首長選挙で「信を問う」とは何か
出直し首長選はなぜ「おかしい」のか
吉村大阪府知事と横山大阪市長が、衆議院選挙と同日に辞職・出直し選挙を行うと表明した。理由として語られているのは、いわゆる「大阪市廃止・特別区設置構想」、すなわち大阪都構想について、改めて民意を問うため、という説明だ。
だが、この説明で市民・府民は納得できるだろうか。すでに二度、住民投票という正式な制度によって否決された構想について、別の制度である首長選挙を用いて「信を問う」という。そのやり方は、住民の意思を尊重しているとは言い難い。直感的に「おかしい」と感じる人も多いはずだが、その違和感は感情論ではなく、論理のすり替え、つまり詭弁として説明することができる。
四個概念の虚偽という詭弁構造
その手がかりになるのが、情報数学者・野崎昭弘氏の著書『詭弁論理学』で紹介されている「四個概念の虚偽」という考え方だ。これは、三段論法の形をとりながら、途中で言葉の意味がすり替わることで、誤った結論を導く典型的な詭弁の構造のこと。
四個概念の虚偽とは何か
たとえば著書の中で次のような事例が紹介されている。「塩は水に溶ける」「あなた方は地の塩である」「ゆえにあなた方は水に溶ける」。ここで使われている「塩」は、前者では物質としての塩、後者は比喩としての「役に立つ存在」という意味で使われている。同じ言葉が二つの意味を持ち込まれた結果、結論は成り立たなくなる。
この構造を整理したものが図1である。

今回の出直し首長選における詭弁構造
今回の出直し首長選挙も、まさにこの構造を持っている。首長選挙で当選するということは、「行政の長として、その人物に行政運営を任せる」という信任を得ることを意味する。そこには、人物評価、複数の政策、他候補との比較、さらには消極的支持も含まれる。包括的で相対的な判断による投票行動である。
首長選挙で得られる「信任」とは何か
ところが、その「信任」という言葉が、いつの間にか「特定の制度改変に対する賛成の意思」、すなわち大阪市廃止構想への是非判断にすり替えられている。首長として信任されたという意味での「信任」と、制度変更に賛成したという意味での「信任」は、同じ言葉でも中身はまったく異なる。これを同一視すること自体が詭弁である。
このすり替えを直感的に理解するために、学級委員の例で考えてみよう。クラスで学級委員を選ぶ選挙があり、「この人にクラス運営を任せたい」という理由で選ばれたとする。ところが当選した学級委員が、「私は選ばれたのだから、修学旅行を廃止する案にもクラスは賛成したはずだ」と言い出したらどうだろうか。人を選んだことと、制度や方針を決めたことは明らかに別である。

この関係を、今回の出直し首長選挙に当てはめて整理したものが図3である。

当選は「住民投票実施」の信任にはならない
したがって、仮に出直し選挙で再び当選したとしても、それは「住民投票を実施することについて民意の信任を得た」ことにはならない。首長選挙の結果から、住民投票実施や制度変更への賛否を読み取ることはできない。制度上も、民主主義のあり方としても、今回の出直し首長選は成り立たない。
同日選挙が政党キャンペーンになる危険性
さらに問題なのは、今回の出直し選挙が衆議院選挙と同日に行われる点だ。国政選挙と重なることで、大阪の首長選挙は全国メディアの注目を集める。その結果、日本維新の会の看板政策が、東京キー局や全国紙を通じて、他党よりもはるかに多く露出する「全国キャンペーン」として機能する可能性が高い。首長選挙が、本来の行政評価の場ではなく、政党の広報戦略の一部に変質してしまう危険性がある。
許されない民主主義の制度破壊
こうしたやり方は、住民の意思を尊重しないだけでなく、年度末を控えた議会運営や行政の継続性をも犠牲にする。辞職と選挙を政治戦術として使い、選挙制度を政党のPRツールとしてもてあそぶ姿勢は、制度の悪用であり、民主主義の根幹ともいえる選挙に対する信頼を損なう。
ucoは、政策の賛否以前に、住民の意思がどの制度で、どのように示されるのかというルールが守られるべきだと考える。今回の出直し首長選挙は、そのルールを軽視し、言葉のすり替えによって正当化しようとしている。このような民主主義の制度破壊が許されてはならない。
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