私の中での祝祭としての盆踊り
最近、「祭」という言葉に触れるたびに、胸の奥が少しざわつく。
にぎやかで楽しいものではあるのだけれど、そこに“祝うこと”が見当たらない、という違和感のようなものだ。
私は、子どもの頃ひっそりと育んでいた祝の記憶を、まだ手放しきれずにいる。
夕暮れの路地に太鼓の音が染み込み、屋台の光が石畳を照らす。
けれど幼い私が動かされていたのは、賑わいそのものではなく、その直前にある静けさだった。
母が台所で言う「今年も盆踊りが迎えられたね」。
それだけで、家族の健康、地域のこと、そして祖母の不在までもが、ひとつの線となって背中に流れ込んでくる。
あの一言こそ祝だったと感じている。
誰かに見せるものでも、誰かに伝えるためのものでもなく、
自然と人と家族がそっと息を合わせるための“合図”だったのだと思う。
今、私は大阪という都市で暮らしている。
大都市であり、どこまでも動き続ける場所。
それでも、なぜかこの街の片隅で、あの祝の手触りを思い出すことがある。
藤井風「まつり」ミレパ「BON DANCE」
そんな気持ちがどこかで伝わったのだろうか、アーティスト藤井風さんの「まつり」、常田大希さんが率いるミレニアムパレード(通称ミレパ)の「BON DANCE」(要するに盆踊り)には少なからず衝撃を受けた。まだ聴いたことがない方は、その歌詞を読んでほしい。
大瀧詠一「ナイアガラ音頭」
そういえば、シティポップ全盛時代に聴いた大瀧詠一のナイアガラ・トライアングルに収められている「ナイアガラ音頭」も相当衝撃だったことを思い出した。
まさに祝祭性を音にした感じだった。
祝を取り戻すために、何かを復活させる必要はない
祝とは、形式ではなく実感から立ち上がる。
だから単に「昔ながらの祭を蘇らせよう」という話ではないし、
宗教的な儀式を復興させようというわけでもない。
むしろ逆で、
小さな恵みに気づくところから自然と祝は芽生える。
藤井風の「まつり」にはそういう気持ちを歌っている。
この“実感”こそ祝だと思う。
特別な準備もいらず、誰に見せる必要もない祝。
あるいは、友人と味噌を仕込んだ日のことも忘れられない。
大豆を潰し、麹と混ぜ、樽に押し込む。
ただそれだけの作業なのに、
半年後の「できてるやん!」という笑いには、
言葉にしなくても伝わる祝があると思う。
祝のあるところには、
自然と人が集まりやすいし、
会話が生まれやすいし、
知らない者同士でも微妙に距離が縮まる。
それを無理に“地域コミュニティの再生”などと呼ぶ必要はない。
もっと淡い、軽やかなつながりでよい。
それでも、そうした祝の時間が積み重なると、
人は「ここにいていい」と思える。
その「いていい」という感覚は、
実は自治の根っこに静かにつながっている。
しかしそれを声高に語ることはしない。
これらの”祝”はもっと静かなものだからだ。
祝は“おおらかさ”と親和性が高い
大阪には、細かい境界にとらわれない気風や、
「ええやん、それで」と受け入れる柔らかさがある。
この気質は、祝を生んでいく上でとても良い土壌になる。
・誰かが漬物を漬けはじめたら、気軽に混ざっていける
・誰かが路地でコーヒーを飲んでいたら、ふらっと隣に座れる
・誰かが「今日ええことあってん」と言えば、すぐに場がゆるむ
大阪の街では、こうした“小さな祝”が自然発生しやすかったように思う。
祝とは本来そういうものだった。
特別な空間で行われる儀式ではなく、生活の延長でふと立ち上がるもの。
まちの力を信じ直すこと
大阪は大都市ゆえに、希薄さや孤立も生まれやすい。
それでも街角には、祝に変わる瞬間が確かにある。
ベンチで缶コーヒーを飲む誰かの深いため息。
河川敷で風に吹かれる自転車の並び方。
商店街の店主が誰かに手を振る一瞬。
それらをただの風景として流してしまえば、ただの都市。
そこに祝を見つけられるなら、大阪はもう少しだけ、柔らかい場所になる。
私は、大阪に流れるその小さな祝の気配を拾い集めたい。
大げさな計画ではなく、だれに指示されるものでもなく、日々の実感の中にそっと灯る祝。
それを拾い上げる人が増えれば、
この街はゆっくりと、しかし確かに“よい方向”へ滲み出すように変わっていくのではないか。
進化する自治とは、その街をどう運営するかという話ではなく、その街に祝を見つけられる人がどれだけいるかという、ごく静かな問いを立て、それを信じ直すことがスタートラインなのかもしれない。
<山口 達也>


