NHKの番組に「18歳祭」というものがある。
1000人の18歳とArtistが共演するイベントだ。
https://www.nhk.or.jp/18fes/
人気ロックバンドONE OK ROCK の “We are”が18歳祭で取り上げられた。それ を海外の人たちが鑑賞してリアクションし、泣き、立ち上がるように共振する動画がある。私はこれらを見返しながら、単なるエンタメでは片づけられない強度を感じていた。あの涙や震える声は、作品の意味を越え、表現そのものの純度を露わにしていたからである。
リアクション動画が見せてくれるのは、言葉を越える“差異の生成”であり、そこから生まれる“共振の回路”である。
そしてこの構造は、私たちが進めようとしている「進化する自治」にとっても多くのヒントを与えてくれている。
自治とは本質的に、多様な背景を持つ人々が関わり合う営みであり、表現がその関係性をいかに組み替えられるのかが未来を左右するからである。
ここでは、リアクション動画の構造を手がかりに、表現が自治の可能性をどう広げていくのかを考えてみたい。
海外リアクションの「差異」が表現を別次元に
海外リアクターの涙は背景知識によって生まれているわけではない。彼らは日本の受験文化も震災もワンオクの歴史も知らない。それでも “We are” に心を揺さぶられる。ここに、表現が「差異を越えて届く」瞬間がある。
文化が違うほど、共振は強く可視化される。
同じ文脈を共有していないからこそ、表現そのものが持つ純粋な力が観測できる。
自治もまた、多様な価値観が混ざりあう場である。
高齢者と若者、地元と移住者、子育て世代と単身層。これらの差異を“揃える”のではなく“開示する”ことで、本当の対話が始まる。
リアクション動画は、差異がもたらす創造性そのものの教科書だと感じた。
「第三の語り手」としてのリアクション動画
表現の世界では通常、送り手と受け手の二者関係が前提となる。しかしリアクション動画はこの構造を一段階変質させる。受け手が「語り手」へと変わり、作品に対する自分の感情をそのまま他者に届けるからである。
表現
→ 共振 → 再表現 → 新たな共振
この循環は、参加が連鎖していくプロセスを可視化している。
自治を動かすのもこの連鎖ではないだろうか。
行政が説明し、住民が受け取るだけでは関係性は変わらない。
住民が感じたことを別の住民が受け取り、そこからまた別の声が立ち上がる。この“語り手の増殖”こそが自治を生きたプロセスへと変える。
リアクション動画は、参加型自治の基礎構造をそのまま映し出す装置ではないか。
共有される「意味」よりも「生の強度」
海外リアクターは歌詞の細部を完全に理解しているわけではない。
それでも泣き、うなずき、体が反応してしまう。共有されているのは意味ではなく、生の強度である。
声の震え、メロディの上昇、沈黙の間(ま)、叫びの温度──
そうした感覚の層に揺さぶられるとき、人は“自分の中の物語”を呼び起こす。
自治の表現は往々にして制度説明や理論に偏りがちだ。
しかし、人を動かすのはもっと原始的な層の共振である。
「こう生きたい」という願い、「ここで誰かと並び立ちたい」という衝動が、
初めてまちを動かす。
リアクション動画は、感情の共有が社会を動かす基底条件であることを証明している。
進化する自治の「表現の手法」
リアクション動画の構造を「進化する自治」に応用すると、いくつかの示唆が浮かび上がる。
差異を前提にしたストーリーテリング
価値観の違いを隠すのではなく、あえて見せることで共振が強まる。自治の場でも“違いを起点に語る”ことが重要である。
住民を「語り手化」する仕掛け
ワークショップや地域会議で、参加者がただ聞く側にならない設計が必要である。反応をその場で形にし、他者へ渡す回路をつくることが、自治の循環を生む。
感覚的要素の導入
映像、音、物語、身体性といった生の要素を自治の表現に埋め込むことによって、参加の敷居が下がる。制度説明だけでは人は動かない。
これらはすべて、リアクション動画が見せる表現の構造そのものである。
「共振の設計」で決まる自治の未来
リアクション動画を見ながら、私は表現とは“人と人を共振させる場をつくる技術”であると改めて思った。そして自治の未来もまた、共振の回路の更新にかかっている。
制度ではなく、感情の連鎖が人を動かす。
計画ではなく、個人の物語がまちを支える。
数字ではなく、「自分も関わっていいんだ」という実感が参加を生む。
ONE OK ROCK の “We are” が国境を越えて共鳴したように、自治もまた、差異を越えて人を動かす可能性を持っている。リアクション動画はその未来を先取りする表現実験である。
進化する自治とは、まちづくりの論理を変えることではなく、人が共振する回路を再設計する営みなのではないか。
その原点には、18歳たちが叫んだあの「We are」の瞬間のような、個人の物語が交差する場がある。
ちなみに元ソースは当然素晴らしい。
<山口 達也>


