大阪市を廃止するための法定協議会が、再び動き始めている。
以前のコラムで政治家の歪んだ権力マインドについて書いた。
なぜ政治家は「一度決めたこと」を手放さないのか——都構想、権力という生きもの
2015年、そして2020年。大阪市を廃止し、複数の特別区を設置する案は、二度にわたる住民投票で反対多数となった。ところが2026年、三度目の住民投票を目指す動きが始まっている。
ここで考えたいのは、大阪市廃止そのものへの賛否ではない。
一度、あるいは二度、住民によって否決された政策を、政治はどこまで繰り返し提案してよいのか。
これは大阪だけの問題ではない。原発、基地、ダム、カジノ、市町村合併、大規模開発など、地域の将来を左右する政策に共通する、民主主義の根本的な問題である。
否決された政策は、永久に封印されるべきなのか
まず確認しておかなければならない。
民主主義において、一度否決された政策を二度と提案してはならないという原則はない。
社会は変化する。人口構成も財政状況も変わり、新しい課題が生まれる。以前は必要とされなかった政策が、十年後には必要になることもある。過去の判断を永久に固定すれば、民主主義は社会の変化に対応できなくなる。
選挙で否定された政党が、次の選挙に再び立候補できるのと同じである。ある政策を支持する人が、説得を続ける自由も保障されなければならない。
したがって、問題は「再提案すること自体」ではない。
問われるべきなのは、
「何が変わったから、もう一度問うのか」
ということである。
前回とは異なる社会状況が生まれたのか。制度案が本質的に変わったのか。前回の反対理由は解消されたのか。住民の側から再検討を求める声が広がったのか。
そこが説明されないまま、「もう一度やれば結果が変わるかもしれない」という理由だけで再提案されるなら、それは民主主義の更新ではない。
否決された結果を受け入れず、賛成が出るまで投票を繰り返す行為になってしまう。
二度の住民投票で示されたもの
大阪市の公式ページにも、2015年5月と2020年11月の住民投票が、いずれも反対多数となったことが記録されている。
2015年は、賛成69万4,844票、反対70万5,585票。差は1万741票であった。

2020年は、賛成67万5,829票、反対69万2,996票。差は1万7,167票であった。

確かに、いずれも僅差である。賛成した市民も半数近くいる。だから、賛成意見を社会から消してよいわけではない。
しかし、僅差であっても否決は否決である。
多数決は、少数意見を消滅させる仕組みではないが、ある時点で社会として進む方向を決める仕組みである。「僅差だったから決着ではない」という理屈を認めれば、ほとんどの選挙や住民投票は決着しなくなる。
そして重要なのは、大阪都構想が一度ではなく、すでに二度問われていることである。
2015年の否決後、制度案は修正され、約5年半後にもう一度住民投票が行われた。それでも再び反対多数となった。
つまり大阪市民は、異なる時期に、異なる制度案について、二度にわたって「大阪市を廃止して特別区を設置することには同意しない」と判断したのである。
大阪市「過去の大都市制度等に関する取組み」
対等ではない「再提案できる側」と「再び防ぐ側」
なぜ、否決された政策は何度も復活できるのか。
その理由の一つは、提案する側が、行政権力と議会勢力を持っているからである。
首長や多数会派は、制度案を作ることができる。行政職員を動かし、調査を行い、資料を作り、法定協議会を設置し、議会に議案を提出できる。公費を使って制度を説明する機会も持っている。
一方、反対した市民に同じ力はない。
市民は仕事や子育て、介護をしながら、制度を学び、集会を開き、チラシを作り、周囲に説明しなければならない。前回の投票で反対が多数になっても、提案する側が諦めなければ、数年後にはもう一度、同じ負担を負うことになる。
形式上は、賛成側も反対側も一票である。
しかし投票に至るまでの力は対等ではない。
行政機構と政治組織を持つ側は、敗れても体制を立て直して再挑戦できる。市民の側は、そのたびに時間、労力、資金を持ち出し、もう一度「現状を変更しない」という意思を示さなければならない。
この非対称性を無視して、「何度でも民意を問えばよい」と言うことはできない。
「反対」は仮決定、「賛成」は最終決定
さらに深刻なのは、投票結果が持つ効果の非対称性である。
反対が多数になれば、制度案はいったん止まる。しかし数年後、再び提案することができる。
一方、賛成が多数となり、大阪市が廃止され、特別区が設置されれば、元の大阪市に簡単に戻すことはできない。
つまり、
反対は暫定的だが、賛成は事実上不可逆的なのである。
反対側は、何度勝っても次の投票に備えなければならない。賛成側は、一度勝てば制度変更を実現できる。
三回投票して、反対、反対、賛成という結果になったとき、最初の二回よりも最後の一回だけが制度として残る。この仕組みは、本当に「三回分の民意」を平等に扱っているのだろうか。
ここに、「勝つまで続ける住民投票」の危うさがある。
手続き上は毎回、多数決が行われている。しかし全体を見れば、現状変更を求める側だけが、最終的な勝利を得るまで挑戦を続けられる構造になっている。
