大阪の政治を語るとき、多くの人は人物や政党から議論を始める。しかし本当に問うべきは、制度の設計である。なぜ大阪では「強い首長」が支持され続けるのか。なぜ対立構図が繰り返されるのか。その背景には、日本の選挙制度、とりわけ小選挙区制の影響が横たわっている。
そして定数削減の名の下、実質的な中選挙区制度から小選挙区制度に移行してきた。
この大阪の異様とも言える選挙制度について、3回に渡って再考してみたい。
小選挙区ロジックを利用した大阪
現在、衆議院は小選挙区制を中心に構成されている。一つの選挙区から一人だけが当選する仕組みである。二位以下はすべて落選となる。得票率が49%であっても、わずか1%差で敗れれば議席はゼロになる。勝者総取りの制度である。
この仕組みは何を生むか。
第一に、二極化である。
AかBか。与党か野党か。改革か既得権か。中間は可視化されにくい。多様な意見は切り捨てられ、単純な構図が残る。
第二に、「勝てる人」が優先される構造である。理念や政策よりも、知名度、組織力、対立軸の明確さが重視される。勝つためには、分かりやすく、強く、敵を設定できる人物が有利になる。
第三に、政治の物語化である。
小選挙区制では、一人の候補者が全てを背負う。ゆえに政治は「人物の物語」として語られる。制度や合意形成の過程は見えにくくなる。
この構造は、地方政治にも影響を及ぼしている。直接小選挙区制ではなくとも、政治文化は連動する。首長選挙は一対一の構図になりやすい。強いリーダー像が求められる。単純なメッセージが支持を集める。
大阪において、その象徴が大阪維新の会である。維新は、小選挙区的ロジックを最大限に活用した。敵を明確にし、改革を掲げ、首長を物語の中心に置いた。
これは偶然ではない。制度設計が、政治の振る舞いを規定しているのである。
小選挙区制は、効率を重視する制度である。意思決定は速い。責任の所在も明確である。しかし同時に、民意の厚みは圧縮される。多様性は削られる。熟議よりも動員が優先される。
建築で言えば、単一用途の建物である。機能は明確だが、複合的な暮らしには対応しにくい。
強い政治を求めていた大阪府市民
大阪はこの十数年、「強い改革」を求めてきた。それは停滞への反発であり、既得権への怒りであった。しかし、強さを求める政治文化は、小選挙区的構造と相性が良い。対立が物語を生み、物語が支持を集める。
だがここで問いたい。
強い政治とは何か。
壊す力か。
集める力か。
それとも、分ける力か。
改革は破壊から始まる。しかし成熟は分配から始まる。権限を集中させる段階を経た後、いずれそれをどう配分するかが問われる。
大阪は今、その転換点にある。
都構想が否決されたことは、単なる賛否の問題ではない。それは、強さの方向性に迷いが生じ、YESとはならず僅差でNOを突き付けた。集中か分散か。統合か多層化か。
小選挙区制的発想では、常に二択が提示される。しかし都市は本来、多層である。広域と生活圏は役割が異なる。経済戦略と福祉行政は同じ論理で動かない。
にもかかわらず、政治は一つの物語にまとめられる。
この単純化が、いまの大阪の停滞感を生んでいるのではないか。
単純化による停滞感の向こう側へ
制度は文化を生む。文化は期待を生む。そして期待が政治を規定する。
もし大阪が次の段階に進むなら、人物を変える前に、物語の構造を変える必要がある。対立ではなく、成果を軸にする。集中を軸にするのではなく、実装を軸にする。
小選挙区制の問題は、国政の話ではない。それは、私たちが「どのような強さを求めるのか」という問いに直結している。
大阪はまだ強さを求めている。ならば、より成熟した強さを提示できるかどうかである。
壊す強さから、動かす強さへ。
その第一歩は、制度を疑うことから始まるのである。
<山口 達也>

