前回まで、大阪の選挙制度が実質小選挙区制に代えられてしまい、かつその制度が生む政治文化と、その土壌の上に成立した大阪の政治構造について見てきた。
大阪では長く「強い政治」が支持されてきた。
その強さとは、既存制度を壊し、新しい構造を作り直す力であった。
この十数年の大阪政治は、確かに大きく変化した。
行政改革、議会改革、そして統治構造の議論という名の下、これまでの制度は破壊されてきた。
既存政治の打破という意味では、確かに強いエネルギーが働いたのは事実である。
しかし、いま大阪は別の段階に入っている。
二度否決された大阪市廃止
都構想という大阪市を廃止して特別区分割する案が住民投票で二度否決されたことは象徴的である。これは単に賛否が分かれたということではない。大阪の政治が次の段階に進む入口に立ったということでもある。
以下は202年時点2回目の大阪市廃止特別区配置案
https://www.city.osaka.lg.jp/fukushutosuishin/cmsfiles/contents/0000541/541015/4tokubetukuseido_an_1-10.pdf



破壊の改革は進んだ。
しかし、その後の完成形はまだ見えていない。
この状態はしばしば「停滞」と言われる。しかし本質的に停滞ではなく後退であり、むしろ「未完」である。改革の第一章が終わり、第二章の設計思想がまだ見つかっていない状態である。
既存のシステムを破壊したあと、その後のシステムはことごとく失敗している。破壊は簡単だが、構築は時間も今期も予算も情熱も必要だからだ。
例えば、大阪公立大学。
森ノ宮キャンパスで完結する学部は非常に少ない。3年生になると、杉本町や中百舌鳥キャンパスに移動となる。関西圏以外から公立大学に属している大学生は、そのタイミングで引っ越しを余儀なくされる可能性が高いが、そもそもその状況は見越せていなかった。
あまりに場当たり的な対応なのである。

府市民が問うべき「強さ」とは
ここで改めて問うべきは、大阪府民市民が漠然と求めている政治の「強さ」とは何かということである。
現政権が提示した強さは、壊す強さであった。既存制度を打破し、政治構造を作破壊する力である。これは確かに大阪の停滞を覚醒させるうえでは重要な役割を果たしたのかもしれない。
しかし、政治の強さには段階がある。
第一段階は、壊す強さである。
第二段階は、統合する強さである。
そして第三段階が、動かす強さである。
壊す強さは分かりやすい。敵がいるからである。
既得権、無駄、古い政治。何を壊すのかが明確であれば、政治のメッセージは非常に強くなる。
しかし都市の運営は、永遠に戦い続けることではない。
制度を整えた後に必要になるのは、その制度を生活の中で動かす力である。
ここで必要になるのが、「強い実装」という発想である。
強い実装と大阪
実装とは、制度や政策を現実の生活に落とし込むことである。
法律や条例が存在するだけでは社会は変わらない。
それが実際に機能し、生活の中で成果を生むとき、初めて政治は意味を持つ。
大阪は巨大都市である。人口約900万人の都市圏は、多様な課題を抱えている。経済政策、都市インフラ、防災、福祉、教育、住宅。これらをすべて一つの論理で動かすことはできない。
広域行政と生活行政は、本来異なる性格を持っている。
例えば経済政策やインフラ整備は、広域的な視点が必要である。
交通網や産業政策は都市圏全体で考える必要がある。しかし一方で、防災、福祉、教育といった分野は生活圏に近いほど機能する。
にもかかわらず、政治はしばしばすべてを同じスケールで処理しようとする。
強いリーダーが全体を統合し、上から方向を決める。このモデルは初期段階では有効であるが、成熟段階では摩擦を生む。
それほど都市の成り立ちは単純ではない。
都市は本来、多層的な構造を持っている。
建築に例えるなら、都市計画と住宅設計は同じ図面では描けない。都市の骨格を作るスケールと、生活の細部を設計するスケールは異なるからである。
政治も同じである。
広域の戦略は集約した方がよい。しかし生活の運営は分散した方が機能する。すべてを集中させるのではなく、適切な単位で権限と責任を配分することが重要になる。
ここに「強い実装」の意味がある。
強い実装とは、単に地域自治を増やすことではない。権限を下ろすことと、成果を管理することを同時に行う統治である。
実装化に関心が薄い政治と行政
例えば防災を考えてみよう。大阪は水害リスクの高い都市である。高潮、河川氾濫、地震。多くの地域が複合的な災害リスクを抱えている。
しかし避難計画の多くは町会や自主防災組織に委ねられているのが現状である。

ところが、実際の地区防災計画の見直しも、水害対策も遅々として進まない。ロードマップも見えない。上町台地から西側は見捨てられたままなのである。
ここに本来の政治の役割がある。上町台地と湾岸地域では、同じ実装をするわけにはいかない。政治的配慮を持って全体の防災計画とともに、地域をどう構築していくのかということに最大限の関心を持って対応する必要がある。
小学校区単位など生活圏に近い単位で一定の予算を持たせる。地域が自ら優先順位を決める。行政は枠組みを示し、結果を検証する。これは大規模な制度改革ではない。しかし生活の実感を確実に変える。
ところがここになると突然メスが入らない。力を集約しようとしない。予算化もされていない。
強い実装は派手ではなく、地道な活動が不可欠だ。万博やIRのように華やかさもなければ、テレビの討論番組で目立つこともない。
そしてそういう地道な活動に対して、政治も行政もあまりにも関心も興味もない状態が続いている。
改革の成熟の段階へ
現在の大阪の政治構造が戦うこと、破壊することによって支持を維持してきたとすれば、強い実装は成果によって信頼を積み上げる政治である。
ここで誤解してはならないのは、これは「弱い政治」ではないということである。むしろ高度な統治能力が求められる。権限を分散させるためには、その結果を評価する仕組みが必要である。分配は責任を伴う。
強い実装とは、強い管理を前提とする政治である。
大阪が次の段階に進むなら、この転換は避けて通れない。壊す強さだけでは都市は持続しない。制度を動かし、生活を変える力が必要になる。
壊す強さから、動かす強さへ。
戦う政治から、積む政治へ。
強い実装とは、改革の終わりではない。改革の成熟なのである。
その舵取りの全ての実権を握っているのが現政権と行政である。
にも関わらず、万博、IRの次は、副首都だと喧伝している。
大阪の地力を固めていく作業に着手しなければならないタイムリミットは近づいている。
私たちは、強く、政治と行政にセンサーを向ける必要がある。
<山口 達也>

