【連載・進化する自治③】税金を払えば、社会は誰かが守ってくれるのか

コラム進化する自治 vision50
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公共サービスを支えるのは行政だけなのだろうか

巷では「税金を払っているのだから」という言葉よく聞く。
道路が傷んでいれば、市役所に修繕を求める。
公園が荒れていれば、行政に管理を求める。
災害が起きれば、行政が助けてくれることを期待する。

「税金を払っているのだから、行政がやるべきだ」

この考え方は間違っていない。
私たちは税金を負担し、その財源によって道路、上下水道、教育、福祉、防災などの公共サービスが維持されている。個人では解決できない問題に社会全体で対応するために、行政が存在しているのである。

しかし、ここで一つ疑問が生まれる。

税金を払って行政に任せておけば、私たちの社会は守られるのだろうか。

例えば、自分の住む地域に新しい公園が整備されるとする。どのような公園にするのか。誰が利用するのか。維持管理にどれだけの費用をかけるのか。それらを行政がすべて決め、私たちは完成した公園を利用する。問題が起きれば、行政に改善を求める。これでは、私たちは公共サービスの利用者であっても、そのあり方を決める当事者にはなっていない。
税金を払うことと、社会を支えること。この二つは、必ずしも同じではないのである。

公共サービスは、行政の商品ではない

私たちは、公共サービスを買い物と似た感覚で捉えていないだろうか。
企業に代金を払い、商品やサービスを受け取る。気に入らなければ苦情を伝え、別の商品を選ぶ。行政についても、税金を払い、その対価としてサービスを受け取るという感覚がある。

しかし、税金は商品を購入するための代金とは違う。
税金は、社会全体で必要なものを支えるために負担するものである。
例えば、子どものいない人も教育を支える。自動車を持たない人も道路を支える。今は健康で福祉サービスを利用していない人も、社会保障を支える。

なぜだろう。

それは、社会が一人ひとりの利益だけでは成り立たないからである。
学校で学ぶ子どもたちは、やがて社会を支える存在になる。道路や上下水道は、直接利用していなくても私たちの生活や経済活動を支えている。

そして、誰もが将来、支援を必要とする立場になる可能性がある。

公共サービスとは、利用した人だけが利益を得る商品ではなく、私たちが共に生活するための基盤なのである。

だからこそ、そのあり方は行政だけの問題ではない。
社会全体で費用を負担するのであれば、その使い道について市民が判断できることも重要になる。
税金を払っているから行政に任せる。それだけでなく、税金を払っているからこそ、その使い道を知り、考え、必要なら変えていく。そこに、もう一つの市民の役割がある。

行政には、果たすべき責任がある

ただし、ここで誤解してはならないことがある。市民が社会を支えると言うと、行政の仕事を住民に任せればよいという議論につながりやすい。財政が厳しいから、地域で公園を管理してほしい。職員が足りないから、住民で高齢者を見守ってほしい。災害時には、まず地域で何とかしてほしい。

もちろん、地域で助け合うことには大きな意味がある。

しかし、それを理由に行政が責任を縮小するのであれば、話は別である。

地方自治法第1条の2は、地方公共団体が住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域の行政を担うと定めている。住民の福祉を守ることは、行政の基本的な役割なのである。
例えば、地域の高齢者が安心して暮らせるようにするため、近所の人が声をかけ合うことは大切である。しかし、それによって介護や医療、生活支援などの公的な制度が不要になるわけではない。

地域の助け合いには限界がある。
近所付き合いが苦手な人もいる。仕事や子育てで余裕のない人もいる。そもそも誰かに助けを求めることが難しい人もいる。

こうした人たちを、地域の善意だけに委ねることはできない。

市民が社会を支えることは、行政の責任を軽くするためではない。

むしろ、行政が責任を果たしているかを確かめ、必要な公共サービスを維持し、改善していくためでもある。

災害が起きたとき、誰が地域を守るのか

この問題が最も鮮明になるのが、災害時である。

大規模な地震や水害が発生すれば、消防や警察、行政職員だけですべての住民に直ちに対応することは難しい。そのため、防災では自助・共助・公助という考え方が重視されている。自分の命を守ること。地域で助け合うこと。そして行政が公的な責任を果たすこと。

