デジタル教科書の時代に、知を継承する力は育まれるか

コラム
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今年度に入って早々日本政府は、デジタル教科書を正式な教科書として位置づける学校教育法改正案を国会へ提出した。
法案が成立すれば教科書は2030年度から、
・紙のみ
・紙とデジタルの併用
・完全デジタル

の3形態となり、教科書検定や無償配布の対象となる。

国が一律に紙の教科書を廃止するわけではないとされる一方、教育委員会が「デジタルのみ」を選択すれば、その自治体や学校では、事実上「デジタルだけ」の授業となる可能性もある。

教育のデジタル化は、単なる教材の変更ではない。

教育のデジタル化は、
「情報をどう読むか」
「どのように思考を育てるのか」
という教育そのものの設計思想に関わる問題である。

一方、世界では別の動きも起きている。
スウェーデンでは紙の教科書購入支援が進められ、フィンランドでも紙教材への回帰が始まっている。デンマークでは、読書促進のため書籍への消費税廃止方針まで打ち出された。
重要なのは、「デジタル化に失敗した」という単純な話ではない。
むしろ、デジタル化を先行して進めた国々だからこそ、「スクリーンだけで、読解力や集中力、比較して考える力は育つのか」という再検討が始まっているのである。
デジタル画面上の情報は便利だ。検索も速い。
しかし、「検索できること」と「理解できること」は同じではない。
必要な情報へ辿り着くことと、前後関係を読み、比較し、文脈を理解し、自分で判断することは違う。

この問題は、学校教育だけの話ではない。

図書館では司書の非正規化や削減が続き、学校司書を設置していない学校が大半を占めるようになっている。博物館についても、「採算性」や「収益性」が強く求められ、独立採算で成り立たなければ縮小や廃止もやむを得ないかのような議論さえ語られるようになった。
しかし、本来、図書館や博物館とは何だったのか。
それは単なる「サービス施設」ではない。
社会が長い時間をかけて蓄積してきた知識や記録、文化や記憶を、次の世代へ受け渡すための基盤だったはずである。

司書とは、本を並べる人ではない。
どの資料を読み、どのように比較し、どの文脈で理解するのか。
そうした「読む力」を支える専門職だった。
だが現在は、「検索できるなら司書はいらない」という発想が、静かに広がってはいないだろうか。

書物の歴史に支えられた日本の文化

この問題は、日本の文化そのものにもつながっている。
「書物を楽しむ―あえて今、紙の本を読む理由」(林望:著/朝日新書)という本が先月出版された。書誌学者である著者は、「文字で書かれた紙の本の歴史は1300年を数える」と記し、本が長い歴史の中で完成された世界の奥深さを語っている。

多くの日本人は、万葉集や古事記、源氏物語といった名前を、ごく自然に知っている。
しかし、本来これは決して世界中のどの国でも当たり前のことではない。
和紙に墨で書かれた古文書や版本は、火災の際に井戸へ沈めて守られた例もあり、多くの災禍や長い時間を超えて保存されてきた。
紙と筆、木版印刷、貸本文化、寺子屋、読本文化――。
そうした積み重ねの上に、日本の文字文化や読書文化は育まれてきた。しかもそれは、一部の知識人だけの文化ではなかった。庶民の間にまで広がった出版の生業や読書習慣の厚みこそが、日本文化の大きな特徴でもあった。
万葉集から源氏物語へ、江戸の読本や浮世絵へ、そして漫画やアニメ、現代アートへ。
現在「クールジャパン」と呼ばれる文化の多くも、突如現れたものではない。
長い時間をかけて育まれてきた「読む文化」「描く文化」「知を蓄積する文化」の延長線上に存在している。

文化の上澄み消費はいつまで続けられるか

だが現在の経済合理性や市場の都合を優先するような政策は、その文化の「上澄み」だけを収益化の対象として利用しながら、礎となっている土壌を守り育てることについては、あまりにも無関心ではないだろうか。

図書館も、博物館も、書物も、統計書も、すぐ利益を生むものではない。
しかし、そうした「すぐ役に立たない知」の蓄積こそが、社会の文化や自治を支えてきたのではないか。

いま大阪市では、紙の統計書や冊子資料、一覧性のある行政資料が減少し、「webで公開しています」という説明へ置き換えられている。
しかし、情報が存在することと、市民がそれを読み解けることは同じではない。
検索して断片を見ることと、全体を比較し、変化を追い、文脈を理解することは違う。

紙・冊子・統計書・一覧性のある資料を減らし、情報をデジタル空間へ押し込める政策は、結果として、市民が情報を読み比べ、検証し、行政を監視する力を弱める方向に働く。
そしてそれは、行政に対する市民の理解力そのものを、弱めることにつながってはいないだろうか。

情報が「存在する」だけでは、民主主義は成立しない。
市民がそれを読み、比較し、考え、判断できて初めて、情報公開は意味を持つのである。

「読む力」を失うということは、単に本を読まなくなることではない。
社会が、長い時間をかけて知を継承する力そのものを失うことではないのか。
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