国家資本主義の時代と戦争
資本主義は、長らく新自由主義というアクセルを踏み続けてきた。
市場に任せ、国家はできるだけ小さく、という思想である。
しかし今、世界は明らかに別のフェーズに入っている。
それは、国家資本主義(state capitalism)の台頭である。
国家が市場に深く関与し、産業政策・金融・企業統治を通じて、経済そのものを戦略資源として扱う体制だ。
とりわけ中国に見られるのは、権威主義的国家資本主義である。国家(あるいは党)が政治目標を優先し、その達成のために企業と市場を動員するモデルである。
この反民主主義的モデルは、効率的で、強靭で、迷いが少ない。
だからこそ、世界のあちこちで「羨望」と「模倣」が生まれている。
それは必ずしもイデオロギーとしての共産主義への回帰ではない。
むしろ、不安定な世界で国家が生き残るための実務的な合理性への傾斜である。
国家と巨大企業が結びつくのは、誰かの陰謀か
ここで、多くの人が違和感を覚える。
「市民は戦争など望んでいないのに、なぜ国家権力と戦争と軍需産業が、これほど露骨につながっていくのか」。
この問いに対し、私は陰謀論ではなく、構造として考えたい。
鍵になるのは、国家資本主義が前提とする国家間競争である。
世界が協調よりも競争を基調とするようになると、国家は経済を「市場」ではなく「戦力」として扱い始める。
そのとき、軍事・安全保障・産業政策は、分離不能になる。
ここで重要なのは、
「誰かが悪意を持って戦争を仕組んでいる」からではなく、
各アクターが合理的に動いた結果として、結節が生まれるという点である。
① 利益は集中し、負担は分散する
軍需産業や安全保障関連予算がもたらす利益は、非常に局所的である。
特定の企業、特定の地域、特定の雇用、特定の技術者集団に、はっきりとした形で恩恵が届く。
一方、その財源となる税負担や、外交的リスク、将来世代へのツケは、社会全体に薄く広がる。
この「集中便益・分散負担」の構造は、民主主義の制度的な弱点でもある。
反対の声が存在しても、それは広く薄いため、政策決定の場では力を持ちにくい。
結果として、国家資本主義のもとでは、軍事・安全保障関連の予算は「止めにくい流れ」になる。
② 政治は「脅威」の出現で例外モードに入る
安全保障は、通常の公共政策とは性質が異なる。
脅威が語られた瞬間、政治は「最悪の事態」を前提に動き始める。
最悪を回避するためなら、
・情報は機密化され
・議会のチェックは弱まり
・迅速性を理由に外部委託が増える
こうして、国家権力は平時よりもはるかに自由度を持つ。
これは陰謀ではない。危機管理のロジックそのものだ。
だが、この例外モードが長期化すると、
国家と巨大企業の距離は急速に縮まる。
なぜなら、例外モードで必要とされるのは、すでに大規模な能力を持つ組織だからである。
③ 「作れるもの」しか、政策の選択肢にならない
軍事と産業が結びつく最大の理由は、ここにある。
現代の軍事は、装備だけでは成立しない。
サプライチェーン、半導体、エネルギー、通信、サイバー、宇宙、AI。
これらはすべて、平時から維持されていなければ、有事に突然立ち上げることはできない。
つまり国家は、
「使うかどうか分からないが、無くなっては困る能力」
を維持するために、平時から発注し続ける必要がある。
企業側も同じだ。
受注がなければ、技術者も設備も維持できない。
こうして、国家と軍需産業は相互依存の関係になる。
ここには悪意も陰謀もない。
ただ、能力を維持しようとする合理性があるだけだ。
本来、大資本がそういう性質をコントロールしなければ戦争が起こることを熟知しているのが政治であるべきなのだが。
ウクライナ、香港、ベネズエラは同じ地平
この構造の上で世界を見ると、いくつかの出来事が同じ線上に並んで見えてくる。
ウクライナでは、領土だけでなく、エネルギー、穀物、通貨、同盟という「レバー」が争点になった。
香港では、市場の自由と国家主権の曖昧さが許容されなくなった。
ベネズエラでは、資源と金融制裁が国家間競争の道具として使われている。
これらはすべて、
国家資本主義が前提となった世界で、起きやすくなる現象である。
ただし、ここで一つだけ、はっきりと書いておかなければならない。
どれほど国家資本主義の論理が合理的に見え、
どれほど軍事・安全保障・産業の結節が制度的帰結だとしても、
戦争が起きてしまえば、すべてが無に帰す。
国家は「抑止」のために武装すると言う。
企業は「基盤維持」のために受注すると言う。
政治は「最悪を避けるため」と説明する。
だが、いったん実際の戦争が始まれば、
合理性は破綻し、制度は暴走し、
失われるのは命だけでなく、信頼と時間と未来である。
だからこそ、このコラムは
「戦争は仕方がない」と理解するためのものではない。
むしろ逆に、
戦争が起きやすい構造を直視することで、
それを起こさないための回路を、平時にどれだけ持てるか
という問いに向かうためのものである。
進化する自治という、もう一つの合理性
ここまでの話は、正直に言えば暗い。
国家資本主義は当分続くだろうし、戦争と軍需の結節も簡単には解けない。
だからこそ、私は「進化する自治」に希望を見る。
進化する自治とは、国家に対抗する革命思想ではない。
国家が巨大化し、例外モードに入りやすい時代に、
生活の側が崩れないための現実的な技術である。
・意思決定の単位を下ろす
・情報を可視化する
・エネルギーや防災を分散させる
・参加の回路を日常に埋め込む
これらは理想論ではない。
国家資本主義の時代を生き抜くための、生活者のインフラである。
国家は世界を守ろうとする。
だが、私たちの生活を最後に守れるのは、
国家でも市場でもなく、
自分たちで選び、引き受ける自治の力なのだ。
2025年1月3日にアメリカがベネズエラに進行したことの記録として。
<山口 達也>


