住民は諦めたとき政治から降りる

大阪市地方自治の現在地進化する自治 vision50
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「住民は、いつ政治から降りるのか
ucoでは主に取材を中心として記事をお届けしていますが、これから4回に渡って、「政治離れ」の本当の理由を考え、「市民が参加したくなる社会とはなにか」という問いをひとつの視点をまとめる論考をまとめます。

「政治離れ」という言葉への違和感

「若者の政治離れ」。

選挙のたびに繰り返される言葉である。投票率は低い。自治会の加入率も下がる。行政が募集するパブリックコメントは思うように集まらず、地域活動の担い手も高齢化している。そのたびに、私たちは同じ結論を聞かされる。

「市民の政治への関心が薄れている。」

しかし、この説明だけで本当に十分なのだろうか。私は長い間、この言葉に違和感を覚えてきた。なぜなら、この説明では「政治に参加しない市民」が問題の中心になってしまうからである。

だが、少し視点を変えてみたい。

政治から離れたのは、本当に市民なのだろうか。あるいは、市民が政治から降りてしまうような社会をつくってきたのは、私たちの制度そのものではないのだろうか。

人は、生まれたときから無関心ではない。

子どもは「なぜ」と尋ねる。学校では学級会があり、自分の意見を言う。社会に出ても、職場や地域で「もっとこうした方がいい」と考える。誰もが最初は、自分の声が何かを変えられるかもしれないと思っている。ところが、その声が届かない経験を繰り返す。

意見を言っても結論は変わらない。

説明会は開催されたが、すでに方針は決まっているように感じる。パブリックコメントを書いても、その意見がどう扱われたのか分からない。地域活動に参加しても、担い手は増えず、同じ人だけが疲弊していく。一つひとつは小さな出来事である。しかし、それが十年、二十年と積み重なると、人は少しずつ学習する。

「言っても変わらない。」

そして、静かに参加をやめる。

「静か」という疲弊感

私は、この「静かに」というところが重要だと思っている。怒って政治から離れる人は少ない。失望して叫び続ける人も、それほど多くない。多くの人は、何も言わずに降りていく。

投票へ行かなくなる。
町会や自治会を退会する。
地域活動を断る。
説明会へ行かない。
議会を見なくなる。

誰かに反対しているわけではない。ただ、自分が参加する意味を見失ってしまうのである。それは「政治離れ」と呼ぶには、あまりにも静かな現象だ。私たちは、この現象を「無関心」という言葉で説明してきた。

だが、本当にそうだろうか。

例えば、災害が起きれば多くの人がボランティアに参加する。子どもの安全のためなら時間を割く。地域の祭りがなくなると聞けば、寂しいと感じる。物価が上がれば家計を心配し、教育や医療のニュースには怒り、SNSでは政治について議論もする。社会への関心は決して失われていない。

失われているのは、「参加すれば社会が変わる」という実感ではないだろうか。

ここには大きな違いがある。関心がないのではない。もう届かないと思っているのである。

民主主義は、投票制度があれば完成するものではない。市民が「参加する意味」を感じられて初めて動き始める。もし、参加しても何も変わらないと感じる人が増え続けるなら、民主主義は制度として残っていても、その中身は少しずつ空洞化していく。だから私は、投票率の数字そのものよりも、「なぜ人は参加をやめたのか」を考えたい。

それは市民の責任を問うためではない。社会の仕組みを問い直すためである。

政治は、市民がいるから成り立つ。

しかし、市民が「自分は必要とされていない」と感じ始めたとき、その民主主義はどこへ向かうのだろうか。この連載では、その問いを一つずつ考えていきたい。

次回は、「どうせ変わらない」という感覚はどこで生まれるのかを、政治学や心理学の知見も踏まえながら考えてみたい。

<山口 達也>

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