため、商店街に「観光」の視点を取り入れるためのポータル掲載・デジタルスタンプラリー等に偏り、事業費への現物補助ではない。
つまり、観光資源として使える部分だけを「大阪の顔」として磨き上げ、使えない部分は「自立せよ」と突き放す ― 15年かけて完成したのが、この二面性の構造である。
まとめ
2008年を境に、大阪の商店街政策は「底上げ型」から「選別・自立促し型」へ移り、2011年以降は「観光・成長戦略への紐付け」が強まった。
「大阪の顔」という言葉が観光商店街の化粧として機能する一方で、シャッター街化していく地域商店街に対する支援は、実額・運用の双方で削り込まれてきた。
この2面性のある方針と行政のあり方を支持者は「既得権益者は徹底的にカットする」「メリハリある行政」として歓迎した。
それなら商店街を「大阪の顔」とか「人情味のある大阪」という看板は取り下げてほしい。この2面性の言い換えに、いつまで大阪府市民は騙され続けるのだろう。
この行政の地域商店街への対応は、この15年で周到に築かれた制度的帰結であるという認識を共有したうえで、次回は東京都ほか他都市との比較の考察を行いたい。
<山口 達也>