多数決を繰り返すことと、民意を尊重することは、必ずしも同じではない。
首長選挙の勝利は、個別政策への賛成なのか
2026年2月の出直しダブル選挙では、吉村洋文知事と横山英幸市長が再選された。その結果をもって、三度目の大阪市廃止への挑戦について「信を得た」とする説明がなされている。
確かに、大阪市廃止への再挑戦を掲げた候補が当選した以上、その事実を無視することはできない。
しかし、首長選挙と住民投票は同じではない。
有権者は、一つの政策だけで候補者を選ぶわけではない。景気対策、福祉、教育、万博後のまちづくり、政党への支持、候補者の知名度、対立候補の評価など、さまざまな要素を総合して一票を投じる。
「この候補者を知事または市長として選ぶこと」と、「大阪市を廃止することに同意すること」は、別の判断である。
首長選挙の勝利を、すべての公約への個別の賛成と解釈すれば、選挙に勝った首長は、掲げた政策について無制限の白紙委任を得たことになる。
それは代表民主制の理解としても危うい。
選挙で得られるのは、政治を進める権限であって、市民が個々の政策に対して下した過去の判断を上書きする権限ではない。
民意は「最新の一票」だけなのか
政治の側は、ときに「民意は変わる」と言う。
それ自体は間違っていない。世代交代もあり、新たに大阪市民になった人もいる。2020年から時間が経過し、市民の考えが変わっている可能性はある。
しかし、民意が変わった可能性と、投票をやり直してよいことは同じではない。
何をもって「民意が変わった」と判断するのか。
首長が再選されたことか。世論調査で賛成が増えたことか。議会の多数派が変わったことか。あるいは単に、提案する政治家がもう一度やりたいと考えたことなのか。
ここに明確な基準がなければ、結局、権力を持つ側が都合のよい時期を選んで「民意を問い直す」ことになる。
選挙日程、他の選挙との同日実施、争点の設定、制度案の名称、説明期間、広報の方法。これらを設計できる側は、結果が出やすい政治状況を選ぶことができる。
民意とは、投票箱の中に最初から存在するものではない。
何を問い、いつ問い、どのような情報を示すかによって、その表れ方は変わる。
だからこそ、投票を実施する前の手続きが重要なのである。
再び問うなら、満たすべき条件がある
否決された政策を未来永劫、議論してはならないとは思わない。
しかし再び住民に問うのであれば、少なくとも次の条件が必要ではないか。
第一に、前回から何が変わったのかを明示すること。
単なる区割りや数字の変更ではなく、前回反対した市民が懸念した問題が、どのように解消されたのかを説明する必要がある。
第二に、再提案の理由を、提案者の政治的意思だけに置かないこと。
住民からの請願、無作為抽出による市民会議、継続的な世論調査などを通じて、社会の側に再検討を求める十分な動きがあるかを確認すべきである。
第三に、一定の冷却期間を設けること。
大きな制度変更を、選挙のたびに争点化すれば、まちの将来を考える議論が、一つのテーマに占領され続ける。再提案までの期間や条件について、あらかじめルールを設ける必要がある。
第四に、賛成案だけでなく、現行制度を改善する複数の選択肢を示すこと。
「都構想か、何も変えないか」という二択ではなく、大阪市を存続させながら区への権限移譲を進める方法、府市間の調整制度を改善する方法なども、同じ土俵で検討されるべきである。
第五に、再投票に必要な費用と行政負担を明らかにすること。
住民投票は無料ではない。制度設計に携わる職員の時間も、議会の審議時間も、市民が情報を読み解く時間も、すべて地域の資源である。
民主主義には「決め直す力」と「決定を尊重する節度」の両方が必要
民主主義は、一度決めたことを永遠に変えない制度ではない。
間違いを修正し、時代に応じて決め直す力は必要である。
しかし同時に、民主主義は、負けた側が次の機会まで何をしてもよいという制度でもない。とりわけ、行政権力を持つ側には、市民が示した判断を受け止める節度が求められる。
再挑戦する自由だけを強調し、過去の否決を軽く扱えば、住民投票は「市民が決める仕組み」ではなくなる。
政治が望む答えを得るまで、市民に何度も回答を求める仕組みになってしまう。
それは、子どもに「どちらを選んでもよい」と言いながら、気に入った答えが出るまで聞き直すことに似ている。
三度目で賛成が多数になったとしても、そこで問われるのは賛否の数字だけではない。
なぜ一度目の反対は決着にならなかったのか。
なぜ二度目の反対も十分ではなかったのか。
そして、なぜ賛成だけが最終的な答えになるのか。
大阪市を廃止する住民投票が何度も復活することを通して見えてくるのは、民意を問う回数の問題ではない。
政治が、市民の出した答えをどのように扱っているかという問題である。
民主主義を守るとは、投票の機会を増やすことだけではない。
市民が出した答えに、政治がいったん立ち止まることである。
その「立ち止まる力」が失われたとき、住民投票は市民が政治を動かす道具ではなく、政治が市民を説得し続ける道具へと変わってしまう。
<山口 達也>


