社会課題の解決を自由な発想で考え、勉強会やシンポジウムでの質疑など、個人にできることを実践する市民さんより、先般の都構想に関するタウンミーティングについて、「【都構想タウンミーティング巡り】で見えた民主主義の危機」と題してレポートいただきました。貴重な現場の声として、ucoでは全4回の掲載を行います。本稿はその第2稿目。
会場ごとに違う「賛成・反対」の定義
「回を重ねるごとにアップデートしてきた」
最終日の囲み会見で語られた通り、序盤のタウンミーティングの問い立ては、適切ではなかった。
たとえば此花区。「万博が楽しかったと思う人」で賛成・反対を募ろうとし、会場からは「関係ない」とブーイング。
平野区や住吉区では、「都構想に賛成か反対か」。
平野区の最後の質疑で、若い人が「都構想がいいか悪いか、わからない。はっきり言ってどちらでもいい」
司会者)「とても良い質疑でしたね」
え? これが維新の望む質疑なの?
会が終わると、スタッフが「こちらで詳しくご説明しますね」とその人をどこかへ連れて行った。
市議団の想定では、賛成・反対を問わず都構想の中身を聞く人には
「まだ何も決まっていない「法定協議会で決める」と答え、
「わからない」と言う人には丁寧に個別対応する。
当初は、それ以上考えていなかったのではないか。
これが市民との対話と呼べるのか?
都構想の中身を聞いて時間を潰してはいけない。
私はこの会の目的である「都構想の設計図を書く法定協議会を開いて良いか」という問いに対し、「今、時期として適切なのか」「プロセスは正しいのか」の二点に絞って、質疑の準備を進めました。
タウンミーティング後半の議論を支えていたのは、複数回足を運び、勉強して臨んだ熱心な市民たちです。市民側が議論を引っ張っていかないと、まともな議論すら成立しない。情けないな、と思ったのでした。
議論のすり替えと届かない危惧
雰囲気が変わったと感じたのは、中央区。
「府市一体改革に賛成か反対か」。
私はキリシタンの踏絵のように「賛成」として質疑の機会を得ました。
大阪の都市計画を府市一体で進めることには賛成です。過去2回の都構想にも、賛成票を投じてきました。しかし、2回目の否決後に「府市一体条例」が施行され、二重行政がほぼ解消された今、「都構想」の必要性を感じなくなっていました。
それよりも気になるのは世界情勢です。大阪の貴重な予算と時間を、今、都構想の議論に割くことが、果たして適切なのか、問いたかったんです。
(私の質疑)
「私は大阪の発展を願って、過去2回賛成してきましたが、3回目があるとしたら強く反対します。
中東戦争によるエネルギー価格高騰で更なる物価高は避けられません。
あちこちで開発中の工事費がどれだけ膨らむのか、全く予想がつきません。
世界情勢がこれほど激変しているのに、同じ未来予想図を語り続ける吉村知事は、危機管理意識が低いのではないかと不信感を感じています。
質問です。
エネルギー価格が高騰しても、現在進めている全ての開発工事が、予定通りに、市民に負担をかけずに進むとお考えでしょうか?
先日、タウンミーティング後に府議に質問したら、「物価高対策の予算をとっているから大丈夫」と言われました。質問の意味も理解してもらえなくて残念でした。」
(その回答)
「中東情勢の影響は、都構想のあるなしに関係なく起こる。だからこそ、強い大阪を作るために都構想を進めたい」 ・・・。
一往復で遮られる対話
私は「開発中の工事費が膨れ上がるリスクを考えているのか」と聞いているのです。強い大阪を作る前に潰れてしまう。
15年後の未来を描く前に、半年後の危機を考えてほしい。
しかし、質疑は一往復というルール。
私の訴えは、不規則発言として遮られてしまいました。
今後開発中の工事が止まり、工事費がさらに膨らんだとしても、
「世界情勢のせいであり、維新のいではない」と言うのでしょう。
リーダーの「責任」とは何か
「なにわ筋線の総事業費が、従来の計画より約2倍の試算」
たった8年で予算は倍に膨らみました。

完成まであと5年。世界情勢の激変を考慮せず、「6500億円から大幅にズレることはない」(4月30日知事会見より)と言い切ってしまっていいのでしょうか。
最悪の事態を想定して舵を切るのがリーダーの役割ではないでしょうか?
会場で感じたのは、そんな「未来への責任感」の欠如でした。
私が問いかけたのは「独裁への危惧と「白紙委任」への拒否」でした。
次回、【第3回:私たちが求めているのは民主的なプロセス】とは
【都構想TM巡り②】第2回:届かない危惧、噛み合わない「対話」
市民/Civic Steering Osaka
2026年5月16日

