戦後の復興を牽引した東淀川区から未来の大阪を描く
東淀川区の誕生は、大正時代「大大阪」と呼ばれる、急速な発展・発達をとげ、第2次市域拡大が行われた1925(大正14)年。西成郡中津・豊崎・西中島・神津の各町と大道・新庄・中島・北中島の各村が大阪市に編入されたもので、当初は淀川区と大淀区(現在の北区)を含む面積約29.03平方キロ、人口約14万6000人の巨大な区としてスタートする。南は淀川両岸を有し、北に神崎川が流れるなど、水の恵みを得ながらも、河川の氾濫により困窮するなど、水とともに発展してきた歴史を持つ。