市民が参加できるまちの規模と手法について考える全4回の3回目。
区民センターの可能性
「福島区民センターは、もっと市民が主体となって企画できる場所にならないのだろうか。」
そんな話をすると、必ずと言っていいほど返ってくる言葉がある。
「だから大阪市を分割廃止して、行政単位を小さくする都構想だったんじゃないですか。」
確かに一見すると、行政の単位を小さくすれば、市民との距離も近くなり、地域の声が届きやすくなるように思える。
しかし、本当にそうだろうか。
人口規模や行政組織の大きさを考えることは重要だが、それと「市民が参加できる仕組み」が整っていることは、実は別の問題である。
都構想が変えようとしたもの
2015年、そして2020年の住民投票で議論された大阪都構想は、大阪市を廃止し、複数の特別区へ再編する制度改革だった。
議論の中心となったのは、
- 広域行政と基礎自治体の役割分担
- 二重行政の解消
- 財政運営
- 行政組織の効率化
といった行政制度の設計である。
つまり、「行政機構をどう整理するか」が主題だった。
一方で、
「市民が公共施設の運営にどれだけ参加できるか」
「地域の活動を誰が企画し、決定するか」
といった参加の仕組みそのものは、制度変更だけで自動的に生まれるものではなく、特別区になったらそれぞれで考えたらよい、程度の対応であった。
行政区画と市民参加は別の問題
現在、法定協議会では、4区案、8区案、24区案で話し合われている特別区設置。
例えば、4区案で大阪市から福島区が4つの特別区のいずれかになったと仮定してみる。
区役所の名前が変わり、公募区長から公選区長区長となり、その権限が増えたとしても、区民センターの企画が引き続き行政主導で、市民には意見を述べる場しかなければ、利用者から見える景色はほとんど変わらない。むしろ予算が削られる分、より厳しい運営になる可能性は高い。
逆に、大阪市という現在の行政区画のままであっても、区民センターの運営委員会を市民公募とし、企画や予算配分について一定の決定権を持つ仕組みが整えば、地域で活動する人たちの主体性は大きく変わる可能性がある。
つまり、行政区画は器であり、市民参加は仕組みである。
この二つは密接に関係しているようで、実際には別々に設計できる。
市民参加は制度がつくる
全国を見ると、市民参加の方法はさまざまである。
市民公募による運営委員会
事例:箕面市立中央生涯学習センター(大阪府箕面市)
- 市民公募を含む運営委員会が設置されている。
- センター運営や事業について市民委員が意見を述べ、企画にも関わる。
- 市民が「利用者」だけではなく、「運営側」に参加する仕組みとなっている。
これは前回の記事とのつながりとして最も使いやすい事例。
指定管理者制度の中で市民代表が運営に関わる仕組み
事例:武蔵野市 市民文化会館・コミュニティセンター
武蔵野市ではコミュニティセンターの多くを、
- 地域住民による運営協議会
- 市民主体の管理運営
という形で運営しています。
行政が委託するだけではなく、地域住民自身が管理運営の主体となっている全国でも有名なモデルである。
住民提案制度
事例:横浜市 地域まちづくり提案制度
住民グループが、地域計画やまちづくりルールを行政へ正式提案できる制度。
行政は一定の条件を満たせば協議を行い、都市計画へ反映することもあります。
「市民が行政へお願いする」のではなく、「制度として提案権を持つ」点が特徴。
地域予算制度
事例:飯田市 地域自治組織
飯田市では地域自治組織に一定の予算が配分され、地域住民自身が、道路、景観、イベント、防災などの使い道を決定。
行政が細かく決めるのではなく、地域で優先順位を決める制度である。
その他、参加型予算(Participatory Budgeting)のように、市民自身が予算の使い道を議論し決定する取り組みも、海外だけでなく国内の自治体でも少しずつ導入が進んでいる。(以前、ucoでもレポート)
これらはいずれも行政区画とは無関係に導入できる制度である。
つまり、市民参加を増やすために必ずしも行政再編は必要条件ではない。
必要なのは、市民が関わる権限を制度として設計することである。
大阪市で本当に問われるべきこと
だが大阪市でこのような制度への実権や動きを聞いたことがあるだろうか。
残念ながら、少なくとも私には記憶がない。
しかし前述したように、「市民に近い行政=ニアイズベター」の掛け声のみで、特別区になってからの市民参加制度は全く白紙状態となっている。
それ以上に、現時点での大阪市としての住民参加制度はほぼ見受けられない。地域団体と共に作り上げる区民祭りですら、予算はひたすら減額し続けている。
現状の大阪市でできないことが、特別区になったらできるという保証は全くなく、そのための基礎づくりにも全く興味がないまま、大阪市を廃止すれば、ニアイズベターが実現するような楽観的いや無責任な状態である。
大阪市の行政規模の課題はたしかにある。
しかし、それ以上に重要なのは、
行政がどこまで市民に判断を委ねようとしているのか。
公共施設は、市民が利用するだけの場所なのか。
それとも、市民自身が地域の活動を育てる場所なのか。
くどいようだが、この違いは、区の数や区の規模ではなく、住民参加の制度設計によって決まる。
行政区画を変えることは、一つの政策手段ではある。
しかし、それだけで市民に近い行政が実現するわけではない。
ましてや、その助走もサポートも経験もないまま、ニアイズベターの号令の下、素晴らしい住民参加制度が始まるとは到底考えられない。
地域の人が考え、企画し、運営に関わることができる仕組みを持てるかどうか。
市民に近い行政とは、その条件をどれだけ整えられるかによって決まる。
その礎に興味のない知事や市長が、大阪市を廃止して特別区にすれば、全て上手く進むような幻想を投げかけている。
これほど市民を毀損し続ける首長は類例を観ないのではないか。
<山口 達也>

