今回は大阪市の24区を具体的に取り上げる。大阪市が掲げる「24色の区政」と、住民が実際に地域のことを決められる仕組みとの間に、どのような距離があるのかを考える。
近所のことなのに、誰が決めているのかわからない
近所の公園にベンチが欲しい。通学路の交差点が危ないので、何とかしてほしい。地域の集会所が使いにくい。図書館の開館時間を延ばしてほしい。
私たちの暮らしには、そんな身近な問題がいくつもある。
では、その問題を解決するためには、誰に相談すればよいのだろう。
区役所だろうか。市役所だろうか。それとも市会議員だろうか。大阪市には24の行政区があり、それぞれに区役所と区長がいる。しかし、区役所に相談すれば、地域の問題をすべて解決できるわけではない。道路や公園、学校、福祉など、それぞれの仕事には担当する部署があり、区役所だけでは判断できないこともある。住民にとっては、同じ自分たちの町の問題なのに、行政の内部では異なる組織が扱っているのである。ここで考えたいのは、行政組織の複雑さだけではない。
自分たちの暮らしに関わる問題を、自分たちの地域でどこまで決められるのか。
今回のテーマは、そこにある。
大阪市の24区は、独立した自治体ではない
大阪市の24区は「行政区」と呼ばれている。区長はいるが、住民が直接選挙で選ぶ区長ではない。また、各区に独立した区議会があるわけでもない。住民が選挙で選ぶのは大阪市長と大阪市会議員である。
つまり、大阪市の24区は、それぞれが独立した自治体として運営されているわけではない。
大阪市という一つの自治体の内部に置かれた行政組織なのである。
この仕組みには合理性もある。
例えば、消防や大規模な都市基盤の整備など、区ごとに分けるより大阪市全体で対応するほうが適切な仕事も多い。
一方で、地域によって事情が異なる仕事もある。
子育て世帯の多い地域、高齢化が進む地域、住宅と工場が混在する地域、観光客が集中する地域。
大阪市の24区は、人口構成も土地利用も、抱えている課題も同じではない。それなら、地域ごとに必要な政策や予算の使い方が違って当然である。
大阪市も、この問題を認識している。
2013年度から、区長の権限と責任によって地域の特性を生かす「24色の総合的な予算編成」の仕組みを導入してきた。区長が一定の財源枠を使い、地域の事情に応じた事業を組み立てられるようにしたのである。この方向自体は一定の価値がある。。
しかし、ここにはもう一つ考えなければならない問題がある。
区長の裁量が広がることと、住民が決められる範囲が広がることは、同じではないという事実である。
「24色の区政」の特色は誰が決めているのか
大阪市の区長には、区役所の運営だけでなく、区シティ・マネージャーとして、区域内の住民生活に密着した事業に関わる役割が与えられている。
これは、従来の縦割り行政から、地域の実情に応じた行政へ変えていこうとする仕組みである。しかし、区長は大阪市の職員であり、市長や市全体の方針から独立した政治的代表者ではない。
2026年の大阪市区長公募資料でも、区長の仕事は、市長や教育委員会が定める全市的方針に基づき、地域の特性に応じた施策を展開することとされている。
もちろん、区長が市全体の方針と整合性を取ることは必要である。
大阪市全体で一定の行政水準を維持することも重要だからである。
だが、ここに構造的な課題がある。
区長に権限を与えても、その権限を行使する区長自身を住民が直接選んでいるわけではない。地域の事情に詳しい区長が、独自の政策を進めることもできるだろう。反対に、市全体の方針や組織内の調整を優先することも考えられる。そこで問われるのは、区長がどれだけ優秀かという問題ではない。区長の判断に、住民の意思をどのように反映し、住民がその結果をどう評価できるのかという制度の問題である。
「24色の区政」という言葉はたしかに魅力的ではある。
しかし、その24色を決めるのが区長だけであれば、行政の分権にとどまる。住民自身が地域の将来像や優先順位を考え、その判断に影響を与えられてこそ、地域の意思を生かした区政に近づくのである。
区政会議はある。しかし決定権はどこにあるのか
大阪市には、各区に「区政会議」という仕組みがあるのはご存知だろうか。
2013年に施行された条例に基づき、区の計画や予算、事業の成果などについて、区民の意見を聴くための会議である。
これは、住民が区政に関わる重要な制度である。実際、区政会議では、地域団体から推薦された委員や公募委員などが、区の運営方針や施策について意見を述べている。
しかし、区政会議は区議会ではない。
