私自身、一級建築士事務所を運営しているが、先月から建築士制度の見直し議論が始まっている。
だが、制度を変えることと、問題を解決することは、同じではないが、どうも雲行きが怪しい。
そして、今回の3度目、大阪市廃止特別区設置の法定協議会開始。
二つの現場から、「制度疲労の問題なのか、制度利用の悪癖なのか」を問い直す。
とある意見照会からそれは始まった。
建築士試験制度の見直しについて、意見を求められる機会があった。
議論の骨格はこうだ。若手の建築士が不足している。だから受験要件を緩和する。実務経験要件も短縮する。一見、もっともらしい。
しかし、立ち止まって考えてほしい。なぜ若者が建築士を受験しなくなっているのか、その原因は何か。

本質は業界構造
原因は制度ではない。長時間労働、低賃金、責任の重さ、社会的評価の低下——そうした業界構造そのものだ。
しかも、受験資格の緩和は今回が初めてでもない。
令和2年の法改正によって、すでに実務経験がなくても受験できるようになっており、制度のハードルはすでに下がっている。
それでも若者は来ていない。制度を変えても、業界の実態が変わらなければ何も変わらない。
問うべきは「なぜ建築を志さないのか」であって、「どうすれば受験させられるか」ではないはずだ。ところがその問いは後景に退き、「制度を変えよう」という話だけが前に出る。
制度改革は、元凶の本質を温存しながら、あたかも改革をしているように繕われているように感じた。
大阪都構想・三度目の「別の制度」という説明
私はこの構図を俯瞰しつつ、今の大阪での議論に相似を感じた。
大阪市議会は都構想の法定協議会設置議案を可決した。
しかも2027年春の投開票を目指し、「副首都」という新しい衣をまとって、3度目の住民投票に向けた議論が動き出した。
だが、大阪市民はすでに二度、住民投票で否決している。

「3回目となる今回は違う制度だ」という説明は、2回目の「今度こそ丁寧に説明する」という言葉と同じ構造をしている。
「大阪市を廃止し特別区を設置する」という名称を「副首都・大阪にふさわしい大都市制度協議会」とし、制度の名前を変えただけで、制度の中身はほぼほぼ同じ。そういう構造だ。
制度疲労と制度利用——二つの概念を区別する

両者は似て非なるものだ。
そして、その違いを見極める責任を負うのは市民しかいない。
市民が持つべき「問い」
■ 制度改革が語られるときに問い直すべき三つの問い
1.大阪市の行政に、今、制度の限界によって解決できない具体的な問題があるか。
2.その問題は、大阪市を廃止しなければ解決しないのか。
3.廃止することで、誰が利益を受け、誰がコストを負担するのか。
この問いに具体的に答えないまま「新しい制度だ」と言うなら、それは制度疲労への対応ではなく、制度の利用いや悪用だ。
法律は為政者の意思を実現するための道具ではない。権力を制限し、市民の暮らしを守るための約束事だ。
だからこそ、制度改革が語られるときほど、私たちは疑わなければならない。
問いを失ったとき、民主主義は単なる多数決に変わる。
大阪で起きていることは、決して大阪だけの問題ではない。それは日本中で繰り返される、「問題の本質を棚上げにしたまま、制度だけを動かす政治」の縮図だ。
建築士試験の議論も、都構想の議論も、問い方が同じである。
制度を変えることで、誰かが得をするのか。誰のための制度改正なのか。
問い続けることが、市民であることの意味なのではないだろうか。
<山口 達也>

