AIと公務員と自治

コラム
この記事は約3分で読めます。

仕事が消える瞬間は、いつも静かだ

『母をたずねて三千里』第1話で描かれる、マルコの仕事喪失の場面を、私はときどき思い出す。ワイン瓶を洗うという、家計を支える大切な仕事が、産業革命によって機械に置き換えられる。
そこに悪者はいない。努力不足でもない。
ただ、社会の仕組みが変わっただけである。

この「静かに仕事が消える感じ」は、いま私たちが直面しているAI革命と、驚くほど似ていると感じる。

AIは行政の現場にも入り始めている

AIはすでに、自治体の現場に入り込んでいる。
文書作成、議事録、問い合わせ対応、制度照会、データ整理。
これまで人が時間をかけて担ってきた業務が、驚くほど簡単に自動化されつつある。

これは「効率化」という言葉で語られることが多い。しかし、その裏側で起きているのは、行政の現場から「仕事」が少しずつ剥ぎ取られていくプロセスである。

問題は、人がいらなくなることではない。
人が担ってきた役割の意味が、曖昧になっていくことである。

公務員の仕事は、本当に守られているのか

自治体職員は、社会の中で最も「安定した仕事」の象徴のように語られる。
確かに、雇用という意味ではそうかもしれない。
しかし、AI革命が揺さぶるのは雇用そのものよりも、「なぜその人がそこにいるのか」という理由である。

書類を正確に作ること。
ルールを解釈し、前例に沿って処理すること。
これらは長らく自治の現場を支えてきたが、AIはそこを正面から代替してくる。

残るのは、責任だけかもしれない。
判断のプロセスはAIが提示し、人は承認印を押す存在になる。
そのとき、自治とは本当に「人が担っている」と言えるのだろうか。

奪われるのは「仕事」ではなく「関係性」

ここで重要なのは、AIが奪うのは仕事そのものではなく、
「人と人のあいだにあった関係性」だという点である。

窓口での雑談。現場での微妙な空気。
住民の言葉にならない違和感。
そうしたものは、効率の名のもとに、長らく「無駄」とされてきた。
しかし、それこそが行政の核心だったのではないか。

マルコが失ったのも、単なる労働時間ではない。
家族を支えているという実感であり、社会の中での役割である。

行政は「制度」ではなく「行為」である

AI時代において、行政の機能を制度として守ろうとするだけでは足りない。
行政とは、本来「誰かが誰かの声を受け止める行為」そのものだったはずである。

行政か住民か、という二項対立も、もはや古い。
これから問われるのは、どこに判断があり、誰が責任を引き受け、誰と一緒に考えるのか、という関係のデザインである。

AIによって事務が軽くなるなら、その余白をどこに使うのか。
その問いに答えられない自治体は、空洞化していくだろう。

希望がないわけではない。
すでに各地で、小さな自治の再編は始まっている。

住民と職員が肩書きを外して話す場。
計画よりも対話を重視するまちづくり。
制度の外にある声を拾い上げる実践。

これらはAIには代替できない。
なぜなら、それは正解を出す行為ではなく、関係を編み直す行為だからである。

マルコの物語を、予告編で終わらせないために

マルコは、仕事を失ったあと、母を探す旅に出る。
だが私たちは、旅に出る前に考えることができる。
AI革命は、すでに始まっているからだ。

自治に関わるすべての人にとって、「自分の仕事は何か」を問い直す時代である。それは、奪われる恐怖から始まる問いかもしれない。しかしその先には、自治をもう一度、人の手に取り戻す可能性がある。

このまちは、誰のものなのか。
その問いを、AIに委ねずにいられるかどうか。
いま、その分岐点に私たちは立っている。

<山口 達也>

うこの活動をサポートしてください。

    【ucoサポートのお願い】
    ucoは、大阪の地域行政の課題やくらしの情報を発信し共有するコミュニティです。住民参加の行政でなく、住民の自治で地域を担い、住民の意思や意見が反映される「進化した自治」による行政とよって、大阪の現状をより良くしたいと願っています。 ucoは合同会社ですが、広告収入を一切受け取らず、特定の支援団体もありません。サポーターとなってucoの活動を支えてください。いただいたご支援は取材活動、情報発信のために大切に使わせていただきます。 またサポーターとしてucoといっしょに進化する自治を実現しませんか。<ucoをサポートしてくださいのページへ>

    シェアする
    タイトルとURLをコピーしました