行政といっしょにやろうとすると感じる空気。
「ほかの区ではやっていません」
「この区だけというのは難しいですね」
「24区で揃える必要があります」
必ずしも、そう明言されるわけではない。しかし、大阪市や区役所と地域のことを話していると、確かに存在する感覚である。誰かが明確に禁止しているわけではない。条例に「24区は同じことをしなければならない」と書いてあるわけでもない。
それでも新しい提案をすると、かなり早い段階で、
「他区ではどうしているのか」
という問いが出てくる。
私は、この感覚が以前から気になっている。大阪市には24の区がある。しかし、その24区は同じではない。都心部もあれば湾岸部もある。古くからの住宅地もあれば、マンション建設によって人口構成が大きく変わっている地域もある。高齢化率も、子どもの数も、外国人住民の割合も、商業集積も違う。
当然、地域が必要としているものも違う。それなのに、行政だけが横並びである必要があるのだろうか。
福島区には8万人が暮らしている
私が暮らしている福島区には、およそ8万人が暮らしている。8万人という人口は、決して小さくない。全国を見れば、それより人口の少ない市はいくらでもある。大阪府内でも、柏原市は6万人台で一つの自治体を形成している。
柏原市には市長がいて、市議会があり、その地域のための予算があり、市として文化、福祉、教育、都市整備などを考える。
一方、福島区は8万人いても、大阪市24区の一つである。もちろん区役所があり、区長もいる。区民センターもある。地域活動も行われている。しかし、8万人の人が暮らす一つの地域として見たとき、
「福島区だから、これをやっている」
と言えるものが、もっとあっていいのではないかと感じる。
以前、箕面市の市民施設を訪れた際、市民が運営に関わり、自ら企画を考えている様子を見たことがある。
そのとき、同じ「市民のための施設」でも、使われ方はここまで変わるのかと思った。
市民センターが単なる貸館ではなく、「自分たちの地域で何をするのか」を考える場になっている。福島区でも、本来はもっとできるはずなのである。
では、なぜそうならないのか。
私は、区役所職員の能力や熱意の問題だとは思っていない。むしろ、個人の熱意では越えにくい構造があるのではないかと思っている。
「公平」と「同じ」は違う
行政には公平性が求められる。
これは当然である。
同じ条件の市民に、合理的な理由もなく異なるサービスを提供することは許されない。しかし、
公平であることと、同じことをすることは違う。
ここは区別しなければならない。子どもが急増している地域と、高齢化が進んでいる地域では必要な施策が違う。都心部と湾岸部でも違う。商業地と住宅地でも違う。同じサービスを同じ量だけ提供することが、必ずしも公平とは限らない。
ところが、大きな行政組織では「違うことをする」方に説明責任が発生する。なぜ福島区だけなのか。他の区から同じ要望が出たらどうするのか。前例はあるのか。市役所の担当局と整合しているのか。
そうやって確認を重ねていくと、最も安全な結論はだいたい決まってくる。
前と同じことをする。
誰も「新しいことをするな」と言っていない。しかし、新しいことをすれば説明が必要になる。失敗すれば責任が発生する。一方、従来どおりにしていれば、大きな説明を求められることは少ない。
この差は大きい。
だから行政は、制度上は独自性を認められていても、実際には横並びへ引っ張られていく。
問題は「区役所に権限がない」だけではない
ここで単純に、
「ならば区役所にもっと権限を渡せばいい」
と考えたくなる。しかし、私はそれだけでも解決しないと思う。大阪市はこれまでも、区長に一定の裁量を与え、地域特性に応じた区政を進めようとしてきた。問題は、形式的な権限だけではない。人事、財政、制度、専門部署との関係まで含めて見なければならない。区長や区役所職員は、大阪市という組織の中で働いている。人事権を持っているのは大阪市である。予算の大きな枠も市全体で決まる。福祉、道路、公園、都市計画、教育など、多くの専門領域は市役所の各局が所管している。つまり区役所には「地域らしさを出してください」と求めながら、その地域らしさを継続して実現するための、人・金・制度を完全に握っているわけではない。
ここに大きなねじれがあり、このねじれが、別の現象を生む。
大阪市が「区ごとの特色を出そう」と考えること自体は悪くない。むしろ積極的に新しいことをしようとしている。ただ、そのときに、
「できるだけ新しいことを」
「できるだけ予算をかけずに」
という方向へ向かうと、区役所ができることは限られてくる。大きな制度変更はできない。恒常的に職員を増やすことも難しい。長期的な予算を確保できるとは限らない。そうなると、実行しやすいのは単発企画である。
イベント。キャンペーン。講演会。期間限定の取り組み。SNSを使った企画。
もちろん、こうした事業にも意味はある。しかし、「新しいイベントを一つ始めた」ということと、「地域の仕組みが変わった」ということは全く違う。一年だけ盛り上がったとしても、翌年担当者が異動すれば終わる。予算がなくなれば終わる。地域に担い手が残らなければ終わる。それでは「独自性」ではなく、単発の装飾に近い。
区役所職員のやる気の問題ではない
こういう状況を見ると、
「区役所の職員はもっと積極的に動けばいい」
と思う人もいるかもしれない。
しかし私は、そういう問題ではないと思う。むしろ、長く行政と付き合っていると、職員が消耗していく理由の方がよく分かる。新しいことを考える。関係部署と調整する。市役所の局と協議する。法令や財政面を確認する。地域団体とも話す。
ようやく事業を始めても、翌年度に継続できる保証はない。
担当者自身が数年後に同じ部署にいるとも限らない。それでも成果だけは求められる。これでは、
「余計なことをしない方が安全だ」
と考える職員が出てきても不思議ではない。それを「やる気がない」と片付けるのは簡単である。しかし、本質はそこではない。
