不毛な首長選をこえる――市民はどう投票すべきか
突然の衆議院選挙に便乗して、全く意味を持たない不毛な大阪府知事・大阪市長選挙が行われようとしている。
大阪府知事・大阪市長選という首長選挙は、その選挙制度の悪用であり、もう単なる再選挙の域を超えて、投票行動そのもののあり方を問う場になっている。
選挙の意味や候補者の選択肢が限定的に見える場合、有権者はどう行動すべきか。
その問いに対して「抗議の白票」が浮上しているという報道も始まっている。
一方で、白票の投じ方は様々に解釈され得るという批判もある。
白票は「候補者に投票しない意思」を示す手段ではあるが、その意味は必ずしも一義的ではない。
白票が「既存政治への不満」を表しているのか、「政治への無関心」を意味しているのかは、解釈の余地が残るからである。
事実、同じ選挙で棄権を選ぶ人もおり、
「白票だと投票率にカウントされるから意味が希薄だ」
との意見もSNSで見られる。
ジーン・シャープの視座で考える
このような問題意識の下、歴史的な非暴力抵抗理論の文脈から、
より戦略的に「投票行動」を捉え直すことができないだろうか。
アメリカの政治学者ジーン・シャープが提唱した非暴力行動理論は、暴力ではない行動を通じて権力の基盤を揺るがすための具体的な方法を整理している。
Cf:ジーン・シャープ(Gene Sharp)って
「独裁勢力は、民衆が政権を受け入れ、降伏し、従順することにより成り立っている」、「抗議行動、説得、非協力、干渉などにより独裁勢力を倒すことができる」と述べていたアメリカの政治学者(1928年1月21日 – 2018年1月28日)
→ウイキペディア
シャープはその体系の中で、抗議や説得、社会的・政治的な非協力、さらには象徴的な行動にいたるまで数多くの戦術を列挙している。
現実の選挙に直接的な「抵抗」を組み込むことは簡単ではないが、シャープの視座は私たちに重要な洞察を与える。
それは、単純な拒否や回避ではなく、意味を共有し、可視化される形での意思表示を組織することの重要性である。
たとえば、単に白票を投じるだけではなく、同じ意図を持つ市民がどの程度いるのかを測定可能な形で示すことで、単なる「無効票」を超えた共通の意思として社会に提示することができる。
この点で、シャープが重視する「象徴的行為」は有力なヒントを与える。
象徴的行為とは、言葉や行動を通じて共通のメッセージを発信し、目に見える形で集団的な意思を示す戦術である。
選挙における投票行動を、単なる“善し悪し”ではなく、制度への要求や期待を明確に示す「象徴的な意思表示」に変えること――これが重要なのである。
理論的にまとめておくと
理論的にまとめておこう。
まず第一に、「投票に行かない」もしくは「首長選挙は棄権」という選択肢は、しばしば政治的な無関心として解釈されがちである。投票所に足を運ばないこと、もしくは「首長選挙のみ棄権すること」は、個人の自由だが、それが何らかの政策や制度への意思表示であるという共通理解は成立しにくい。
投票所に行くこと自体には、政治参加の最低限のルールが含まれている。これは運動としての行動の出発点に他ならない。投票所に行って初めて、投票用紙の上で何らかの意思を示す選択肢が生まれるのである。
第二に、白票を投じる場合、(後述するが、本来時間があれば)その行為が「何を表しているのか」を共有するための事前のフレームワークや宣言が必要である。
たとえば、選挙報告やSNSで共有されているような単なる白票ではなく、「選挙制度の改善を求める」「候補者の政策論争が不十分であることへの抗議」といった具体的な文言を付した投票行動の呼びかけである。
これにより、個別の白票行動がただの“無効票”として処理されるだけでなく、ある一定の政策要求や制度的な不満として整理されうる。
もちろん、選挙制度の枠組みの中では、投票用紙の文言が正式な選択肢として扱われない限り、白票ではなく無効票としてカウントされる可能性が高い。しかし、重要なのは、その行動が「数としての意思」になるための工夫である。
投票率や得票率という数値だけを捉えるのではなく、有権者が同じ意図を持って行動した数として可視化されることが、制度へのメッセージとならなければならない。
ここでシャープの強調する「非協力行為」の考え方も応用できる。
非協力とは、単なる拒否ではなく、制度の正常な機能を妨げることなく、しかし既存の構造に対して意思を示す行動である。選挙という仕組みに対して、既存の候補者や政党とは別の方向性を示す投票行動は、非協力の一形態と見ることができる。このような行動は、データとして残り、後の議論の基盤となり得る。
有権者としての投票は、単に勝者を選ぶための手段ではなく、自らの価値観や政策的要求を制度に反映させる行為そのものである。
白票や棄権は一つの表現方法ではあるが、それを単に行うのではなく、共通の意味を持たせ、かつ長期的な運動につなげること――これが本来求められている行動である。
市民の投票行動のまとめとして
| 行動 | 本人の意図 | 社会からの解釈 | 可視性 | 政治的な力 | 課題 |
|---|---|---|---|---|---|
| 棄権 | 関心がない/不満がある/行きたくない | 無関心・諦め | 低い | ほぼない | 意思が読み取れない |
| 白票 | 候補者に不同意/抗議 | 無効票・判断放棄・不満 | 中 | 弱い | 意味が固定されない |
| 抗議投票(定型) | 制度・争点への異議 | 明確な要求・意思表示 | 高い | 相対的に高い | 事前共有が必要 |
この超絶短期戦の状態では「白票」で
ただ、ここまで書いたが、突然決まった冒頭解散による衆議院選挙と同日の大阪府知事・大阪市長選挙。上記にまとめた理屈すら通している余裕はない。
理論的に言えば、抗議の意味を固定し、可視化し、数として残す投票行動をすべきであるが、今回の大阪府知事選は、そのための準備や共有が、市民側にほとんど与えられていないのだ。
その現実を踏まえるなら、いま取れる選択肢は多くない。
棄権よりも、白票である。
白票は、確かに曖昧な抗議かもしれない。
だが、投票所に足を運び、候補者を選ばないという行為は、
「この選択肢には同意しない」という意思を、最低限の形で制度の中に残す。
完璧な抗議ではない。
だが、時間も組織もない中で、
市民が取りうるもっともシンプルで、
もっとも誤りの少ない抵抗が「白票」なのである。
<山口 達也>