この三つは、どれか一つを選ぶものではない。

しかし、ここでも注意が必要である。

「自助・共助が重要だ」という言葉が、行政の防災対策や公共インフラへの投資を減らす理由になってはならない。例えば、浸水する危険のある地域で、住民が避難訓練を重ねることには意味がある。しかし、それだけで排水施設の維持管理や避難情報の整備が不要になるわけではない。

行政が担うべき防災対策と、住民が備えるべきことは、それぞれ役割が異なる。さらに重要なのは、住民が行政の防災対策について知り、意見を伝えられることである。

自分の地域にはどのような危険があるのか。排水施設や避難所は、どのような条件で機能するのか。設備の維持管理や更新は適切に行われているのか。
こうした情報を行政が公開し、市民が確認できることは、地域の安全を支える重要な条件となる。
防災を行政任せにしないということは、住民だけで何とかすることではない。
行政が果たすべき責任を、市民自身が理解し、確かめられるようにすることなのである。

本当に必要なのは、社会を支える「決定する力」

ここまで考えると、公共サービスを支えるという言葉には、二つの意味があることがわかる。
一つは、実際にサービスを提供したり、地域で助け合ったりすることである。

もう一つは、そのサービスが必要な人に届いているか、どこに費用をかけるべきかを考え、決定に関わることである。

私たちがもっと重視すべきなのは、後者ではないだろうか。

例えば、図書館を考えてみよう。財政が厳しいという理由で、開館時間の短縮が検討されているとする。行政は、人件費や利用者数を根拠に判断するかもしれない。
しかし、利用者数だけでは見えない価値もある。
放課後に安心して過ごせる場所として利用する子どもたち。自宅では勉強する場所を確保できない学生。静かに本を読める場所を必要とする高齢者。
そうした人たちの生活に、開館時間の短縮がどのような影響を与えるのか。

単純な利用者数や運営費だけで判断してよいのだろうか。
もちろん、公共サービスにも予算の制約はある。

すべての施設を無条件に維持することはできない。だからこそ、費用だけでなく、誰がどのような利益を得ているのか、代替手段はあるのかを確かめる必要がある。

その判断に市民が関わることで、行政だけでは見えにくい地域の課題が明らかになることもある。

重要なのは、市民の要求をすべて実現することではない。

限られた財源を、何のために、誰のために使うのかを、社会全体で考えられることである。

税金を払った後こそ、私たちの役割が始まる

税金を払うことは、社会を支える重要な行為である。
しかし、それだけで社会が望ましい方向へ進むとは限らない。

必要な場所に予算が使われているのか。
公共サービスから取り残されている人はいないか。
行政が説明した目的と、実際の成果は一致しているのか。

こうしたことを考え、行政に説明を求め、必要な改善を働きかけることも、社会を支える行為である。
それは、行政の仕事を市民が肩代わりするという意味ではない。
行政には行政の責任がある。
一方で、市民には、その責任が適切に果たされているかを確かめ、社会の方向を変えていく力がある。
第1回では、私たちは社会の「お客さん」になっていないかと問いかけた。
第2回では、効率化によって生まれた時間や利益を誰が手にするのかを考えた。

今回の税金と公共サービスの問題も、根底ではつながっている。誰かがサービスを提供し、私たちはそれを受け取る。その関係だけでは、社会を支える力の一部を誰かに預けたままになってしまう。公共サービスは、行政が市民に一方的に与えるものではない。私たちが共に生活するために、社会全体で維持しているものである。だからこそ、市民は単なる利用者にとどまる必要はない。税金を払い、必要なサービスを受け、そして、その仕組みをよりよいものにするために関わっていく。

社会を守るとは、すべてを自分たちで引き受けることではない。社会を誰かに任せきりにしないことである。

税金を払ったら、あとは誰かが守ってくれる。
そんな社会から、税金の使い道も、公共サービスのあり方も、私たち自身が考えられる社会へ。それが「進化する自治」の大切な一歩なのだと思う。

<山口 達也>

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