気候変動により猛暑や熱中症リスクにさらされ、健康や健康的な生活を阻害されている状況や、各種産業にも影響が及び、農作物等の生育不良、動植物の生育環境の悪化や、収穫量、品質の低下している。この状況を前に、法的措置を講じていないのは、憲法が保障する国民の平穏生活権等の人権を侵害するとして、国家賠償請求訴訟が提訴されることになった。(2025年12月18日提訴予定)国内で初めての気候変動に対する訴訟である。
本訴訟は、斎藤幸平氏(経済思想家)や明日香壽川(環境学者)氏が呼びかけ人となって、全国から広く原告を募り提訴するもので、原告弁護団には、弁護士による環境NGO「一般社団法人JELF(日本環境法律家連盟)」を中心に構成されている。
なお、末尾でも紹介するが、現在二次提訴に向けて原告募集が行われている。
気候正義訴訟公式サイト
気候正義訴訟の訴状
12月18日の提訴に先立って訴状の概要が公開されたので、この文書に沿って提訴の論拠や、何を訴えている訴訟なのかを確認しておこう。
概要文書は、全部で5つの章から書かれている。この章立てに沿って要約して紹介する。引用以外は概要をもとに筆者による紹介文である。
- 第1 気候変動に関する科学的知見
- 第2 気候変動をめぐる法的枠組み
- 第3 気候変動による権利侵害
- 第4 国の責務
- 第5 結論
第1 気候変動に関する科学的知見
気候変動が実際に起こっており、それは科学的知見に基づいていることが述べられている。
要点としては以下の通り。
本訴訟の前提となる科学的事実は、すでに国際的にも国内的にも確立しているとして、2021年と2022年に公表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第6次評価報告書をもとに次のようにまとめられている。
- 現在の気候変動が「疑う余地なく」人為起源であると明言している。
- 温室効果ガスの排出増加により、気温上昇、極端気象の頻発、海面上昇、生態系の破壊などが進行しており、これらは相互に連鎖しながら人間の生活基盤を侵食している。
- 世界の平均気温上昇を産業革命前比で1.5℃以内に抑えられなければ、その後にどのような対策をとったとしても、地球の自然環境や私たちの生活環境が深刻かつ回復不能な損害が生じる危険性がある。
したがって、気候変動対策は「将来の抽象的課題」ではなく、現在進行形の、被害予測が確立した危機への対応であることが、本訴訟の科学的基礎としている。
第2 気候変動をめぐる法的枠組み
次に気候変動が法的にどのように位置づけられているかが述べられている。
1 国際的枠組み
国際的枠組みとして、日本も締結している国際条約についてまとめられている。
●気候変動に関する国際連合枠組条約(1992年)
地球温暖化による悪影響を防ぐため、大気中の温室効果ガス濃度を安定化させることを究極目標とする国際的な枠組み。1992年採択、1994 年発効。日本を含む198 か国が締約している。
●京都議定書(1997年)
1997年、京都で開催されたCOP3(気候変動枠組条約第3回締約国会議)で採択された地球温暖化対策のための国際的な条約。先進国に温室効果ガス排出量の削減義務を課し、先進国全体で1990年比5.2%削減を目標とした。2005年発効。
●パリ協定(2015年)
2015年にフランス・パリで開催されたCOP21(国連気候変動枠組条約第21回締約国会議)で採択された2020年以降の気候変動対策に関する国際的な条約。
地球の平均気温の上昇を2℃より十分低く抑え1.5℃未満を努力目標とすること。各国が「達成可能な最高水準の野心」をもった排出削減目標(NDC)を策定・実施する義務を定めている。日本も2016年11月8日に批准している。
2 世界の主要気候訴訟
これまでに国家に対して提訴された訴訟の主な事件と裁判所の判断が紹介されている。
| 国・事件名 | 年 | 裁判所の判断要旨 |
|---|
| オランダ・アージェンダ事件 | 2019 | 不十分な排出削減は人権侵害。国に削減義務あり |
| ドイツ・ノイバウアー事件 | 2021 | 将来世代の自由を侵害。温暖化対策は憲法上の義務 |
| 韓国・若者気候訴訟 | 2020 | 国家の不作為は基本権侵害の可能性 |
