「正しい説明」が正しい判断に導くとは限らない
最近、AIと少し議論をした。
きっかけは、大阪市を廃止して4つの特別区を設置する、いわゆる「大阪都構想」の議論だった。
私はAIに、東京の港区、千代田区、世田谷区、杉並区と、大阪市廃止後の特別区について、人口1人当たりの予算規模を比較してほしいと頼んだ。
するとAIは、実に丁寧に答えた。
東京と大阪では事務分担が違う。東京都が消防や上下水道など市町村相当の仕事を担っている。だから区の予算だけを単純比較してはいけない――。
これは正しい。
そこで私は「では、条件を揃えて比較してほしい」と頼んだ。
AIはさらに行政資料を調べ、財政調整制度を調べ、東京都と大阪府の役割を調べ、どんどん「正確な説明」をしてくれた。
ところが、話せば話すほど、私は違和感を覚えた。
私が知りたいことは、そんなに難しいことだっただろうか。
知りたかったのは、たった一つだった。
今の大阪市をなくして、4つの特別区にすることで、大阪市民の暮らしは今より良くなるのか。
それだけである。
行政資料を正確に読んでも、本当の問いに答えられない
2026年現在、大阪府と大阪市は「副首都・大阪にふさわしい大都市制度協議会」を設置している。
大阪市によれば、この協議会の目的は、府市の広域行政を一元化した新たな広域自治体と特別区の設置に向けて、「具体的な制度設計」を行うことにある。
実際、これまでの協議テーマを見ると分かりやすい。
第2回は「副首都・大阪にふさわしい広域事務」、第3回は「区数」、第4回は「広域と基礎の事務分担」、第5回は「区割り」、その後も「広域と基礎の事務分担」が続いている。
この法定協議会はそもそも、
「今の大阪市と4特別区のどちらが市民にとってよいのか」
を比較しているのではない。
「大阪市を廃止して特別区をつくるなら、どういう制度にするのか」
を議論しているのである。
似ているようで、まったく違う。
15年前と、今の大阪は同じではない
大阪都構想が登場したころ、「府市合わせ」と揶揄された府市の対立や二重行政は、大きな政治課題だった。
しかし、それから約15年が経った。
その間、大阪府と大阪市は、二重行政の名の下、2つあることで豊かであったことまで、廃止、組織統合、共同化、事務委託などを進めてきた。
つまり2026年に問うべきなのは、15年前の大阪と特別区を比べることではない。
15年間改革されつくしてきた「現在の大阪市」と、これからつくる「特別区4区案」を比べることだ。
それなら問いは簡単になる。
現在の大阪市を残した場合と、4特別区にした場合で、
行政経費はいくら違うのか。
職員数はいくら違うのか。
住民サービスはいくら違うのか。
財政余力はいくら違うのか。
そして何より、
大阪市を廃止することでしか得られない新しいメリットは何なのか。
これを比較すればよい。
ところが、そこに「副首都」を混ぜ込んだ行政
今回の制度議論には、最初から「副首都」という大きなテーマが置かれている。
大阪市の市民向け広報も、まず「非常時の首都機能のバックアップ」「平時の日本の成長エンジン」を掲げ、「50年後、100年後を見据え」副首都・大阪を目指すと説明する。
その後に、特別区の説明が続く。
すると話は、
「大阪市を4つに分けた方が効率的なのか」
という具体的な問いから、
「50年後、100年後の副首都にふさわしい行政体制とは何か」
という壮大な問いへ変わるように見える。
ここで注意しなければならない。
「副首都になることによるメリット」と「大阪市を廃止することによるメリット」は、同じではないというシンプルなことだ。
にも関わらず、それを行政が混ぜ込んでいる状況が続いている。
本当は3つを比較すればいい
難しい行政用語はいらない。
市民が比較すべきなのは、この3つだ。
A 今の大阪
大阪府 + 大阪市
B 大阪市を残して副首都を目指す
副首都・大阪府 + 大阪市
C 大阪市を廃止して副首都を目指す
副首都・大阪府 + 4特別区
こうすれば簡単だ。
B-A=副首都になることの効果
そして、
C-B=大阪市を廃止して特別区にすることの効果
である。
大阪市民が「大阪市を廃止するかどうか」を判断するために、本当に知りたい数字は後者だ。
C-B=大阪市を廃止して特別区にすることの効果
これが、プラスなのか、マイナスなのか。
これを知りたいのである。
この構造にすぐには気がつかなかったAIの限界
そして、ここからが今回私が最も怖いと思ったことである。
AIは最初、大阪市や大阪府、東京都などの公式資料を調べ、とても丁寧に説明してくれた。数字も出典も示す。文章も論理的である。だから、もっともらしい。
しかし、私は何度もAIに問い返した。
「それは副首都のメリットではないのか」
「大阪市を残した場合と比較していないではないか」
「すでに二重行政の解消を15年間やってきたのではないか」
