「まだ大丈夫」が積み重なった20年

日本は、2005年をピークに人口減少局面へ入ったと言われている。
それから約20年。電車は走り、コンビニは開き、SNSには今日も日常が流れてくる。正直なところ、「国が縮んでいる」という実感を、日々の生活の中で強く感じている人は多くないだろう。
この状態をよく「ゆでガエル」に例える。水温は確かに上がっているが、急激ではない。だから飛び出さない。
しかし、気づいたときには取り返しがつかない──そんな寓話である。
人類はこれまで、人口が増え続けることを前提に資本主義や都市、国家制度を組み立ててきた。
「縮減していく社会」を本格的に運営した経験は、ほぼない。
その最前線に、日本は立たされている。
にもかかわらず、政治も行政も、どこか腰が引けたままだ。
移民政策、出生率の本質的改善、ロボットや自動化による生産構造転換──
どれも触れれば痛みを伴う論点である。結果として、「こども家庭庁」という象徴的な組織は生まれたが、社会構造そのものに踏み込む議論は限定的なままである。
では、この国はどこへ向かうのか。
そして、中央政府が動ききらないなかで、私たちは何を手がかりに未来を描けるのか。
ここで一度、「進化する自治」という視点から、縮減社会の新しいモデルを後奏してみたい。
問題の整理|縮減社会が突きつける三重苦
縮減社会の本質は、単なる「人口が減ること」ではない。
それは、少なくとも次の三つが同時進行する状態である。
① 人口減少 × 高齢化
働き手が減り、支える側が少なくなる。年金・医療・介護といった社会保障制度は、拡張前提で設計されているため、持続可能性が揺らぐ。
② 空間の過剰
住宅、インフラ、公共施設。人が減っても、空間はすぐには減らない。
結果として、空き家、維持費だけがかかる道路や水道、使われない公共施設が増えていく。
③ 意思決定の遅さ
人口増加期に最適化された制度は、変化を嫌う。
「前例」「公平性」「全国一律」が重視され、地域差や実験的試みが難しくなる。
重要なのは、これらが互いに絡み合っているという点である。
だからこそ、単一の政策──たとえば「子どもを増やそう」だけでは解決しない。
なぜ、こんなに息苦しいのか
縮減社会を生きる私たちの感情は、数字には表れにくい。
・頑張っても報われない気がする
・地域に未来があると言われても、実感がない
・政治の話をすると空気が重くなる
・でも、見捨てられるのは嫌だ
これは怠慢でも無関心でもない。
この構造自体が「参加しても変わらない感覚」を生み出しているのである。
人口増加期の自治は、「要望を出せば、いずれ実現する」モデルだった。
しかし縮減社会では、選択肢そのものが減っていく。
「全部は守れない」「どれを手放すか」を決めなければならない局面が増えていくだろう。
その苦しさを、誰も真正面から引き受けてこなかった。
だから私たちは、どこかで宙づりの感情を抱え続けている。
縮減を前提にした「進化する自治」
では、希望はないのか。
私はそうは思わない。
鍵になるのは、「成長しない前提で、どう豊かさを再定義するか」である。
1. 自治を「サービス」から「関係性」へ
これまでの自治は、行政=サービス提供者
住民=受益者 という関係で語られてきた。
しかし縮減社会では、行政単独で全てを維持することは不可能である。
だから必要なのは、
「一緒に決め、一緒に引き受ける自治」なのではないだろうか。
たとえば、
・使われなくなった公共施設を、地域で用途再編する
・道路や公園の管理を、住民・事業者・行政で分担する
・地域予算の一部を、市民が直接配分する
これは負担の押し付けではない。
「決定権」と「当事者性」を取り戻す試みである。
2. 小さな単位での実験を許す
全国一律の正解は、もはや存在しない。
だからこそ、
・地区単位
・校区単位
・集落単位
といったスケールで、制度やルールを柔らかく変えていく必要がある。
失敗してもいい。
むしろ、失敗できることが重要だ。
進化する自治とは、完成形ではなく、更新され続けるプロセスである。
3. 「生産性」ではなく「循環性」を指標にする
ロボットや自動化は重要だ。
だが、それだけでは社会は持たないと思う。
・地域内でお金が回っているか
・人が役割を持てているか
・次世代に引き継げる関係があるか
こうした指標を、自治の中心に置く。
縮減社会では、「どれだけ増やしたか」より「どれだけ循環しているか」が問われる。
縮むからこそ、選び直せるという共通認識を
人口が減ることは、確かに不安で、怖い。
しかし同時に、それは「これまでの前提を手放せる瞬間」でもある。
大きくならなくていい。
全部を維持しなくていい。
でも、どんな関係を残したいかは、選べる。
進化する自治とは、
「誰かが決めてくれる未来」を待つことではない。
「自分たちで引き受けられるサイズに、社会を編み直す」ことである。
行政任せ、政治任せのツケはあまりに重い。
ucoを通じて、ずっと都市のスケールや自治のスケールを問題提起してきたが、再定義された新しいスケール感を取り戻す時間は、それほど多くは残されていない。
<山口 達也>