| スイス・シニア女性の会事件 | 2024 | 高齢女性の健康権侵害として国の義務を認定 |
3 国際司法裁判所の勧告的意見
国際連合の「主要な司法機関」である国際司法裁判所(ICJ)は、2025年7月、「気候変動に関する国家の義務についての勧告的意見」を発表
「各国がその能力に応じて適切かつ必要に応じた予防的な措置を講じることが含まれる」、「締約国の排出削減目標は「 その締約国が達成できる最高水準の野心」を反映しなければならない」など、これらの義務が国際慣習法上も国家を拘束すると明確にしている。
これらに共通するのは、気候変動対策を「政策裁量」ではなく「人権保障義務」と位置づけている点であり、今回の訴訟も「人権」に対する損害が基本となっている。
第3 気候変動による権利侵害
気候変動は、すでに日本社会において具体的かつ現実的な権利侵害として顕在化しているとして、被害実態と侵害されている権利の事例が挙げられている。
日本の平均気温は長期的に上昇を続け、2024年には統計開始以来最高を記録した。気象庁は、「日本の年平均気温は、様ざまな変動を繰り返しながら上昇しており、長期的には100年あたり1.40℃の割合で上昇」していると述べている。これに伴い、熱中症による死亡者数は30年で約6倍に増加している。このほか、豪雨・土砂災害、農林水産業の被害、物価上昇などが国民生活を直撃している 。
気温上昇によって運動会の開催時期の変更やクラブ活動などにも影響を与えていることは、多くの報道からも知られているところだ。
これは「不便」や「生活上の変化」にとどまらず、重大かつ深刻な人権侵害を生じさせているとし、「気候変動は人権問題である」ことを改めて認識する必要があるとしている。
1991年から2020年の年平均気温の変動(「訴状の概要」5ページより)
侵害されている権利として、以下の事例が挙げられている。
① 生命・健康についての権利(憲法13条)
熱中症死亡の増加、災害リスクの拡大は、生命・身体の安全を直接脅かしている。
② 子どもの成長発達権(子どもの権利条約)
屋外活動や遊び、学習機会の喪失は、子どもの心身の健全な発達を阻害している。これは子どもの権利条約およびこども基本法の理念に反する。
③ 営業の自由(憲法22条1項)
農林水産業や観光業など、自然環境を基盤とする生業が破壊され、継続不能な打撃を受けている。
④ 財産権侵害(憲法29条1項)
一次産業の損失だけでなく、一般市民も食料価格や光熱費の上昇という形で恒常的な財産侵害を受けている。
⑤ 環境権
国連総会決議およびICJ勧告的意見は、清浄で健康的かつ持続可能な環境を人権として位置づけており、日本も賛成票を投じている。
しかしながら、日本の裁判所は今も環境権の範囲、主体等が不明確などを理由としてこれを認めていない。
ICJ の気候変動に関する勧告的意見では、「国際法上、清浄で健康的かつ持続可能な環境に対する人権は、他の人権の享受に不可欠である」として、環境権を認めている。
平穏生活権(気候享受権)の侵害
憲法に根拠を有する人格として、平穏生活権を認める裁判例は複数存在している。裁判例上確立してきた「平穏生活権」は、人格権の一内容として、様ざまな生活利益をも含まれる。
一つには、気候変動によって、
● 命や財産を失うかもしれないという合理的恐怖
● 将来の生活基盤が破壊される不安を抱えながら生きること自体が、法的に保護される生活の平穏を侵害している。
この「安定した気候のもとで生活する利益」を、本訴訟では「気候享受権」ということにするとしている。そして
「気候変動により現に様々な人権侵害が発生」
「事態は確実に進行し、人権侵害がさらに苛烈なものとなっていくことは
科学的見地からも具体的な危険性がある」
と述べられている。
以下は「訴状の概要」9ページより引用
気候変動による熱中症や災害、農作物の不作等によって生命・身体・財産を奪われる不安や恐怖を抱くことには、十分に客観的な合理的理由があることは明らかである。
よって、原告らが平穏生活権ないし気候享受権を侵害されている。
第4 国の責務
第4として、国の責務について述べられている。
1.国の義務(温室効果ガス排出削減義務)
国には温室効果ガス排出削減義務がある。憲法(25条)のもと、国には国民の人権を保護する積極的義務がある。そして気候変動が人権問題である以上、温室効果ガス排出削減は国家の法的義務である、としている。