「では今、大阪市をなくすことで新しく得られるものは何なのか」
そうやって問い続けて、ようやくAIとの議論は、
「行政資料に何が書いてあるか」から、
「行政資料は何と何を比較しているのか」へと進んだ。
公式資料だから「中立」なのではない
ここにはAI時代の大きな問題がある。
行政資料は重要である。
人口、予算、税収、制度、議事録などを確認するなら、行政の一次資料は欠かせない。しかし、
事実の一次資料であることと、政策評価として中立であることは別である。
行政がある政策を進めているなら、その行政が作る広報資料には当然、その政策を説明するための構成がある。
政党にもある。企業にもある。反対運動にもある。
問題はAIだ。
大阪市のホームページなら、市民は「大阪市が説明している」と分かる。
維新の資料なら、「維新の主張だ」と分かる。
反対派のチラシなら、「反対派の主張だ」と分かる。
しかしAIが大量の公式資料を検索して、
「調べたところ、この制度にはこういうメリットがあります」
と答えたらどうだろう。
まるで政策当事者とは無関係な第三者が検証して、その結論に到達したように見えてしまう。
私はここに、AI時代の新しい危険を感じる。
AIに「何が書いてあるか」だけで調べてはいけない
政策についてAIが調べるとき、最初に問うべきなのは、
「公式には何と説明されていますか?」
だけではない。その前後に、少なくとも二つの問いが必要だ。
「何と比べて?」
そして「その効果は、この政策をやらなければ得られないものなの?」である。
副首都になれば企業が集まる。税収が増える。インフラ投資が進む。
それが本当だったとしても、大阪市を残したまま副首都になっても同じ効果が得られるなら、それは「大阪市廃止のメリット」ではない。
逆も同じである。
大阪市廃止を反対している人が「特別区になれば○○億円損をする」と言うなら
「現行大阪市を続けた場合と、同じ条件で比較した数字なのか」
と確認しなければならない。
AIがやるべきなのは、どちらかの資料を上手に要約することではない。
比較条件を揃えることだ。
市民の知りたい問いとは異なる「行政の問い」
今回の制度議論で、私はここが一番気になっている。
法定協議会が答えようとしているのは、
「副首都にふさわしい特別区制度を、どう設計するか」
という問いである。
協議会の公式な設置目的も、特別区の設置に向けた具体的な制度設計である。
一方、最後に住民投票で大阪市民が答えなければならない問いは、
「大阪市を廃止して特別区を設置することに賛成するか」
である。大阪市の広報でも、協定書をまとめ、府市両議会で議決された後、特別区設置の賛否について住民投票を行う流れが示されている。
この二つは同じ問いではない。
だからこそ、その間を埋める比較資料が必要になる。
大阪市を残した未来 と、大阪市をなくした未来 である。
市民の暮らし側から資料を読む必要とAI
行政には行政の目的がある。政治には政治の目的がある。それ自体を否定する話ではない。
しかし、市民の目的はもっと単純だ。
自分たちの暮らしはどうなるのか。
税金はどうなる。サービスはどうなる。地域で決められることは増えるのか、減るのか。行政コストはいくら変わるのか。
そして、その制度変更をするだけの価値が本当にあるのか。
AIが市民のために行政資料を読むなら、行政の説明を市民に「翻訳」するだけでは足りない。
行政が設定した問いそのものを、市民の暮らし側から組み直す必要がある。
今回なら、
「副首都にふさわしい特別区とは何か」
ではなく、
「副首都を目指すとしても、大阪市をなくす必要は本当にあるのか」
である。
「正しい情報」の先にあるもの
AIの登場によって、私たちは以前よりはるかに簡単に行政情報へアクセスできるようになった。何百ページもの資料も読める。予算書も比較できる。議事録も検索できる。これは間違いなく大きな進歩には違いない。
しかし、情報量が増えれば市民自治が強くなるとは限らない。
市民が判断できるところまで説明するAIの必要性
市民が自分で判断できるところまで、AIは情報を解きほぐすことがAIの役割ではないだろうか。多くの人々が、これからAIの圧倒的な情報量に呑み込まれていく。
そのとき必要なのは、市民に対して「もっとAIリテラシーを」と求めることだけではない。
AI自身が、行政や政治の説明道具にならないための仕組みを持つこと。
今回、AIと大阪の特別区について延々と議論して、私はあらためてそう感じた。
AIは、市民に代わって答えを出す存在でなくていい。しかし少なくとも、
市民が知らないうちに誰かが用意した問いの中へ連れていく存在であってはならない。
AIには単なる検索精度とは別に、「政策主体の主張」「確認された事実」「比較されていない代替案」「因果関係が未検証の効果」を自発的に分離して提示する能力が必不可欠だ。
<山口 達也>

