「行政は何のために変わるのか」第2回
「無駄」と見られる余力は、ほんとうに無駄なのか。
ごみは、焼却炉が故障したからといって、出なくなるわけではない。
家庭や事業所からは、その日もごみが出る。収集を続ければ、どこかで受け入れ、処理しなければならない。
2026年7月、大阪広域環境施設組合が運営する西淀工場で焼却炉が故障した。定期整備によって別の焼却炉も停止していたため、大阪のごみ処理に使える能力は少なくなった。
一つの焼却炉が止まったとき、その処理を引き受けるのは、ほかの工場に残されていた能力である。
平常時に使われていない処理能力は、数字の上では「余剰」に見える。施設の稼働率を高め、使わない設備を減らすことが効率化だと考えるなら、その能力は削減の対象にもなり得る。
しかし、定期整備や故障によって焼却炉が止まったとき、使われていなかった能力は、ごみ処理を続けるための力になる。
「無駄」と見られる余力は、ほんとうに無駄なのだろうか。
今回は、大阪のごみ処理体制を手がかりに考えたい。
このシリーズについて
「行政は何のために変わるのか」では、行政改革を市民の側から評価するために、6つの視点から考えてみようと思う。
* 改革とは、何を変えることなのか。
* 行政は、何のためにあるのか。
* 行政は、利益を出す組織なのか。
* 「無駄」と見られる余力は、ほんとうに無駄なのか。
* 効率化によって、社会は何を失ったのか。
* くらしを守る改革とは、何か。
シリーズでは6つの視点を、あらかじめ決められた順番で論じるわけではない。
ごみ処理、下水道、防災、学校、文化施設など、くらしを支える具体的な行政事業を調べ、そこで何が起きているのかを確かめる。その事実から、行政改革を評価するための項目や基準について考えていく。
一つのテーマを複数の記事で追うこともあれば、一つの事業を異なるテーマから検証することもある。
第1回「行政改革で、何が守られ、何が失われたのか」では、行政改革が、削減した予算や職員数、民営化・委託化した事業の数など、「どれだけ減らしたか」を成果として示してきたことを見た。
しかし、行政の仕事には、削減した量だけでは測れないものがある。
今回取り上げるのは、日々のごみ処理を止めないために確保されている処理能力である。
ごみ処理は、止めることができない
ごみ処理は、市民が普段ほとんど意識することなく利用している行政サービスの一つである。
決められた日にごみを出せば収集され、生活圏から取り除かれる。その後、どこで、どのように処理されているかを意識することは少ない。
しかし、ごみは毎日発生する。
一時的に収集できなくなれば、ごみは家庭や集積場所にたまる。夏季には腐敗や悪臭が進み、害虫の発生など衛生上の問題にもつながる。
収集だけを続けても、その先に受け入れる施設がなければ処理は成り立たない。収集、運搬、焼却、最終処分までがつながって、初めて市民生活からごみを取り除くことができる。
だからといって、焼却炉を一年中、休むことなく動かせるわけではない。
焼却炉は、多数の機器や設備から構成される。安全な運転を続けるためには、定期的な点検や整備が欠かせない。部品の劣化や機器の不具合も起こり、修理のために運転を止めることもある。
つまり、ごみ処理は止められないが、ごみを処理する焼却炉は止まる。
この二つを両立させるためには、ある焼却炉が停止しても、別の焼却炉で処理を引き受けられる体制が必要になる。
必要なごみの量を、必要な能力だけで処理する。それだけを考えれば、余分な処理能力は必要ないように見える。
けれども、すべての焼却炉が常に稼働できることを前提にした処理体制では、一つが止まっただけで、ごみ処理そのものが行き詰まることになる。
すべての焼却炉が、いつも動いているわけではない
大阪市、八尾市、松原市、守口市のごみ処理を担う大阪広域環境施設組合は、7工場14炉の焼却施設を保有している。このうち、現在の処理体制を構成しているのは12炉である。
施設組合は、令和7年度に103万トンのごみを焼却処理すると見込んでいる。現在稼働している6工場の公称処理能力は、合わせて日量3,800トンである。ただし、すべての工場、焼却炉を一年中動かせるわけではない。
施設組合への取材によると、通常時でも定期整備によって一つの炉が停止していることが多いという。それ以外にも、各工場ではさまざまな機器の不具合が発生する。
施設組合全体で報告される突発的な故障は、月に20件から30件程度にのぼるという。
この数字だけを見て、ただちに焼却工場が危険な状態にあると判断することはできない。
焼却工場は、焼却炉だけで動いているのではない。ごみを投入する設備、燃焼を管理する設備、排ガスを処理する設備、灰を搬出する設備など、多くの機械によって構成されている。不具合の程度も、短時間で復旧できるものから、運転の停止を必要とするものまで異なる。
多くの設備を点検し、修理や部品交換を繰り返しながら運転を続けること自体が、ごみ処理施設の日常なのである。
一方で、焼却炉の停止を伴う故障が起きれば、その炉で処理するはずだったごみを、ほかの炉や工場へ振り分けなければならない。
