私たちは知能をいつまで無料で使えるのか。
いま、私たちは少し不思議な時代を生きている。
検索すれば、ほとんど無料で世界中の情報にアクセスできる。YouTubeを開けば、膨大な動画を見ることができる。SNSでは、世界中の人間が発信した文章や写真や映像が、ほとんど無料で流れてくる。
そして今度はAIである。
文章を書かせる。翻訳させる。資料を要約させる。プログラムを書かせる。
画像をつくらせる。相談相手にする。
少し前までなら、人間が何時間もかけたり、専門家にお金を払ったりしなければ得られなかった仕事が、いまではスマートフォンひとつで手に入る。
しかも、多くの人は無料で使っている。
でも、これは本当に「普通」なのだろうか。
インターネットは、最初から公共インフラだったわけではない
とある学者が以前、インターネットやYouTube、SNSなどが、将来にわたって今のように無料で使えるとは限らない、という趣旨の話をしていた。
私たちはいつの間にか、GoogleもYouTubeもSNSも、道路や公園のように「そこにあって当然」のものとして使うようになった。
しかし、それらの多くは公共インフラではない。
巨大企業が莫大な設備と資本を投入して運営している民間サービスである。私たちは「無料」で使っているように見える。しかし企業側から見れば、それは慈善事業ではない。広告があり、データがあり、利用者が集まることで生まれる巨大な市場がある。つまり私たちは、無料の世界に暮らしているのではない。
巨大なビジネスモデルの内部で、無料という入口を提供されているのである。
AIは、それよりさらに重い
AIになると事情はもう少し深刻である。
SNSなら、人間が書いた文章をサーバーに保存し、それを別の人間に表示することが中心だった。AIは違う。質問するたびに計算する。
文章を生成する。画像を生成する。動画を生成する。推論する。
膨大な情報を検索し、整理する。
その裏側では巨大なデータセンターが動き続けている。そして、その計算には電気が必要になる。AIは、画面の中だけに存在しているわけではない。発電所があり、送電線があり、変電所があり、データセンターがあり、半導体があり、冷却設備があり、水があり、土地がある。私たちがスマートフォンに「これを要約して」と入力する、その向こう側には巨大な物理世界が存在している。
AIの本当のボトルネックは「電力」
ここでAIの未来が、急にデジタルだけの話ではなくなる。AIを増やすには半導体を増やせばよい。しかし半導体を増やせば、それを動かす電力が必要になる。データセンターを増やせば、送電網が必要になる。さらに冷却設備も必要になる。つまり、ソフトウェアはいくらでもコピーできるが、電力はコピーできない。発電所をクリックひとつで増やすこともできない。送電線を翌日に倍にすることもできない。ここにAI社会の物理的な限界が現れる。
そして、すでにその兆候は出ている
国際エネルギー機関(IEA)は、世界のデータセンターによる電力消費が2025年の約485TWhから、2030年には約950TWhへほぼ倍増すると予測している。
その中でもAI向けデータセンターの電力消費は、2030年までに約3倍になるとみられている。もちろん技術は進歩する。一回のAI処理に必要な電力は下がっていくだろう。しかし、安くなれば利用はさらに増える。
文章だけだったAIが画像をつくり、動画をつくり、やがて一人ひとりの代わりに常時動くAIエージェントになれば、「一回質問する」時代とは計算量そのものが違ってくる。効率化によって一回あたりの電力が半分になっても、利用回数が十倍になれば、全体では増える。AI企業はいま、この巨大な需要を先回りするようにデータセンターへ投資している。
では、誰がその費用を払うのか
私はここが一番気になる。現在、AIには無料プランがある。
月額数千円程度払えば、かなり高度なAIも利用できる。だから私たちは、AIを「誰でも使える技術」だと思い始めている。
しかし本当にそうだろうか。
データセンター。GPU。送電網。発電設備。冷却設備。土地。水。
これだけの物理資源を必要とするサービスが、未来永劫、誰にでもほとんど無料で提供され続ける保証はどこにもない。
むしろ現在は、AI企業が利用者を増やし、市場を形成するための巨大な投資期間にいる、と考えることもできる。
