―大阪・関西万博は何を測り、何を測っていないのか
環境評価項目は多い。だが安心できない
事後調査報告書には、多数の評価項目が並ぶ。
騒音や振動だけではない。低周波音、地球環境、生態系なども含まれている。しかし、項目数が多いことは、それだけで十分な環境評価を意味しない。むしろ重要なのは、何を「問題」として扱う構造になっているかである。

こうして見ると、確かに多数の項目が評価対象となっている。
しかし同時に見えてくるのは、多くの項目が「管理可能なもの」を確認する構造になっていることだ。そこに、今回の環境評価の特徴がある。
「基準を満たす」が中心になる構造
報告書では、多くの項目が「環境保全目標を満足するか」という形で整理されている。
基準を超えなければよい。
対策を講じていればよい。
この構造では、環境への影響そのものより、「管理されていること」が前面に出やすい。
例えば騒音では、住民生活への長期的影響より、規制値を超えていないかが中心になる。廃棄物では、発生抑制より再資源化率が前面に出る。
生態系でも、「何が失われたか」より、「何が確認されたか」が中心になる。
問題は、個別項目の不足ではない。「何をもって環境配慮とするのか」という評価の物差しそのものだ。

もちろん、報告書は多数の項目を測定している。だが、その多くは「管理可能なもの」を確認する構造になっている。逆に、長期変化や累積影響、都市全体への負荷は、結果として見えにくくなる。
「影響最大時」は何を見落としているか
事後調査では、「影響最大時」を中心に測定するという考え方が取られている。
しかし、「最大時」を測ることと、「持続可能性」を測ることは同じではない。短期間のピーク管理では見えないものがある。

「見えていないもの」は偶然なのか
もちろん、事後調査報告書は、多数の項目を測定している。だが、その多くは「イベントを予定通り開催すること」を前提に、管理可能な範囲を確認する構造になっているようにも見える。その結果として、長期変化や累積影響、都市全体への環境負荷は見えにくくなる。
問題は、単なる測定不足ではない。何を環境影響として扱い、何を測定対象から外すのかという、環境評価そのものの考え方である。
問われているのは、何を測ったかだけではない。
どこまでを「環境」とみなしていたのかである。
大阪・関西万博の環境評価は、夢洲という会場の中だけを見ていたのか。
それとも都市や地域の変化まで視野に入れていたのか。
次回は、「環境影響評価区域」という考え方から、この問題をさらに考えたい。
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