公共性は、「公か民か」で決まるのか

進化する自治 vision50
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行政は何のために変わるのか 第4回

――変わる担い手、残る責任

行政が担ってきた仕事を、民間企業や非営利団体など、行政以外の主体が担うことが増えている。

公共施設の指定管理、行政事務の委託、PFIによる施設整備や運営。水道、下水道、ごみ処理、図書館、文化施設、公園など、行政と民間の境界は、さまざまな分野で変化してきた。

こうした変化は、しばしば「民間の方が効率的だ」「公共サービスは行政が直接担うべきだ」という対立として語られる。

しかし、直営か民間運営かは、公共サービスを実現するための方法である。先に問うべきなのは、その事業が何を守るために存在し、どのような状態を公共性と呼ぶのかということではないか。

前回は、行政の成果を見る場所を、行政内部の収支から市民のくらしへ移す必要があると考えた。

自治体の利益とは、自治体に残る金ではない。市民の側に残る豊かさである。

そう考えるなら、行政サービスについても、誰が運営しているかだけでなく、その結果として、市民の側に何が残っているのかを確かめなければならない。

「応募ゼロ」で残ったもの

2026年度からの大阪府立中之島図書館の指定管理者募集に、応募者が現れなかった。

大阪府は、最初の公募に応募がなかったため、条件を変更して再公募した。しかし、再公募にも応募はなく、2026年度は府の直営によって運営することになった。

中之島図書館では、図書館資料の収集、保存、貸出、市町村図書館への支援などは大阪府が担い、指定管理者は施設の維持管理、多目的スペースの運営、文化事業や情報発信などを担ってきた。

府と指定管理者が、それぞれ異なる役割を担っていたのである。

指定管理者に応募がなかったからといって、図書館を利用する市民がいなくなったわけではない。国指定重要文化財である建物を維持する必要も、図書館を文化や情報の拠点として活用する意味もなくならない。

なくなったのは、市民の必要ではない。

行政が示した条件で、その仕事を引き受ける担い手である。

民間事業者は、費用や人員、リスクなどを検討し、事業として成立しないと判断すれば、応募しないことも撤退することもできる。

しかし、市民の必要は、事業者の判断によって消えるものではない。

担い手が見つからなければ、行政は、条件を見直して別の担い手を探すのか、直営に戻すのか、事業の形を組み直すのかを決めなければならない。

実務を外部に委ねることはできる。

しかし、そのサービスを必要とする市民に、最終的にどう応えるのかという責任までは外部化できない。

変わる運営、残る図書館と行政責任

実務の担い手は変わっても、市民の必要と行政の責任は残る。

変わる担い手、残る責任

指定管理や業務委託によって、施設の管理、窓口対応、設備の保守、利用者へのサービス提供などを、行政以外の主体に任せることができる。
それによって、行政が直接行う実務は減る。

一方で、何のために事業を行うのか、どの程度のサービスを保障するのか、どのような条件で誰に任せるのかを決める仕事は残る。
事業が適切に実施されているかを確認し、問題があれば契約や制度を修正する仕事もなくならない。

外部化によって、行政の仕事は消えるのではない。
「自ら実施する仕事」から「設計し、監督し、検証し、修正する仕事」へ変わるのである。

だからといって、行政が直接運営すれば、公共性が自動的に保障されるわけでもない。
行政の都合が優先され、利用者の声が届かないこともある。サービスが縮小されても、その理由が十分に説明されず、市民が検証できないこともある。

反対に、地域団体、NPO、協同組合、文化団体、民間事業者などが、行政だけでは実現できない公共的な価値を生み出すこともある。

公共性は、運営主体の名称によって決まるものではない。
必要な人が排除されず、収益性だけを理由にサービスが切り捨てられないこと。何が行われ、どのような結果が生じたのかを市民が知ることができ、問題があれば修正できること。

こうした状態が保たれているかどうかによって、公共性は確かめられるべきである。
直営か外部化かは、そのために選ばれる方法であって、それ自体が改革の目的ではない。

#公共的な価値は、行政だけが生み出すものではない

公共的な価値

行政
地域・市民
多様な担い手
NPO/協同組合/文化団体/民間事業者

責任を果たす力まで、外部に出していないか

行政に責任が残っていれば、それで公共性が守られるわけではない。
その責任を実際に果たす能力が、行政内部に残っていなければならない。

事業者から報告書が提出されても、それが現場の実態を表しているのか判断できない。提示された費用や人員が適切なのか、行政内部に比較し、検討する知識がない。設備に異常が起きても、事業者の説明を検証できず、必要な対応を行政自身で決められない。

そうなれば、制度上は行政が発注者であっても、事業者の判断に依存するしかなくなる。

外部化が進むほど、行政には、契約を設計する能力、事業者を監督する能力、現場の実態を把握する能力が必要になる。

問題が起きたときに介入し、必要なら別の運営方法へ切り替えられる能力も残しておかなければならない。
その能力は、契約書や業務マニュアルだけでつくられるものではない。

現場で積み重ねられた経験、専門的な技術、過去の事故や判断の記録、地域や利用者との関係。それらが職員から職員へ引き継がれることで、行政は初めて、自ら判断できる。
外部化とともに職員や経費を削減し、こうした知識や経験まで失えば、行政に責任だけが残り、それを果たす力が失われる。

一度失われた技術や組織的な記憶を、必要になったときにすぐ取り戻すことはできない。
直営に戻すという選択肢も、行政内部に担える人材と知識が残っていなければ、実際には選べない。

行政が責任を負うとは、契約上の責任者として名前を残すことではない。
現場を知り、事業者の仕事を評価し、必要な判断を行い、問題があれば事業を立て直せる力を持ち続けることである。

公共性を守る行政とは

公共性を守る行政とは、すべての仕事を自ら行う行政ではない。
しかし、誰かに任せたことで、現場を知らなくなり、判断する力を失い、責任まで曖昧にする行政でもない。

誰が実務を担う場合でも、市民に何が必要なのかを把握する。必要なサービスの水準を決め、実施された結果を確認する。市民がその内容を知り、検証できるようにする。問題があれば介入し、制度や契約を修正する。

そのための人材、知識、情報、権限を行政内部に保持し、最後まで市民に説明する。
行政以外の主体が公共的な役割を担う場合には、その活動が継続できる条件を整えることも必要になる。
地域や市民が行政とともに公共を支えることと、行政が担ってきた仕事を、財源や人材を伴わないまま地域へ押し出すことは同じではない。

行政以外の主体が加わることで公共性が豊かになることはある。
しかし、それを行政サービス削減の穴埋めにすれば、市民参加や協働という言葉によって、行政責任を市民へ移すことになる。

公共性は、行政が独占するものではない。
しかし、行政が手放してよいものでもない。

直営か外部化かは、その事業が何を守るために存在するのかを確かめたうえで選ばれるべきである。
外部化によって必要なサービスや行政の判断能力を守れないのであれば、行政が直接担う必要がある。
行政以外の主体が担うことで、地域により大きな価値を残せるのであれば、行政はその条件を整え、結果に責任を負わなければならない。

問うべきなのは、「公か民か」だけではない。

誰が担う方法なら、市民のくらしに必要なものが守られ、市民がその結果を知り、問題があれば変えることができるのか。
公共性を守る行政とは、その問いに答え続けられる行政である。

では、なぜ自治体がその責任を負うのか。
市民は、行政が提供するサービスを受け取るだけの存在なのか。

次回は、自治体は何のために存在するのか、そして「進化する自治」とはどのような自治なのかを考えたい。

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