条例上の目的は、区民の意見を把握し、区政に反映させることであり、委員が予算や政策を議決する制度ではない。大阪市の区政会議ガイドブックでも、会議として一つの結論を採決するのではなく、各委員の意見を聴く仕組みとして整理されている。
ここに、重要な違いがある。
住民が意見を言うことと、住民が決定に関わることは、必ずしも同じではない。もちろん、すべての政策を住民投票で決めればよいわけではない。選挙で選ばれた市長や市会議員には、行政運営や予算の決定について責任がある。しかし、区政会議で意見が出されたとき、その意見によって何が変わったのか。採用されなかった意見には、どのような理由があったのか。そして、次の計画や予算にどうつながったのか。そこまで住民が確かめられることが重要である。
会議を開催した回数や参加した人数だけでは、住民の意思が区政に反映されたかどうかはわからない。
本当に評価すべきなのは、住民の意見が実際の行政判断にどのような影響を与えたのかということである。
だが残念なことに私が知る限り、区政会議の内容が区政だより(区民報)に詳しく紹介されたことはないのが実状だ。
住民の声を聞くだけでは、地域は変わらない
では、どうすれば地域の意思を行政に反映できるのだろうか。例えば、ある区で公園の改修に使える予算があるとする。行政が改修計画をつくり、完成した案について住民に意見を求める。これが従来型の参加である。
しかし、計画をつくる前から、地域に何が必要かを住民と話し合うこともできる。子どもの遊び場が必要なのか。高齢者が休める場所が必要なのか。暑さを避けられる木陰が必要なのか。それぞれの希望を聞き、予算や技術的な条件を示しながら、優先順位を考える。
さらに、改修後に実際の利用状況を確認し、必要なら見直す。このような仕組みがあれば、住民は単なるサービスの利用者ではなく、地域の環境をつくる当事者になる。もちろん、声の大きい人だけが決定を左右してはならない。子育て中の人、仕事で会議に出席できない人、障害のある人、地域活動に参加していない人。
そうした人たちの意見も反映できる仕組みが必要である。
住民参加とは、会議に来られる人だけに決定を任せることではない。できるだけ多様な立場の人が、地域の課題を知り、選択肢を比較し、判断に関われる条件を整えることである。
実際、公園の改修についての経験であるが、福島区の公園には多くの区の花「のだふじ」の藤棚がある。この藤棚のある公園の管轄は、扇町公園事務所であり区役所ではない。藤の花を咲かせている多くの努力については、ボランティア組織「のだふじの会」や大阪福島ライオンズクラブが行っている。
その予算や権限に関して、福島区役所も福島区長もさらに区政会議も積極的な関与をすることはない。働きかけが区民や区民だよりによって、公開されることもなければ、経過を区民に知らされることもない。
市民が決める力を、どこまで広げられるか
大阪市は、区長の権限を広げ、地域ごとの特色ある区政を進めようとしてきた。しかし、その取組を評価するためには、行政内部でどれだけ権限が移されたかを見るだけでは足りない。
住民は、自分の区の予算をどれだけ知っているだろうか。
区政会議で出された意見が、どの事業に反映されたのかを知ることができるだろうか。そして、地域に必要な事業を、住民の側から提案し、実現へつなげる道筋はあるだろうか。
区長に権限を移すことは、一つの方法である。
しかし、それは目的ではない。大切なのは、そこで暮らす人々が、自分たちの地域のあり方を考え、決定に影響を与えられるようになることである。
これは、大阪市を24区に分けるべきかどうかという行政制度の議論だけで解決する問題ではない。現在の大阪市の仕組みのなかでも、区政会議の運営、予算情報の公開、住民提案の制度、意思決定の過程を改善する余地がある。
しかし現行制度を補強修正していく意思は、現大阪市政にはない。
現在は、大阪市を廃止して特別区にすることで解決するとしているからだ。
しかし大阪府に権限と税収を預けてしまえば、現状よりさらに困窮するであろう特別区の予算では、さらに自由度は低くなってしまうであろう。
市全体で守るべき行政サービスの水準を維持しながら、地域で決められることを増やしていくことこそが求められている。この両方が必要なのである。
前回(第3回)は、税金を払えば社会は誰かが守ってくれるのかと問いかけた。
今回の問いは、その先にある。
自分たちが暮らす町なのに、町のことを決める場所が遠すぎないだろうか。
区役所が近くにあることと、地域の意思決定が身近にあることは同じではない。
住民の声が届くこと。そして、その声によって何が変わったのかを確かめられること。地域のことを地域で考え、決める力を広げるとは、そういうことではないだろうか。
<山口 達也>