パリ協定およびICJ勧告的意見は、世界全体の平均気温の上昇を工業化以前よりも摂氏1.5度未満とすることは各国の能力に応じた最大限の削減努力を明確に義務付けている
先進国である日本は、温室効果ガスについてIPCCが示す削減水準以上の責任を負っている。
2.違法性
ここでは、NDC(温暖化効果ガスの排出削減目標)と温暖化対策計画の違法性について説明がされている。
日本政府は2025年2月に新たな温暖化対策計画とNDCを決定したが、基準年を排出量の多かった2013年に設定することで、実質的な削減率を過少表示している。2019年比に換算すると、日本の削減目標はIPCCが示す水準を明確に下回る。
これは1.5℃目標と整合せず、国家の排出削減義務違反である。(表1)
さらに、公務員には計画策定にあたり、国民の権利を侵害しないよう注意義務があるにもかかわらず、欺瞞的手法を用いた点で注意義務違反が成立する。
違法な計画の策定は、気候変動を怠るものであり、同計画によって生じた原告らの損害に対し、被告は損害賠償責任を負う。
| 第6次評価報告書 | 温暖化対策計画 (カッコ内2013 年比) |
| 2030年 | 43% | 39%(46%) |
| 2035年 | 60% | 52%(60%) |
| 2040年 | 69% | 67%(73%) |
GHG 削減目標(2019 年比)(「訴状の概要」11ページより)
立法不作為の違法性
日本には、IPCCが定めた第6次評価報告書が示す排出削減目標について
法的拘束力のある中長期削減目標
排出総量・部門別の規制基準
が存在しない、と指摘。
EUをはじめとする先進国が、2008 年ころから遅くとも2019 年ころまでには気候変動防止法などの名称で、法的拘束力を持ったGHG 排出削減目標を含む法律を制定していることと照らし合わせれば、2つの立法の必要性は長年にわたり明白だった。
「法的拘束力を有する温室効果ガスの削減目標が定められてさえいないこと」
「温室効果ガスの排出について、拘束力を持った規制基準が定められていないこと」
にもかかわらず国会が立法措置を怠ってきたことは、国家賠償法上の違法な立法不作為に該当する。
3.損害
以下引用「訴状の概要」13ページより
原告だけでなくすべての日本国民が実感していることではあるが、人々は健康や健康的な生活を阻害されている。ことに猛暑や熱中症リスクに対して脆弱な高齢者や子どもたちの生活は一変し、身体は言うに及ばず、精神的なストレスによる影響は増大しつつある。熱中症の症状は軽度から重度までさまざまであり、死亡や重篤な症状のほか、めまいや倦怠感、集中力の低下など、医療機関の受診に至らないが明らかに生活の支障となり、危険や恐怖を感じる例も多い。生活面ではまた、猛暑等に対策を講じるための生活コストがひたすら上昇し続けている。国内の産業、特に農業・畜産業・水産業などは、高温、熱波、異常気象等により、動植物の生育環境の悪化や、収穫量、品質の低下に悩まされている。
このような深刻な状況にもかかわらず、被告の気候変動対策は極めて不十分であり、そのため原告らは平穏生活権・ 気候享受権を侵害されている。
これまで述べてきたとおり、内閣が決定した本件計画は、パリ協定で合意された1.5℃目標を達成するために必要な削減水準に照らして著しく不十分であり、憲法が保障する国民の平穏生活権等の人権を侵害するものであり、国家賠償法上違法である。
また、国会議員は、1.5℃目標と整合する法的拘束力ある排出削減基準等を定める立法措置を講じる義務があるにもかかわらず、これを怠っている。かかる立法不作為も国家賠償法上違法である。
以上が概要のそのまた要約だが、概要の全文をご覧になりたい方は、ここに転載しておくので自由にダウンロードを。
訴状の概要ダウンロード(2.8MB)
また、現在二次提訴に向けて原告募集が行われている。以下は、二次募集案内の転載。
【気候正義訴訟 オンライン説明会】
12/23(火)12:00~13:00
☆ Zoom開催(参加無料)
この訴訟は、気候変動対策に消極的な“国”を相手どり、地球と私たちの暮らしを守るために、早急な対策を求めるものです。
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