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里山から自治を考える 12「入口は恐怖心で出口がスローガン」
選挙では「恐怖心」という入口をきちんと作らないといけないです。そして恐怖心の出口としてスローガンを作る。心理操作なんです。 心理戦なんですよ、選挙は。論理じゃないわけです。 -
里山から自治を考える 11「選挙と政治を分けること」
今の選挙はスローガン対スローガンなんですよ。それを徹底的にやるだけ。本来は、選挙と政治が連動する必要があるけど、そうはなってないのが実状なんです。 -
里山から自治を考える 10「候補の思いは関係ない?」
群衆心理では、一人や少人数の時は個性や自分があるけれど、大衆や群衆になった時にはじめて人間は個性を失う。その時あるのは、集団としての個性。 -
里山から自治を考える 09「政治と選挙と」
教育のこと、大阪の教員のなり手が少ないという問題を改善したい。新聞記者として働いてきた中で感じた、女性はこうあるべきという、社会の外圧を次の世代に残したくないから、新しいロールモデルを示したい。 -
里山から自治を考える 07「市民の”勝手に万博”」
万博協会が用意した枠組みに、いやいや参加するのではなく、市民府民自らが「大阪の元気観せたるで」みたいな、勝手な万博がもっとあっていいんじゃないでしょうか。 -
里山から自治を考える 06「理念なき、いのち輝く未来社会」
1970年の大阪万博に感じた、狂気のような理念が感じられない。 結局、大阪・関西万博=夢洲会場で行う万博以上のなにものでもないし、理念なき1970年万博のトレースになっていることが問題の本質ではないかと思います。 -
里山から自治を考える 05「身体性と大阪・関西万博」
私たちの常識として、自己実現には「身体性」が必要だったと思うのですが、もういろんなことがバーチャルでできるようになってきました。哲学的にも、もう「身体性」自体が不要になってきているという感覚が若い人にはあると思います。 -
里山から自治を考える 04 自治という幻想
(行政を巻き込んだ)自治には票と政治がつきまとう。人口減少に対する恐怖が大半の人間のシナリオに影響している。それを乗り越えて、人間として共感できる大義が一体どこにあるのか。ドストエフスキーのテーゼを超えられるのか。 -
里山から自治を考える 03 ドライブとしての大阪・関西万博
里山をベースに地域循環に向かうためには、思考の縦軸からの脱却が不可欠。そのために勢いづけるためのドライブとして大阪・関西万博に着目した。兵庫県が提唱するフィールドパビリオンで可能性を問う。 -
里山から自治を考える 02自治って何
思考パターンとして上意下達。そのバイアスで自治も語られていないか。私たちに何ができるのか。地域政策なしに地域循環を作り出すことはできない。そのためにも今のエコーチェンバーから飛び出そう。
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