
大阪府警 道路交通法(自転車)の法改正より引用
この国はどこへ向かおうとしているのか
2026年4月1日、自転車に対する交通反則通告制度、いわゆる「青切符」が施行された。十六歳以上の自転車利用者を対象に、信号無視や一時不停止、ながらスマホといった違反行為に反則金が科される制度である。
だが、この改正をめぐっては、国民の多くが釈然としないまま施行日を迎えたというのが実情ではないか。ここに、ひとつの違和感を覚えずにはいられない。
道路は整備されないまま、罰則だけが先行する
まず指摘しておきたいのは、自転車が安全に走行できる道路インフラが、この国ではいまだに整っていないという事実である。
自転車専用レーンは都市部の一部に申し訳程度に引かれているにすぎず、地方に至っては存在すら稀である。
歩道を走れば歩行者の妨げとなり、車道を走れば自動車との接触の危険にさらされる。この八方塞がりの状況下で、「ルールを守れ」と一方的に罰則だけが課されるのは、はたして公正な行政のあり方と言えるのだろうか。
法律であるから従え、というのは確かに道理ではある。
しかし、従ったほうがかえって危険になるような道路事情が現実に存在する以上、その道理は揺らぐ。狭い車道で大型車両のすぐ脇を走るのと、整備された自転車レーンを走るのとでは、リスクの質がまったく違う。法を作る側には、まず安全に法を守れる環境を用意する責務があるはずだ。順序が逆ではないか。
なぜこのような見切り発車が行われたのか。
「自転車」をひと括りにする乱暴さ
もうひとつの違和感は、この制度が「自転車」というものをあまりにも一律に扱っている点にある。
時速10キロにも満たない速度でゆっくりと走る(私のような)高齢者の自転車。
前後に子どもを二人乗せ、重量のある電動アシスト自転車を必死にこぐ母親。
時速40キロ近くで走り抜けるロードレーサー。
そして、買い物帰りのごく普通のママチャリ。
これらすべてを同じ土俵に乗せ、同じ尺度で取り締まろうとする発想には、現場感覚の欠落を感じる。
走行特性も、危険性の質も、運転者の事情もまったく異なる多様な「自転車」を、ただ「自転車」というカテゴリーで一括りにする。そこに見えるのは、現実を踏まえない机上の論理であり、「とにかく取り締まる」という結論ありきの姿勢である。理不尽であっても法律だから従え、という国家権力の横暴を感じてしまう人がいても、それは決しておかしなことではない。
タイミングの「きな臭さ」
そしてもうひとつ、見過ごせない点がある。それは、この道交法改正が施行された時期と、別の重大な政策転換とが妙に重なっていることだ。
2026年4月21日、政府は防衛装備移転三原則と運用指針を改定し、殺傷能力のある武器の輸出に課されていた「五類型」の制約を撤廃した。
戦闘機や護衛艦といった殺傷兵器の完成品輸出に、原則として道を開いたのである。戦後日本が長く守ってきた「武器を輸出しない国」という枠組みが、国会での十分な議論もないまま閣議決定で書き換えられた。
世論調査では「認めるべきでない」が過半数を占めていたにもかかわらず、である。
国民の身近な生活には罰則を強化して締め付け、その一方で、国家としての重大な政策転換は議論を尽くさぬまま進めていく。この対比に、強い違和感を覚えるのは私だけだろうか。
「ルールを守らせる」という名目で市民の足元から統制を強め、「安全保障」という名目で国際社会への武器輸出に踏み出していく――一見無関係に見えるこの二つの動きが、同じ春に重なって進行している事実は、何かしらの「きな臭さ」を漂わせる。
世界情勢が緊迫の度を増し、各国が軍備を拡張するなかで、日本もまた静かにその列に加わろうとしている。そのとき、市民を従順にしておく仕掛けが整えられているとしたら――そう穿った見方をしたくなる気持ちを、私は抑えきれない。
法を尊重するために、議論を尽くすこと
誤解のないように言えば、自転車のマナー違反を擁護するつもりは毛頭ない。
信号無視や「ながらスマホ」は明らかに危険であり、取り締まりの必要性は理解する。問題は、施策の中身ではなく、その進め方にある。
道路整備という前提条件を満たさず、自転車の多様性を考慮せず、国民の理解醸成も後回しにして、罰則だけを先行させる。
それは「法治」というより「強制」に近い。
そして、本来であれば数十時間の国会論戦と数週間の社説論争に値する武器輸出の解禁が、ほとんど議論されないまま閣議決定で通過していく。この国の意思決定のあり方そのものに、ゆがみが生じてはいないか。
法を尊重する社会を望むからこそ、法をつくる過程と運用の妥当性に目を向けたい。その視点は「自治」自らが考え治めるという発想の原点である。
違和感を違和感のまま忘れ去ってしまうことが最も恐ろしい。
碁の一手のように、言葉にして残しておくこと――それが、平凡な市民にできるささやかな抵抗であり、2026年4月最後の日にコラムとして残す。
青切符を切られないように気をつけながらペダルを踏む。その日常の片隅で、私たちはこの国の輪郭が静かに変わっていくのを目撃しているのかもしれない。
<山口 達也>

