なぜ枚方市駅前再開発は「タワーマンション+市有地売却」になったのか
──条例が先に走り、都市のビジョンが置き去りにされた理由を考察してみたい。
枚方市駅前の再開発をめぐる議論は、いつの間にか
「タワーマンションを建てるのか、建てないのか」
「市有地を売却してよいのか、悪いのか」
という二項対立に回収されつつある。
しかし、少し距離を取って見ると、これは“結論”の議論であって、
「なぜその手法に行き着いたのか」 という問いが、ほとんど共有されていないことに気づく。
第1回で見たように、枚方市駅前は
ターミナルでありながら衰退し、
再び「何とかしなければならない場所」になった。
では、なぜその“打ち手”が
タワーマンション+市有地売却
という、全国で見慣れた再開発モデルになったのか。
ここには、枚方市だけの問題ではない、
日本の自治体が人口減少期に陥りがちな構造がはっきり表れている。
再開発が「都市論」ではなく「財源論」となった
本来、再開発とは都市の将来像から逆算して行われるべきものである。
- 枚方はどんな都市でありたいのか
- 駅前は何を担う場所なのか
- 公共施設はどこに集約すべきか
こうした問いが最初に置かれるべきだった。
しかし現実には、議論の出発点は別のところにあった。
それは
「老朽化した公共施設をどう更新するか」
「その財源をどう確保するか」
という、きわめて切実で、しかし限定的な問題である。
市役所、市民会館、駅前の公共空間。
どれも更新が必要だが、財政余力は乏しい。
このとき多くの自治体が選ぶ思考回路は、ほぼ共通している。
「使っていない、もしくは低利用の市有地を売却し、
民間資金を呼び込むことで、再整備を進められないか」
この瞬間、再開発は
都市のビジョンではなく、資金調達の手段として語られ始める。

なぜ「タワーマンション」なのか
──再開発制度が自然に導く“定番解”
では、なぜ数ある開発手法の中でタワーマンションが選ばれやすいのか。
理由は単純で、制度的に「最も成立しやすい」からである。
- 床を積めば積むほど、事業収支が合いやすい
- 分譲であれば、短期的に資金回収が可能
- 再開発組合方式・市街地再開発法との相性が良い
- 自治体は初期投資を抑えられる
つまり、
行政にとっても、事業者にとっても、
「説明しやすく、成立させやすい」手法なのである。
とくに人口減少期の地方都市では、
商業施設やオフィス単独では採算が合わない。
結果として、
「住宅(しかも高層)を核にする再開発」
が半ば自動的に選択されていく。
枚方市駅前の再開発も、
この全国共通の流れの中に位置づけられる。

市有地売却という“重い選択”
もう一つの柱が、市有地の売却である。
市有地売却というと、
「公共の財産を切り売りするのか」という感情的な反発が起こりやすい。
だが、制度上は決して珍しいことではない。
実際、多くの自治体が再開発の原資として市有地を活用してきた。
問題は、売却そのものではない。
問題は、
- 何のために売るのか
- 売却後、その土地は都市に何をもたらすのか
- 二度と戻らない公共資産を手放す覚悟が共有されているか
という点が、十分に語られていないことにある。
枚方市駅前の場合、
市有地売却は「再開発を成立させるための条件」として語られ、
都市の将来像と結びついた説明が極端に弱い。
その結果、
市民の側には
「お金がないから売るのか」
「タワマンを建てるために売るのか」
という不信感が残る。
条例が先に進み、ビジョンが後追いの危うさ
ここで重要なのが「条例」という存在である。
再開発を進めるためには、
- 都市計画決定
- 再開発関連条例
- 財産処分に関する議決
といった、法的な枠組みが不可欠になる。
問題は、
条例は「手続きの正当性」を担保するものであって、
「都市の意味」を説明するものではない、という点である。
ところが現在の議論では、条例の整備=計画が進んでいる証
のように扱われてしまっている。
都市の将来像が共有されないまま、制度だけが前に進む。
これは、
「やり方は整っているが、行き先が見えない」
再開発の典型的な症状である。
「人口減少なのにタワマン?」という違和感の正体
市民の多くが感じている違和感は、実はとても健全だ。
- 人口は減っていく
- 空き家は増えている
- 公共施設は縮小が求められている
その一方で、駅前に高層住宅を建て、さらに人口を呼び込もうとする。
この矛盾は、
「人口を増やすための再開発」
「都市を最適化するための再編」
という二つの発想が混同されていることから生まれる。
枚方の再開発は、どちらを目指しているのかが曖昧なまま、
前者の手法だけが選ばれている。
ここに、議論が噛み合わない最大の原因がある。
再開発は「失敗」ではない
──ただし、問いの立て方を間違えている
ここで強調しておきたいのは、
再開発そのものが悪なのではないという点である。
タワーマンションも、市有地売却も、
あくまで“手段”にすぎない。
問題は、
「何のためにやるのか」という問いが共有されないまま、
手段だけが具体化してしまったことである。
その結果、
- 市民は納得できない
- 議会は慎重になる
- 行政は説明に追われる
という、消耗戦の構図が生まれているのだ。
第2回のまとめ
枚方市駅前再開発が「タワーマンション+市有地売却」という形を取ったのは、
特別な暴走ではなく、人口減少期の自治体が陥りやすい“制度的必然”である。
しかし、その必然を受け入れる前に、本来問うべきことがあった。
枚方市駅前は、どんな都市の中心であるべきなのか。
その問いが置き去りにされたまま、条例だけが前に進んでいる。
次回、第3回では、
「そもそも枚方には都市核のビジョンがあるのか」
──老朽化する市役所と旧市民会館を軸に、
“中心を失った都市”という問題を掘り下げる。
<山口 達也>


