―万博後に残すべきものは施設か、それとも評価のしくみか
1970年大阪万博は、「人類の進歩と調和」を掲げた。
高度経済成長期の日本にとって、未来とは技術であり、発展であり、その象徴は目に見える建築やインフラだった。
万博のレガシーもまた、鉄道や道路、会場跡地など、都市に残された「形あるもの」として語られることが多かった。
では、21世紀の巨大イベントは、何をレガシーとして残すことが求められるのだろうか。
万博を統括する国際博覧会協会(BIE)は、2017年の年報 Sustainable Innovation and Legacies in Expos of the 21st Century(21世紀の万博における持続可能なイノベーションとレガシー)で、「持続可能性」と「レガシー」を中心テーマとして掲げている。
その中では、万博の持続可能性について次のように記されている。
“The sustainability of a World Expo … encompasses enduring economic and social impact and its ability to instil new values and inspiration in visitors.”
(世界博覧会の持続可能性は、長期的な経済・社会への影響や、来場者に新たな価値観や学びをもたらす力まで含む。)
出典:BIE
Sustainable Innovation and Legacies in Expos of the 21st Century
ここで語られているのは、単なる環境負荷低減ではない。
社会に何を残すか。さらに言えば、社会が何を学び、どのような評価能力や知見を獲得したか。そこまで含めて、レガシーと捉える視点が広がっている。
レガシーとは建築物だけを意味するのか
巨大イベントのレガシーといえば、多くの場合、まず思い浮かぶのは建築物や交通インフラ、経済効果だろう。
しかし、21世紀以降、その意味は少しずつ変化している。

建築物やインフラが重要でなくなったわけではない。ただ、それだけでは十分ではなくなっている。
21世紀の巨大イベントでは、何を建てたか だけではなく、社会に何を残したか まで含めてレガシーが問われ始めている。
それを受け止めるのであれば、レガシーとは建築物のように物理的に残るものではなく、社会が評価し、学び、知見を蓄積する力も含まれると言えるかもしれない。
巨大イベントは何をレガシーとして残そうとしてきたのか
巨大イベントは、それぞれ異なる時代背景の中で、「未来」を描いてきた。
1970年大阪万博が示した未来は、「進歩」と「発展」だった。
では、その後の巨大イベントは何を残そうとしてきたのだろうか。

ミラノ万博は地域や社会に何を残そうとしたのか
2015年ミラノ万博では、「地球に食料を、生命にエネルギーを(Feeding the Planet, Energy for Life)」をテーマとした。そして持続可能性評価では、会場内だけでなく、地域全体や開催後まで含めた長期的視点が重視された。
SDGs万博市民アクションの評価書では、ミラノ万博について、
「地域(ロンバルディア州)の持続可能性を高める観点から評価が行われた」と整理している。
ここで重視されていたのは、会場や施設ではなく、地域や社会が持続可能性を考え続けるしくみだったとも言える。
そうであれば、レガシーとは建築物のように物理的に残るものではなく、地域や社会が評価し続ける力として捉えることもできる。
パリ五輪は、評価そのものをレガシーにしようとしていた
2024年パリオリンピック・パラリンピックでは、評価は単なる結果報告ではなく、知見を蓄積し、改善し、次へ継承するしくみとして位置づけられている。
パリ2024の評価戦略資料では、
“the assessment approach … is designed to be open, collective, collaborative and participatory.”
(評価アプローチは、公開され、共同的で、協働的かつ参加型であるよう設計されている。)
出典:The Legacy of the Paris 2024 Olympic and Paralympic Games
と記されている。
さらに、その目的について、
“…strengthen knowledge of the impacts produced, ultimately helping improve the actions taken…”
(影響についての知見を強化し、最終的には取り組みそのものの改善へつなげる。)
出典:OECD
The Legacy of the Paris 2024 Olympic and Paralympic Games
としている。
つまり、評価は結果報告ではなく、知見を蓄積し、改善し、次へ継承するしくみとして捉えられているようにも見える。

ここで重視されているのは、イベントそのものではなく、社会が評価し、知見を蓄積し、改善する力と読み替えることもできるかもしれない。
夢洲は何を未来へ残そうとしているのか
では、大阪・関西万博は何をレガシーとして残そうとしているのだろうか。
会場跡地。
IRを含む次期開発。
交通インフラ。
経済効果。
それらは確かに残るかもしれない。しかし、それだけだろうか。
巨大イベントを経て、環境評価は更新されたか。持続可能性を測る基準は広がったか。次のイベントや都市政策へ引き継がれる知見は生まれたのか。
もしそこが空白なら。レガシーは施設として残っても、社会に継承される知見は乏しいものになりはしないか。
巨大イベントは「学ぶ力」を育てる機会でもある
問われるのは、何を建てたかだけではない。
その都市が、学ぶ力を育み、新たな知見を獲得できたかどうか。
21世紀の巨大イベントは、施設だけでなく、社会が評価し学ぶ力まで含めてレガシーとして問われ始めている。
そうであるとすれば、巨大イベントは単なる消費の機会ではない。
都市が学ぶ力を育む機会とも考えられるのではないか。
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