海は売られるようになった
前回までで考察してきたように、かつて、海は「売るもの」ではなかった。地域の中で使われ、支えられ、受け継がれるものだった。
しかし今、海は「利用される資源」として扱われ、制度のもとで再編されている。
それは、単なる変化ではない。海のあり方そのものが変わったということである。
制度が変えた
漁業法の改正は、漁業という営みのあり方を大きく変えた。
従来は、地域の中で調整されてきた海の利用が、制度によって整理され、外部からの参入も可能な形へと変わった。同時に、再エネ海域利用法などを通じて、海は「利用可能な空間」として位置づけられていくようになった。
その結果、海は市場の論理の中に組み込まれた。利益は、必ずしも地域に残るとは限らない。むしろ、外部へと流れていく構造が生まれている。
大阪湾の現実
では私たちの最も身近な「海」、大阪湾ではどうだろうか。
大阪湾は、都市に隣接した漁場として、多様な魚種を供給してきた。イワシ、シラス、アナゴ、スズキなど、近郊で消費される資源が存在している

しかし、現実は大きく変わっている。大阪湾の漁獲量は、1980年代の約10万トン規模から現在は2〜3万トン程度へと減少している。
一方で、担い手である漁業就業者は約1万人から2,000人規模へと減少し、漁獲量以上に急激に減少している。
食料を供給する力はある。にもかかわらず、それを担う人が消えつつある。
そして一度失われた担い手は、簡単には戻らない。


行政は何を支えているのか

では、この状況に対して、行政は何をしているのか。
大阪府の水産関連予算を見ると、その方向性は明確である。水産業振興に関する予算は年間およそ1,500万円規模にとどまり、その多くは資源管理や指導といった「管理」に充てられている。
一方で、約6,000万円規模の予算は、万博関連PRや魅力発信、企業とのマッチングなどに使われている。
海の魅力発信や活用促進には力が入れられているが、生産そのものを支えるしくみは見えてこない。
行政が支えているのは、生産そのものではない。食料は市場に委ねられているが、生産が支えられていない現実がある。
他地域で起きていること
他地域ではすでに、養殖の大規模化や企業による参入が進んでいる。
例えば、鹿児島ではブリ養殖において企業主導の大規模化が進み、また全国各地で陸上養殖には大手企業や異業種資本が参入している。
こうした動きは、水産業が「地域の生業」から「投資対象」へと変化していることを示している。
問題は、それが起きるかどうかではない。すでに他地域で起きている変化と、同じ制度のもとにあるという点にある。
食料は市場で買えるのか
私たちは日々、食料を「買うもの」という前提で生活している。
スーパーに行けば多くの商品が並び、コンビニでは、24時間いつでも手に入る。
しかしそれは、供給が維持されていることを前提としたしくみにすぎない。
もし流通が止まればどうなるのか。
もし供給そのものが細ればどうなるのか。
担い手がいなくなり、生産が支えられなくなったとき、その前提はあっけなく崩れる。
食料は、どんな時でも「市場で買えるもの」だろうか。

都市が自給するということ
食料は商品か、それとも生活基盤か。ここで問われるべきは、国や地方行政が食料をどのように位置づけるのかということにある。
市場で売買される商品なのか
社会として維持すべき基盤なのか
食料は、買えるかどうかではなく、確保できるかどうかで考えるべきものではないか。
都市が自給するとは、すべてを自ら生産することではない。少なくとも一部を自らで支え、供給の基盤を地域の中に持つことである。
それは効率の問題ではない。社会の持続性の問題である。
沿岸漁業や農業は、自然条件に左右され、工業製品のように効率だけで測ることはできない。
それでも、それらを「産業」として扱い、市場競争の中に置いたとき、何が起きるのか。農業でも同様だが、担い手は疲弊する。しかし疲弊するだけでなく、いなくなるのだ。
この問題は地方の問題ではない。むしろ最も影響を受けるのは都市である。
現在、都市は自ら食料を生産することをやめてしまっている。大阪の食料自給率は1%だ。ほぼすべての食料は外部からの供給によって成立している。
流通が止まれば、数日で棚は空になる。エネルギーが止まれば、輸送も保管も機能しない。
数少ない食料自給の担い手の一つが大阪湾だ。大阪湾は、自給の可能性を持っている。しかし現状は、生産ではなく、利用と市場化の方向へと進んでいる。
海は資産ではなく、社会の基盤である。
その基盤を守る意思がなければ、都市は、いずれ支えを失うことになる。
問われているのは、制度の是非だけではない。
何を守るのか。
何を支えるのか。
その選択にある。
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