問題は「AIが有料になる」ことではない
サービスに料金がかかること自体は、おかしなことではない。問題はその先である。例えば未来のAIが、
無料版は簡単な質問だけ。
月3,000円なら日常利用。
月3万円なら高度な調査と分析。
月30万円なら専門家レベルのAI。
月300万円なら企業専用の高度なAIエージェント。
そんな階層になったらどうなるだろう。これは単なるサブスクリプションの価格差ではなくなる。持っている人間の「能力差」になるからである。
お金で「知能」を買う社会。
ここが、これまでの商品とは決定的に違う。
高級車を買える人と軽自動車しか買えない人がいる。
広い家に住める人と、小さな部屋に住む人がいる。
そこにはすでに大きな経済格差がある。
しかしAIの場合、購入するものは「能力」である。
調査能力。
文章作成能力。
交渉能力。
分析能力。
設計能力。
プログラミング能力。
経営判断能力。
つまり資本を持つ人ほど、より強力な「知能」を購入できる。そして、その知能を使ってさらに多くの利益を得る。その利益で、さらに高度なAIを購入する。
ここには、これまでとは違う格差の増幅装置が生まれる可能性がある。
「デジタルデバイド」の次に来るもの
かつて問題になったのは、インターネットを使える人と使えない人の格差だった。次に、スマートフォンを使える人と使えない人の格差が生まれた。
しかしAI時代の格差はもっと深い。
AIを「使えるかどうか」だけではない。
どのレベルのAIを使えるか。
ここに差が生まれる。
無料AIを使う人。月額数千円のAIを使う人。企業が契約した高度なAIを24時間動かせる人。巨大な計算資源を専有できる企業。
同じ「AIを使っている」と言っても、持っている能力はまったく違う社会になる可能性がある。
そして電力は、誰のものなのか
さらに厄介なのは、AIが必要とする電力はAI企業だけのものではないということである。私たちの家も電気を使う。病院も使う。鉄道も使う。工場も使う。学校も使う。街全体が電力によって動いている。
その同じ電力網の中に、巨大なAIデータセンターが入ってくる。
そこで問われるのは、単なる「電力不足」ではない。限られた電力を誰が使うのか、という配分の問題である。巨大企業が大量の電力を確保するために発電所や送電網へ投資する。その結果として地域の電力インフラが強くなることもあるだろう。一方で、設備増強の費用や電力価格への影響を、地域の生活者が負担する可能性もある。AIの問題は、いつの間にか公共インフラの問題になるまではもう見えているのだ。
AIは「公共財」になるのか、「資本財」になるのか
だから私は、AIの未来について「どこまで賢くなるのか」以上に気になることがある。その知能を、誰が所有するのか。誰が使えるのか。誰が計算資源を持つのか。誰が電力を確保できるのか。そして、その費用を誰が負担するのか。
現在のAIは、まるで世界中の人に開かれた公共財のように見える。
しかし実際には、その多くは巨大な民間資本によって構築されている。
だとすれば、AIが社会に不可欠になったあとで、その利用条件が変わる可能性についても考えておく必要がある。
「便利になった」で終わらせてはいけない
インターネットが登場したとき、私たちは世界中の情報にアクセスできるようになった。SNSが登場したとき、誰でも世界に向けて発信できるようになった。そしてAIによって、今度は誰でも高度な知的作業を行えるようになりつつある。これは間違いなく大きな可能性である。
だからこそ考えたい。
この力を、将来も普通の人が使えるのか。
経済力によって「使える知能」が決まる社会にならないのか。
私たちの生活を支える電力が、巨大な計算資源との競争にならないか。
AIを動かす基盤を、一部の企業だけが握ってしまわないか。
その答えは、モデルの性能競争だけを見ていてもわからない。データセンターの向こう側にある発電所を見る必要がある。送電線を見る必要がある。そして、そのインフラを誰が所有し、誰が費用を負担し、誰が利用条件を決めるのかを見る必要がある。
もしかすると私たちはいま、歴史上もっとも安く「知能」を使える短い時代にいるのかもしれない。
だからこそ
「その知能を、誰でも使える社会とどうつきあっていくのか」
という問いを持ち続けている必要がある。
<山口 達也>


