前回は、EUのGDPRを通して、ヨーロッパが個人情報を「人格の一部」と考え、人権を基準に制度を設計していることを紹介した。
では、なぜ日本は、そのEUとは異なる方向へ制度を動かそうとしているのだろうか。その答えは、「AIを推進したいから」という一言では説明できない。
その背景には、日本が置かれた経済環境、産業構造、そして国家としての危機感があるのではないかと感じている。
今回の個人情報保護法改正は、単なる法律の改正ではない。
日本という国が、AI時代をどう生き残ろうとしているのかを映し出す、一つの政策なのである。
AIの時代は「データを持つ者」が強い
20世紀は石油を持つ国が強かった。21世紀は「データを持つ者」が強いと言われる。生成AIは、大量のデータを学習することで性能を向上させる。文章も、画像も、音声も、医療も、教育も、交通も、あらゆる分野のデータがAIの性能を左右する。AIそのものはアルゴリズムだけでは育たない。大量の質の高いデータがあって初めて進化する。だから世界中で「データ獲得競争」が始まっているのである。
そういう意味では、アメリカと中国は、すでに巨大な武器を持っている。
アメリカには、Google、Meta、Microsoft、Amazon、OpenAIなど、世界中からデータを集める巨大企業がある。検索履歴、SNS、通販、クラウド、ビジネスソフト。日常生活そのものがデータとなり、AI開発に活用されている。
一方、中国では国家主導で膨大なデータを集積し、AI産業を育成してきた。監視カメラ、決済システム、行政サービスなど、生活全体がデータ基盤になっている。その是非は別として、AI開発に必要なデータ量では、両国は圧倒的な優位に立っている。
日本には「巨大プラットフォーム」がない
では、日本はどうだろうか。
日本にも優れた製造業や研究機関はあるであろう。
しかし、世界規模で検索サービスやSNS、クラウドを展開し、日々膨大なデータを蓄積している企業はほとんど存在しない。
つまり、日本はAI開発に必要な「燃料」を十分に持っていないのである。その結果、政府が注目したのが行政や医療、教育などの公共データだった。
住民基本台帳、医療情報、介護情報、教育データ、防災情報。
日本には世界でも精度の高い行政データが存在する。
それらをAI開発に活用できれば、日本企業の競争力を高められる。
もう狂信的とでも思われるかもしれないだろうが、今回の制度改正は、その流れの中で生まれでてきたと理解する必要がある。
国家の利益と市民の利益は一致するとは限らない
しかし、ここで考えなければならないことがある。AI産業が発展することは、日本経済にとって重要であるのかもしれない。
確かに医療AIや創薬AIが進歩すれば、多くの命が救われる可能性もある。
だから、「データを活用すること」自体を否定する理由はない。
しかし、国家の利益と市民一人ひとりの利益は、常に一致するわけではない。
例えば、自動車産業が成長すれば国全体の経済は豊かになる。しかし、そのために個人の財産権を無条件で制限してよいとはならないのは自明のことであろう。
同じように、AI産業の発展が重要だからといって、市民が自らの個人情報について持っている自己決定権まで軽視されてよいとは限らない。
ここで必要なのは、「国益か、人権か」という二者択一ではなく、その両立をどう図るかという視点である。
歴史を振り返ると、「国家のため」「公益のため」という言葉は、多くの制度改革の理由として使われてきた。もちろん、本当に公共の利益につながる政策も数多くある。
しかし同時に、その言葉の陰で、市民の権利が少しずつ制限されてきた恐ろしい歴史も存在する。
だから民主主義では、「国益だから仕方ない」という説明だけでは十分ではない。
本当に必要なのか。他の方法はないのか。どこまでなら許容できるのか。
その議論を積み重ねることが、市民社会の役割である。
市民に向き合わない政府という最大の問題
今回の個人情報保護法改正を見ていると、日本は「AIで世界に遅れたくない」という強い危機感の中で制度を見直そうとしているように見える。
人口減少が進み、生産性向上が求められる日本にとって、AIは重要な技術であることは間違いない。
しかし、ここで忘れてはならないことがある。
AIを育てるデータは、国家が生み出したものではない。
企業が生み出したものでもない。
私たち一人ひとりが、病院へ通い、学校で学び、暮らし、働き、人生を送る中で積み重ねてきた情報である。だからこそ、その利用方法については、市民が主体となって議論し、納得できるルールを築かなければならない。
AI時代に必要なのは、データを集める力だけではない。
市民の信頼を集める力である。
その信頼があって初めて、技術は社会に受け入れられ、持続的に発展していく。日本は今、AI競争を急いでいる。
ただ、本当に残念なことは、政府は市民に対して、マイナンバーカードにしても、マイナ保険証にしても、全く国益のためとも、AIでの情報資源としてのためとも、説明していない。その運用方法や考え方を広く議論しようともしていない。
つまり、全く信用できない状態の中で進めようとしているのである。
こんな状態で誰が納得して個人情報保護法改正を受け入れられるというのだろうか。政府による騙し討ちに近いことが横行している。このことへの市民の危機感に対する鈍感さと狡猾さにはこれからもレポートしていきたい。
<山口 達也>