熱意を出すほど仕事と調整が増えるのに、その人自身が持つ権限は増えない。
そして、長期的に地域を変える制度をつくろうとすると、自分の部署だけでは完結しない。これは個人の問題ではなく、組織の構造の問題である。
「挑戦を評価する」では解決しない
そこで、「新しいことに挑戦した区長を評価すればいい」という考え方も出てくる。しかし、私はこれにも慎重である。なぜなら、その区長を評価するのも、結局は市長であり、大阪市という組織だからである。上から、
「もっと挑戦しなさい」
「独自性を出しなさい」
と評価項目を増やしたところで、現場の自由度が高くなるとは限らない。むしろ、
「予算は増やせないが成果は出してほしい」
という圧力を強めるだけになる可能性がある。すると、また単発企画が増える。新しいイベントを始める。何か目立つことをする。そして翌年度には別の企画に移る。これを繰り返しても、地域に何も残らない。必要なのは、「新しいことをしたか」を評価することではない。
地域に何が残ったのかを見ることだと思う。
担当者が替わっても続くのか。市民側に担い手が育ったのか。制度として定着したのか。5年後にも存在するのか。そこまで見なければ、本当の意味での独自性にはならない。
区役所に必要なのは「始める自由」より「続ける力」
私はここが重要だと思う。地域に独自性を持たせるために必要なのは、
「好きな企画を一つやっていいですよ」
という自由ではない。
続けられる力である。
例えば、区民センターで市民公募による運営組織をつくる。そこに毎年一定額の自主企画予算を持たせる。単年度の実験ではなく、数年間継続して成果を見る。行政職員が異動しても、市民側の組織が残る。必要であれば専門家も参加する。そうやって時間をかけて地域の仕組みを育てていく。これならば一回限りのイベントとは違う。
文化になる。人が育つ。地域の特徴になる。つまり本当に24区を24色にしたいなら、区役所に必要なのは「目立つ企画をつくる権限」ではなく、
地域の仕組みを育て続けられる裁量、予算、人材である。
市役所と区役所の役割を逆転して考える
そのためには、市役所と区役所の関係も変える必要がある。
現在の関係では、市役所側が基準をつくり、区役所がその中で動くという構造になりやすい。しかし、地域ごとの違いを本当に生かすなら、市役所の役割を少し違うものとして考えてもよい。市役所は、
「他区との整合性が取れているか」
を確認するだけの場所ではなく、
「この区がやりたいことを実現するために、何を支援できるか」
を考える。法務。財政。契約。専門技術。情報システム。人材。
こうしたものは大阪市全体で持つ。一方、何を優先するかは地域に近いところで決める。言い換えれば、
大阪市役所は24区を統制する本部ではなく、24区を支える共通基盤になる。
この関係に近づける方がよいのではないか。
「ほかの区でやっていない」は、むしろ理由になる
私は、行政内部の問いの順番を変えるだけでも大きいと思う。今まで、
「ほかの区でやっていますか」
と聞いていたところを、
「この地域には必要ですか」
から始める。必要なら、一つの区だけで始めてみる。福島区だけでやってもいい。一年で成果が出なければ三年見る。うまくいかなければやめる。うまくいけば他区が真似をする。大阪市には24区ある。これは24区を揃えるためだけの仕組みではない。見方を変えれば、
24通りの試みができる都市である。
福島区でうまくいったことが、西区でも使えるかもしれない。西成区で生まれた仕組みが、平野区でも役に立つかもしれない。他区と違うことを問題にするのではなく、他区と違うからこそ試す。そして成果が出たら共有する。その方が、巨大な大阪市という組織を生かせる。
大阪市を小さくすればよいわけではない
ただし、この議論を、
「だったら大阪市を分割すればよい」
という話には直結しない。大阪市という大きな行政単位には、大きいからこその強みがある。専門職を抱えられる。大規模インフラを維持できる。都市全体で財政を支えられる。さまざまな地域にいる人材を共有できる。
人口8万人程度の単位にすべてを分割すれば、今度は行政にも市民活動にもマンパワー不足が起きる可能性がある。市民活動について考えても、8万人全員が地域運営に関わるわけではない。継続して会議に参加できる人。企画ができる人。会計ができる人。広報ができる人。専門知識を持つ人。実際の担い手となると、その数はかなり限られる。
だから私は、大阪市という器を残しながら、その中で地域が動ける仕組みをつくる方が現実的だと思う。
大きな大阪市と、小さな意思決定は両立できる。
むしろ、その両方を持つことが大都市の強みではないだろうか。
24色とは、イベントの色ではない
大阪市が24区それぞれの特色を大切にするのであれば、私は「24色」という言葉をもっと深く考えてみたい。
24色とは、イベントのポスターの色が違うことではない。区ごとに違うキャッチコピーをつくることでもない。今年だけ違う企画をすることでもない。そこで暮らす人たちが、
「この地域では、こういうことを大切にしている」
と感じられること。そのための制度や活動が続いていること。行政職員が替わっても残ること。市民自身が関わっていること。それが地域の色になるのだと思う。
だからこそ必要なのは、
「もっと独自性を出せ」
と区役所に要求することではない。
独自性が育つまで続けられる構造をつくることだ。
市役所が人事も制度も予算も握ったまま、区役所にだけ「地域らしさ」を求めても、職員は疲弊する。単発企画が増える。そして数年後には忘れられる。そうではなく、市役所は支える。区役所は地域と一緒に考える。市民は参加するだけではなく、運営にも関わる。そして一度始めたものを、時間をかけて育てる。
「ほかの区ではやっていません」
と言われたとき、それを断る理由ではなく、
「だから、ここで試してみる価値がありますね」
と言える大阪市になったらどうだろう。
24区が本当に24色になるのは、そのときなのかもしれない。


