社会課題の解決を自由な発想で考え、勉強会やシンポジウムでの質疑など、個人にできることを実践する市民さんより、先般の都構想に関するタウンミーティングについて、「【都構想タウンミーティング巡り】で見えた民主主義の危機」と題してレポートいただきました。貴重な現場の声として、ucoでは全4回の掲載を行います。本稿はその第3稿目。
響かない危機感、問いの転換
前回の中央区での質疑「原油高による開発工事費の増額の可能性」は、議員にも市民にも響きませんでした。
世界情勢に無関心なのか、未来を想像する力が足りないのか。
今度は「プロセスは適切か」に切り口を変えて質疑に臨みました。
大正区での一番最初の質問は「大阪はよくなったと思うか」。
私は「賛成」の立場で質疑の機会を得ることができました。
かつての停滞した大阪を動かしてきた維新の功績は認めています。しかし、経済発展を目指す姿勢を評価することと、その手法を無条件に支持することは全くの別問題です。
今の私にあるのは、大阪の未来を願うからこそ感じてしまう、強い不信感でした。
独裁への危惧と「白紙委任」への拒否
(私の質疑)
「私は大阪の発展を願って過去二回都構想に賛成してきましたが、3回目は反対します。
私は吉村知事の強引なやり方に強い不信感を感じています。
反対意見は聞かない姿勢。決まってもいないことをマスコミに喋って、市民を勘違いさせたり、議会を通さずに決めようとしたり。
大阪が独裁政治になるのなら、維新を応援することはできません。
税金を払っている身としては、正しい民主主義のプロセスを踏んでほしい。意味のないことに税金を使ってほしくありません。
質問です。
市議団の方達は現役世代の気持ちが離れていることをどう感じていますか?
独裁体制の中で、何も決まっていない法定協議会の設置を認めてほしいと言われても、やめて下さいとしか言いようがありません。」
会場からは、パラパラと拍手が起こりました。
(回答)
「現役世代のサービス拡充は続けている。議会を通さないことはない。キチンと手続きを踏むので安心して下さい。意見として承ります。」
ここに決定的な認識のズレがあります。求めているのは、サービスという名の「恩恵」ではなく、意思決定における「正当なプロセス」なのです。
都構想は大きな権限をひとつに集約すること。内容が決まっていないものに同意を求めるのは、市民に「白紙委任状」を出せと言っているのと同じです。
たとえ形式上の手続きを踏んでいたとしても、チェック機能を果たすべき議会が「イエスマン」ばかりであれば、あらゆる案が議論もなしにスルスルと通ってしまう。
今回の都構想タウンミーティングで感じた空気感は、まさにそんな将来の独裁体制を予感させるものでした。
「敵か味方か」という思考停止
この質疑の後、ネット上では「賛成のフリをして質疑する反対派の工作員」と言われました。
そもそも「賛成派」は維新の政策全てに賛成する信者ばかりなのでしょうか?
「いいと思うことも悪いと思うこと」もあるし、状況が変われば選ぶモノもわ変わる。過去2回賛成したからと言って、3回目も賛成するとは限りません。
賛成、反対の二元論で単純化させ、対立を煽るだけでは、まともな対話は成立しません。
むしろ、「いいと思う部分もあるが、これはおかしい」と言えるグラデーションのある意見が存在することこそが、本来の健全な姿ではないでしょうか。
敵か味方かという二項対立を煽り、薄い世論を作って「これが民意だ」と言い切ることが、果たして民主主義と言えるのでしょうか?
大義のないW選挙で票をたくさん取れば、何をやっても許されることになるのでしょうか?
二元代表制への希望
今の大阪には、維新に代わる強力な選択肢が存在しないという現実があります。
だからこそ、私は「二元代表制」が本来持っているはずのチェック機能に、最後の希望を見ています。
本来、議会は行政を厳しく監視する役割があるはずです。それが機能せず、ただの「言われた通りにする場所」になってしまったら、民主主義は成り立ちません。
私たちが求めているのは、単なる「多数決の結果」ではなく、その前段階にある「話し合いのプロセス」なのです。
複雑な問題を議論することを避け、ただ賛否の数だけで押し切ろうとするのは、民主主義として、あまりにも未熟ではないでしょうか?
次回、全9会場を歩いて見えてきた「都構想」の輪郭。そして、市政に真剣に向き合う市民と運営側の間で繰り広げられた、あるべき民主主義をめぐる「戦い」の記録。【第4回:都構想タウンミーティングは民主主義の戦いだった】
【都構想TM巡り③】第3回:私たちが求めているのは民主的なプロセス
市民/Civic Steering Osaka
2026年5月16日

