UCOでは、NEXT OSAKAを妄想するベースとして、大阪市の辿ってきた道のりを再検証する企画を進めています。その一つが大阪市を形作ってきた歴史を、その土地の成り立ちと経済、文化など様々な要素を持った「区」から見つめ直そうという試みです。
今回は、明治期の西区の番外編。当時の大阪府と区、大阪市の関係。明治時代は大阪府と4つの区に続いて大阪市が後から誕生します。 できたころの大阪府は、明治の新政府が任命した府の知事が、大阪市長がやるべき仕事も兼任して、政府の意向を地域に伝えるための機関でした。府は、地元のことよりも中央集権国家づくりを急いでいました。明治という特別な時代ならではの出来事です。 大阪市ができるのは明治22年。その前の明治12年に4つの区ができて、当初市がまだ機能していない間は、現在では市が行っているようなことまで、この区がそれぞれの地域で主体的に動いていた時代がありました。区が、現在の市のような役割を果たしていました。 大阪市が発足したときに、4つの区がそのまま残って役割分担をしながら行政を行っていくしくみがこの後だんだんと築かれていきます。 1つ問題だったのは、当初の市は「市政特例」といって、大都市を管理下に置いておきたいという国の意向があり、大阪府知事の権限が強かった。市はできたけれども、実質的に自治体としての機能は果たせていませんでした。 大阪市に自治を任せてほしいという運動がおこり、実ったのが明治32年です。市政特例が廃止され、いまのような市と区が役割分担をしながら大阪市域を運営していく形態がつくられていきました。
「古地図でたどる大阪24区の履歴書」
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本渡章 Hondo Akira
1952年生まれ。作家。
古地図昔案内シリーズなど著書多数。
講演、まち歩きツアー、古地図サロンなどの活動も行っている。