行政は何のために変わるのか 第3回
――行政の成果を見る場所を変える
行政改革の成果は、何によって示されてきたのだろうか。
このシリーズの第1回では、行政改革によって減らされた予算、職員、施設などが、改革の成果として示されてきたことを振り返った。
第2回で取り上げたのは、ごみ処理施設の「余力」だった。平常時には使われていない処理能力も、施設の故障や災害が発生したときには、ごみ処理を止めず、市民の日常生活を維持する力になる。
行政の内部から見れば、施設や職員、予算は経費である。しかし、市民の側から見れば、それらはくらしを支える機能でもある。
では、行政改革の成果は、行政内部に表れる数字だけで評価できるのだろうか。
自治体の黒字は、誰の利益なのか
自治体の支出が減り、基金が増え、財政指標が改善すれば、行政改革の成果として評価される。
もちろん、財政の健全性は必要である。災害や感染症、施設の故障などに対応し、将来も行政サービスを継続するためには、財政的な余力が欠かせない。
しかし、自治体の収支が改善したことと、市民のくらしが改善したことは同じではない。
行政の窓口を減らせば、行政側の経費は減る。だが、市民が遠くの窓口まで移動しなければならなくなれば、その時間と費用は市民の負担になる。
公共施設を統合すれば、維持管理費は減る。だが、施設を利用していた人が活動や交流の機会を失うこともある。
行政が負担しなくなったからといって、社会全体の負担がなくなったとは限らない。行政の外へ移され、市民や家族、地域、将来世代が引き受けている可能性がある。
行政内部の数字だけを見ていれば、その移動は見えにくい。
問われるのは、財政を維持することが、市民のくらしを支えるための手段として位置づけられているか。それとも、行政内部に金を残すこと自体が目的になっていないかである。
行政の黒字が、くらしの赤字になっていないか。
行政改革を評価するときには、この視点が重要だ。
「最少の経費」は、何のためか
地方自治法第1条の2第1項は、地方公共団体の役割を次のように定めている。
地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。
同法第2条第14項には、行政事務を処理する際の原則が記されている。
地方公共団体は、その事務を処理するに当つては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない。
この二つの規定を並べると、自治体の目的と、その運営に求められる原則が見えてくる。
自治体が基本とすべきなのは、住民の福祉を増進することである。そのために、限られた予算や人員を有効に使い、最少の経費で最大の効果を挙げることが求められている。
「最少の経費」は、それだけで行政の目的になるものではない。何を「最大の効果」とするのかが定められて、初めて意味を持つ。
地方公営企業法第3条も、地方公営企業は経済性を発揮するとともに、「その本来の目的である公共の福祉を増進するように」運営されなければならないと定めている。
経済性を考えなくてよいということではない。問われるのは、その経済性によって何を実現するのかである。
行政改革によって支出が減り、施設の稼働率が上がったとしても、そのことだけでは「最大の効果」が得られたかどうかは分からない。
その結果、誰の何がよくなったのかまで確かめる必要がある。
行政の支出は、社会から消えるのか
行政組織の側から見れば、支出は自治体の会計から出ていく費用である。しかし、行政が支出した金が、そのまま社会から消えてしまうわけではない。
教育や文化に使われた金は、市民の知識、経験、表現、将来の選択肢として残る。
福祉や相談支援に使われた金は、困難に直面した人が孤立せず、生活を立て直すための支えになる。
防災やインフラに使われた金は、日常生活を継続し、異常時にもくらしを守るための力になる。
職員に使われた金も、人件費として消えるだけではない。制度を理解し、地域の状況を知り、異常時に判断できる経験と専門性として蓄積される。
第2回で取り上げたごみ処理施設の余力も、ごみ処理が停止した場合の損失を防ぐためだけのものではない。
処理が継続されることによって、市民は、ごみの収集や処理が止まることを普段は意識せずに暮らすことができる。施設の余力は、その日常を成り立たせている条件の一つである。
何も起きなかったから、価値がなかったのではない。
だからといって、その価値を「防いだ損失」の金額だけに換算する必要もない。金額に換算できないことと、価値が存在しないことは同じではない。
行政の支出は、市民の能力、安全、安心、関係、選択肢へ姿を変え、社会に残ることがある。
行政の成果を見る場所を変える
行政運営を検証するうえで、予算、職員数、施設数、収入、稼働率などの数字は必要である。
問題は、それらが行政改革の成果そのものとして扱われることである。
削減や効率化は、その結果が市民のくらしにどう表れたかによって、初めて評価できる。

左側の数字を使わず、右側だけを見ればよいということではない。
必要なのは、行政内部の変化と、市民のくらしに表れた結果を結びつけることである。
行政組織の中に、いくら金が残ったか。そこだけを見るのではなく、その政策によって市民の側に何が残り、何が失われたのかを見る。
行政の成果を見る場所を変えるとは、そういうことである。
これは、削減額に代わる新しい一つの数値指標を設けようという提案ではない。
行政が市民の側に残すものは、安全、権利、知識、関係、参加、選択肢など、異なる性質を持っている。すべてを一つの金額や指標に置き換えれば、再び、測りやすいものだけが行政の成果として選ばれることになる。
複数の価値を、複数の視点から確かめなければならない。
市民の側に、何が残ったのか
行政改革によって問われなければならないのは、行政組織の中に何が残ったかだけではない。
その改革によって、市民の側に何が残ったのかである。
行政の支出によって社会に残るものは、自治体の決算上の利益として記録されるとは限らない。しかし、市民が地域でくらしていくための豊かさとして蓄積される。
自治体の利益とは、自治体に残る金ではない。
市民の側に残る豊かさである。
行政の成果を見る場所を市民の側へ移せば、次に問われるのは、その豊かさを支える「公共性」を、何によって確かめるのかということである。
行政が直接運営していれば公共性は保障されるのか。行政以外の主体が担えば、公共性は失われるのか。
次回は、「公か民か」という区分だけでは捉えられない公共性について考えたい。
出典・参考資料
- 地方自治法第1条の2第1項、第2条第14項
e-Gov法令検索「地方自治法」 - 地方公営企業法第3条
e-Gov法令検索「地方公営企業法」 - 「行政は何のために変わるのか」第1回
「行政改革で、何が守られ、何が失われたのか」 - 「行政は何のために変わるのか」第2回
「ごみ処理を止めないための『余力』は、無駄なのか」