今回、西淀工場で故障が発生した際には、ほかの工場でも定期整備が行われていた。計画された停止と、予定していなかった停止が重なったことで、大阪のごみ処理に使える能力は限られた。
故障は突発的に起きる。しかし、故障が起こり得ること自体は、想定外ではない。

「使っていない能力」が、ごみ処理を支える
施設の処理能力に余裕があれば、平常時には使われない部分が生まれる。
何も起きなければ、その能力は使われない。設備の建設や維持には費用がかかるため、稼働率だけを見れば、処理能力をできる限り使い切る方が効率的に見える。
だが、焼却炉の定期整備は必ず行わなければならない。
一つの炉を止めても、ほかの炉で日々のごみを処理できる能力がなければ、整備すること自体が難しくなる。整備のために使われる余力は、非常時だけのものではない。日常的に施設を安全に運転するためにも必要な能力である。
そこに突発的な故障が重なれば、残っている処理能力はさらに少なくなる。
ごみの搬入量が一定であるとも限らない。曜日や季節によって変動し、災害時には、日常の生活ごみに加えて多くの災害廃棄物が発生する可能性がある。
余力とは、何にも使われていない能力ではない。
定期整備を可能にし、不具合が起きた施設の処理を引き受け、ごみ処理を止めないために待機している能力である。
それは、何も起きなかった日には使われない。しかし、何かが起きたときには、市民生活への影響が広がるのを防ぐ。
行政の仕事には、このような性格を持つものが少なくない。
豪雨に備える雨水ポンプ、災害時に出動する職員、感染症の拡大に対応する保健所、救急搬送を受け入れる病床なども、平常時の利用率だけを見れば、使われていない能力があるように見える。
それらを限界まで減らせば、平常時の費用や稼働率は改善するかもしれない。
しかし、事故や災害、感染症などが発生したとき、残された体制で対応できなければ、その影響は市民のくらしへ及ぶ。

約10%という余力
大阪広域環境施設組合への取材では、現在のごみ処理体制には、計画上、約10%の処理余力が見込まれているとの説明を受けた。
この約10%は、大阪が独自に設けた数字ではなく、災害廃棄物を処理する能力を施設規模に見込む国の考え方と関係しているという。施設組合は令和7年に施設の整備・配置に関する計画を改定したが、余力については従来の考え方を維持している。
ただし、この約10%が制度上どのように定められ、国の交付金とどのような関係にあるのかについては、さらに確認する必要がある。
また、災害廃棄物を処理するために見込まれた能力と、日常の定期整備や突発故障に備える能力を同じものとして考えてよいのかも、別に検証しなければならない。
国の考え方に沿った計画であることと、その能力が大阪の施設構成や故障の実態に対して十分であることは、必ずしも同じではない。
今回の記事は、約10%が十分かどうかについて結論を出すものではない。
まず確認しておきたいのは、ごみ処理を止めないためには、平常時の処理量を上回る能力が必要であり、その余力があることによって、定期整備や故障が起きても、ごみ処理を継続できるということである。
行政の効率を、何で測るのか
行政改革では、施設数の削減、職員数の削減、経費の縮減など、減らしたものが成果として示されやすい。
処理能力に対して実際の処理量が少なければ、施設を十分に使っていないようにも見える。施設を集約し、稼働率を高めれば、より少ない設備で同じ量のごみを処理できるかもしれない。
だが、ごみ処理の目的は、焼却炉の稼働率を最大にすることではない。
市民生活から毎日出るごみを、安全に、継続して処理することである。
すべての焼却炉が予定どおり動いているときだけ処理できる体制と、一つの炉が止まっても処理を続けられる体制とでは、市民のくらしを守る力が異なる。
余力は、使われなかったときには成果として現れない。
事故が起きなかった。災害が発生しなかった。感染症が広がらなかった。そのような年には、備えていた設備や人員は、結果として使われないこともある。
しかし、使わなかったことと、必要がなかったことは同じではない。
何も起きなかった日の稼働率だけで行政の効率を測れば、異常時に備える能力は無駄に見えるだろう。
けれども、市民のくらしを支える行政に必要なのは、平常時に設備をどれだけ使い切ったかだけではない。何かが起きた日にも、必要な仕事を続けられることである。
西淀工場の故障は、一つの施設が止まったとき、ほかの施設に残された能力がごみ処理を支えていることを明らかにした。
一方で、大阪に現在どれだけの余力があり、複数の停止が重なった場合にどこまで対応できるのかは、さらに確かめなければならない。他自治体への処理依頼がどこまで行われたのか、広域的な支援体制がどのように組まれているのかについても、引き続き取材する必要がある。
「無駄」と見られる余力は、ほんとうに無駄なのか。
行政改革を評価するためには、削った施設や経費の大きさだけでなく、残されたしくみが市民のくらしを守り続けられるかを問わなければならない。
ucoの活動をサポートしてください

