もう一度、ucoが提唱する「進化する自治」というテーマを深堀りしつつ問いかけようという連載を始めます。その第1回。
社会に不満があれば、誰かに言えばいい?
道路に穴が空いていたら、市役所に電話する。公園が汚れていれば、行政に苦情を入れる。学校で問題が起きれば、教育委員会に対応を求める。
どれも当たり前のことである。税金を払っているのだから、行政にはきちんと仕事をしてもらいたい。
しかし、少し考えてみたい。
私たちは、道路をどのように整備するのか、公園をどのような場所にするのか、学校をどのような教育の場にするのか、その決定にどれほど関わっているだろうか。
完成した道路を使い、整備された公園を利用し、決められた学校の仕組みのなかで暮らす。そして、不満があれば改善を要求する。まるで社会という巨大なサービスの「お客さん」になってしまったかのようである。
私たちは、社会を利用することには慣れている。しかし、社会をつくることには、あまり慣れていないのではないだろうか。
神戸女学院大学の内田樹名誉教授は、「現代人は消費者(お客さん)としては、小さい頃から消費者としての教育を受けてきているが、生産者側の教育は受けないまま、下手すると大学生でもアルバイトをしないまま。社会人としてデビューする」という消費者教育と生産者教育の不均等性を指摘していたが、まさに、社会をつくる、ということについて、その教育も経験もないまま、社会人として暮らしているように思う。
税金を払うことと、社会を決めること
例えば、近所の公園を考えてみよう。
子どもが遊べる場所を広く取るのか。高齢者が休めるベンチを増やすのか。木陰をつくるのか。ボール遊びができる空間を確保するのか。限られた敷地と予算のなかで、すべての希望を実現することは難しい。だからこそ、何を優先するのかという判断が必要になる。
行政が計画をつくり、住民は完成した公園を使う。それも一つの方法である。
しかし、実際に公園を使う人たちが、どんな場所にしたいのかを考え、意見を交わし、計画に関わることもできるはずだ。
そこには大きな違いがある。
私たちは、単に税金を払ってサービスを受けるだけの存在ではない。私たちのまちを、地域をどうしたいのか。そのサービスをどのようなものにするのか、決める権利を持つ市民でもあるのだ。
意見を聞いてもらうだけで十分なのか
もちろん、行政には住民の意見を聞く仕組みがある。説明会、アンケート、パブリックコメントなどである。しかし、行政がほぼ完成させた計画について意見を求められても、変えられる部分が限られていることがほとんどだ。
意見を提出しても、何が採用され、なぜ採用されなかったのかが十分にわからなければ、「どうせ言っても変わらない」という気持ちが残る。もちろん、だからといって、住民の意見をすべて採用すればよいわけではない。住民同士でも意見は異なる。大切なのは、計画が完成する前から住民が関わり、何を優先するのかを考え、行政が判断した理由を確かめられることである。
意見を聞いてもらうことと、決定に関わることは同じではない。この差異について、市民側はほとんど理解していないし、その差異をできれば気がつかないように運営しようとする行政の立ち位置も見え隠れする。
「住民が行政の仕事を肩代わりすること」ではない
住民が社会を支えるといっても、行政の仕事を無償で引き受けるという意味ではない。仕事や子育て、介護などで忙しい人に、地域活動まで義務のように求めるのは違う。行政の予算や人手が足りないから、住民に何とかしてもらう。それでは、行政の負担を住民に移しているだけである。
本当に必要なのは、住民が無理なく関われる仕組みである。
意見を伝える機会がある。必要な情報を知ることができる。異なる立場の人と話し合える。そして、決定の理由がわかる。そういった接点に対する仕組み化については、あまりに臆病な行政が多すぎる。
住民参加とは、単に地域の仕事を増やすことではない。自分たちの暮らしに関わることを、自分たちで考え、決められる範囲を広げることなのである。
社会は、誰かが完成させてくれるものではない
以前、大阪公立大学の宮本憲一名誉教授のセミナーを受けた際、「たまたま日本は戦争に巻き込まれることなく、戦後日本で復興を成し遂げた、たまたまラッキーなことに戦争に巻き込まれなかっただけである」という主旨の言葉を伺った。
私たちは、社会の仕組みを最初から決まっているものとして受け止めがちであるが、今ある枠組みの多くは、先人たちの努力の結晶によって守られてきたものなのである。
学校のルールも、公園の使い方も、道路のあり方も、誰かが決めて守ってきたものである。そして人間がつくった仕組みである以上、そのシステムで今後も進むというのは楽観的な幻想である。
もちろん、すべての課題を住民が直接決めることはできない。専門家の知識も、行政の責任も、議会の役割も必要である。しかし、それらに任せることと、市民が決定に関わる権利を手放すことは違う。
社会は、誰かが完成させて私たちに提供する商品ではない。
本来、そこで暮らす人たちが、少しずつつくり変えていくものである。
この連載で考えたい「進化する自治」とは、行政の仕事を住民が引き受けることで守っていくという話はない。
私たち自身が、暮らしのあり方を決める力を広げていくことである。近所の公園について、こんな疑問を持つことから始めてもよい。
「どうして、こう決まったのだろう」
「ほかの選択肢はなかったのだろうか」
「次は、決めるところから関われないだろうか」
私たちは、社会のお客さんである前に、この社会のつくり手なのである。
次回予告:第2回「便利になったはずの社会で、なぜ私たちは忙しいのか」
効率化で生まれた時間と利益は誰のものになるのか。セルフレジやAIを手がかりに、技術と私たちの暮らしを考える。
<山口 達也>

