特別区にすれば解決するのか
大阪の都構想をめぐる議論では、しばしば「東京のようにすればよい」という言い方がなされる。しかし、この比較は本質的な前提条件を見落としているという指摘を本稿では繰り返してきた。
東京と大阪は、同じ大都市であっても、その構造が大きく異なるのである。
まず確認すべきは、面積の構造である。
東京都の面積は約2,194㎢である。そのうち、いわゆる東京23区の面積は約627㎢を占める。割合にすると、約28.6%である。すなわち東京都の約3割が、23区という中心部で構成されている。
一方、大阪府の面積は約1,905㎢である。そして大阪市の面積は約225㎢である。割合にすると約11.8%、およそ1割強にすぎない。

この差は単なる数字の違いではない。都市構造の違いそのものである。
東京は、23区という広い中心領域を持つ都市である。政治、経済、文化の主要機能の多くがこの範囲に収まっている。23区は単なる行政区ではなく、それぞれが一定の都市機能を持つ“都市の集合体”として成立している。
例えば、新宿区、港区、千代田区などは、それぞれが独立したビジネス・行政・文化の拠点である。人口規模も数十万人単位であり、自治体としての自立性が高い。
つまり東京においては、「区であっても都市」である。
これに対して大阪は構造が異なる。
そもそもの構造が異なる大阪市
大阪市は確かに大阪府の中心であるが、その面積は府全体の一部にすぎない。さらに重要なのは、都市機能の集積がよりコンパクトである点である。例えば中央区や北区などに経済機能が集中しており、市域全体が均等に都市機能を持っているわけではない。
この状態で大阪市を分割した場合、どうなるか。
仮に4つの特別区に分割した場合、単純計算で1区あたりの面積は約50〜60㎢程度となる。人口もおよそ60万〜70万人規模になると想定されるが、都市機能の偏在を考えると、各区が自立した都市機能を持つとは限らない。
つまり大阪においては、「区は生活単位になりやすい」が、「都市としての自立性は弱くなりやすい」可能性が非常に高いのである。
それは端的に「大阪市を廃止し特別区を設置する住民投票」(いわゆる都構想)の際、都市機能の集まる北側が賛成したのに対し、都市機能が弱い南側が反対票が多かったことに、都市の成り立ちに対する大阪市民の感性が現れたように感じる。

ここに、東京モデルとの決定的な違いがある。
さらに重要なのは、財政構造である。
大阪と東京の財政状況
東京都の一般会計はおおよそ15兆円規模である。そして23区全体の予算規模は合計で約9兆円前後とされている。つまり、財政規模で見ても、23区は都全体の約6割程度を占めている。
この背景には、都区財政調整制度がある。固定資産税や法人住民税などの主要税源を一度都が集約し、それを特別区に再配分する仕組みである。この制度により、各区は基礎自治体として十分な財政規模を確保している。
すなわち東京では、「集中」と「再分配」がセットで設計されている。
一方、大阪の都構想において想定されていた財政構造はこれとは異なる。
試算によれば、大阪府の財政規模は約5兆円程度、特別区の合計は約2.5兆〜3兆円程度とされていた。割合としては、特別区側は約35〜40%程度にとどまる。
つまり大阪案では、東京よりも明らかに「府への集中」が強い構造であった。
この違いは、自治の質に直結する。
新たな大阪モデルの必要性
東京では、特別区がある程度の財政と権限を持ち、自立した基礎自治体として機能する。一方、大阪案では、特別区は生活行政に特化し、広域行政に依存する度合いが高くなる。
これは設計思想の違いである。
東京モデルは、「広域と基礎のバランス型」である。
大阪案は、「広域集中型」である。
どちらが良い悪いではない。しかし同じ「特別区」という言葉で語ることはできない。これを同じように説明する現状の大阪の首長には、非常に恣意的な誤解を内在させながら誤魔化そうという意図が感じられる。
大阪は昔から東京嫌いという感覚がありつつ、東京に追いつき追い越したいという思いもある。少なくとも「特別区」という名称を使って、そういうマインドをくすぐらせるのは、もう情報操作に近い。
東京は広い中心部を持つ都市であり、大阪はコンパクトに機能が集積した都市である。面積、人口密度、産業配置、歴史的発展過程。これらすべてが異なる。
したがって、本来は統治構造も異なるべきである。
にもかかわらず、「東京と同じように」という議論が成立してしまうのは、制度の名前が同じだからである。特別区という言葉が、あたかも同一の制度であるかのような印象を与える。
しかし実態はまったく異なる。
東京の特別区は、都市の集合体である。
大阪の特別区は、それを模しているようで、実態は生活単位の集合体になる可能性が高い。
この違いを無視した議論は、必ずどこかで破綻する。
都構想が二度否決された背景には、この「前提の違い」が肌感覚としてあったからではないかとも思われる。
都市の設計は、コピーでは成り立たない。
重要なのは、「東京と同じかどうか」ではなく、「大阪に合っているかどうか」である。
広域は広域として強くする。
生活は生活単位で強くする。
このバランスをどう設計するかこそが、本来の論点である。
東京と大阪は同じではない。
そして、同じである必要もない。
この当たり前の事実から出発することが、次の政治の第一歩である。
<山口 達也>

