正論は正論として。
地区防災計画のスタートラインは、
「まず小さなコミュニティをつくること」
これは、もはや定石中の定石だ。弊社もその定石と方法を問うてきた。
しかし、現実はどうか。
年度末が迫り、3月末までに「今年度の防災訓練」を実施しなければならない。
名簿はある。組織図もある。だが、人と人の関係性は、正直言って盤石ではない。
この状況でよく聞くのが、
「コミュニティができてから訓練をやろう」という声だ。
だが、それは今年度防災訓練をやらねばならない地域では無理な話だ。
今年度は少なくとも発想をひっくり返す必要がある。
コミュニティがないから訓練ができないのではない。
訓練を、コミュニティ形成の“入口”にすることこと。
この割り切りが、年度末訓練を意味あるものに変える。

「ちゃんとした防災訓練」という負担回避
まず、捨てるべき幻想がある。
・フルスペックの避難所運営訓練
・役割分担が明確な本格シナリオ
・防災士主導の完成度の高い訓練
これらは、コミュニティがもう少し成熟してからやるものと考えよう。
コミュニティでの関係性がまだ醸成されていない状態で
フルスペックの防災訓練をやろうとすると、何が起きるか。
- 一部の「できる人」だけが動く
- その他大勢は「見学者」になる
- 終わったあと、誰の記憶にも残らない
つまり、防災訓練をやったのに、防災力も関係性も何も残らない。
年度末訓練で目指すべきゴールは、別にある。
ゴールは「顔と名前が1つ増える」こと
この時期の防災訓練のゴールは、極端に言えばこれだけでいい。
「あ、この人、同じ地域の人なんだ」という認識が、1つ増えること。
防災知識の習得でもない。
完璧な動線確認でもない。
人の存在を知ること。
災害時に本当に効いてくるのは、
「あの人がいるから大丈夫かもしれない」
という、根拠の薄い安心感だったりする。
コミュニティ形成につながる訓練の立て方①
テーマは「作業」ではなく「会話」
訓練内容を考えるとき、
「何をするか」より先に考えるべき問いがある。
この訓練で、住民同士は話すか?
例えば、
- 消火器訓練 → 話さない
- AED講習 → 話さない
- 避難経路確認 → 話さない
どれも大切だが、会話は生まれにくい。
一方で、
- 「この地域で一番怖い災害は何だと思いますか?」
- 「もし夜中に地震が来たら、どこに行きますか?」
こうした問いを、2〜3人の小さな単位で話すだけで、空気は一変する。
防災訓練に、正解があるわけではない。
雑談に近い会話こそが、関係性の種になる。
コミュニティ形成につながる訓練の立て方②
役割を「与えない」、問いを「渡す」
よくある失敗が、
「あなたはこの役」「あなたはあれ」
と、役割を先に決めてしまうことだ。
関係性がない状態で役割を与えられると、人は身構える。
そこで逆にする。
- 「今日は、正解を出さなくていいです」
- 「気づいたことを、そのまま言ってください」
役割ではなく、問いを渡す。
例えば、
- 「ここ、ちょっと不安じゃないですか?」
- 「これ、誰がやると思います?」
この曖昧さが、参加者を“当事者未満”に保ってくれる。
それが、次につながる余白になる。
コミュニティ形成につながる訓練の立て方③
訓練は「未完成」で終わってよい
年度末訓練で、
一番やってはいけないのは「きれいに終わらせること」だ。
・課題が全部整理された
・次の行動が完璧に決まった
それは一見、成功に見える。
だが実際には、続きをやる理由が消える。
むしろ、こう終わらせる。
「今日は、正直まだ何も決まっていません」
「でも、気になることがいくつか見えました」
この「未完」が、次年度の小さな集まり、次の声かけにつながる。
年度末訓練は「防災の完成形」ではない。
だが、今年度の3月末にやる訓練は、
完成形の一歩手前ですらない。
それでよい。
むしろ、
- 知り合いが1人増えた
- 名前は知らないが顔は思い出せる人ができた
- 「また話してもいいかな」と思えた
これが残れば、訓練としては十分に成功だ。
コミュニティは、計画ではつくれない。
だが、場をつくることで、あとから立ち上がってくる。
年度末の苦しい訓練こそ、
その「場」を仕込むチャンスなのだと思う。
そうやって積み上げていくコミュニティは強くなる。
<山口 達也>


