所有と自治意識の相関性
地域の「自治意識」は、持ち家か賃貸かという住まいの形態によって大きく左右されると言われてきた。
自治とは「行政任せにせず、自分たちの生活環境を自分たちで整えようとする意志の表れ」であり、都市における居住の安定性=持ち家による定住意識と自治意識は表裏一体の関係にあると考えられるからだ。
持ち家の居住者は、土地や建物を所有することで、地域への長期的な責任を自覚しやすい。税の支払い、家屋の維持管理、近隣関係の調整といった日常の行為が、結果的に「地域を共に支える感覚」を育てる。町会や防災訓練への参加が自然と生活の一部となりやすいのもこのためである。所有は地域への帰属意識を媒介し、自治への参加意欲を高める。
一方で、賃貸住宅の居住者は、流動性の高い生活を前提としている。転勤や転居の可能性が常にあり、長期的な地域関与への動機づけが弱くなりやすいと言われている。
そのため、自治会や清掃活動への参加率が低下するのは、表層では個人の関心の問題のように見えるが、実は持ち家と賃貸住宅という、所有形態による短期滞在を前提としている構造的なものであると考えられる。

大阪市の都市構造と自治の断層
大阪市は戦後(といってももう70年以上経つが)、急激な人口集中のもとで発展してきた。戦災による焼失と再開発を経て、長屋や木賃アパート、団地、民間マンションといった「借家都市」としての性格を強めていった。
その結果、町会の加入率には明確な地域差が生まれている。持ち家の多い地区では参加が維持された一方、賃貸主体の地域では低迷が続いた。分譲マンションの住民は管理組合という限定的な自治には関与するが、地域の町会や防災活動とは接点が薄い。行政が進めた地域活動協議会制度も、こうした分断を埋めきれずに現在に至っている。
賃貸=自治不在なのか
しかし、賃貸=自治不在という単純な図式ではない。賃貸であっても「大阪に住み続けたい」という思いのある自治意識もあれば、持ち家であっても「地域活動には全く興味ない」という住民もいる。
近年では、UR団地、学生レジデンス、シェアハウスなど、所有にとらわれないコミュニティ形成の試みが各地で始まっている。共用部の清掃、イベントの企画、防災倉庫の管理といった小さな共同行為が、自治の新しいかたちとして機能している。
持ち家が生み出す「定住の責任」に対し、賃貸には「流動の関係性」がある。地域に根を張ることは難しくとも、短期的な居住者同士が協力して場をつくる姿勢には、所有を超えた自治の萌芽が見える。大阪のように人の出入りが激しい都市では、この「関係の所有」が新しい鍵となる。
所有と関与
持ち家か賃貸かという区別を超えて、居住形態にかかわらず誰もが地域に関与できる仕組みの可能性はどこにあるのだろうか。
賃貸住宅の住民にも開かれた町会の活動設計、オンラインでの地域情報共有、短期居住者にも意味ある役割の提示など、関与を促す試みはまだ萌芽の状態で、さらなる工夫が求められている。
都市の自治を支えるのは固定資産ではなく、人々の関心と行動である。所有の有無ではなく、「この場所に関わり続けたい」という意志が、これからの自治の原動力となる。大阪の町が再び人と人の関係によって結ばれるためには、所有から関与への転換が重要なキーワードとなる。
「居る」という選択の重み
江戸時代の大阪の町には、町年寄や五人組といった自律的な仕組みが息づいていた。彼らは土地を所有していたからではなく、「ここに居る」ことを選び、その場所を守ろうとしたから自治が成り立っていたのではないだろうか。
現代の都市においても、この原点は変わらない。
家を持つかどうかよりも、地域と関わる意志を持つかどうか。所有ではなく関与の時代へ─それが、「進化する自治」への第一歩であろう。
では具体的に「ここに居るということでどういう関与の時代」とするために、何ができるのであろう。という模索は続く。
<山口達也>