「区」150年の歩み

本渡章の「古地図でたどる大阪の歴史」~「区」150年の歩み 第1回 その3 平成の減区・合区が時代のターニングポイント。

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「区」150年の歩み
本渡章さん
取材
UCO

UCOでは、NEXT OSAKAを妄想するベースとして、大阪市の辿ってきた道のりを再検証する企画を進めています。その一つが大阪市を形作ってきた歴史を、その土地の成り立ちと経済、文化など様々な要素を持った「区」から見つめ直そうという試みです。

幕末の大阪の中心地であった「大坂三郷」を基礎としながらも、3つではなく「北区」・「東区」・「南区」・「西区」の4つの区から始まり、近代化や戦後復興、人口爆発を経て現在の24区となった経過を「区」の成長(=大阪市の成長)という視点から描かれた「古地図でたどる大阪24区の履歴書」に触発されたテーマです。

区の歴史から見えてくる大阪市の過去と現在を通して未来を妄想してみませんか。

これまでの記事はこちら
第1回「【1】明治の4区は江戸時代の大坂三郷プラスワン」
第2回「【2】大正~昭和は人口爆発、増区・分区の4段跳び時代。

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分区と人口増大に見て取れる人口問題

まず人口問題のあらましを見ておきましょう。これを抜きに大阪の区は語れない重要項目です。市の人口は戦前、戦後とも爆発的に急増しました。明治元年、約28万人だった市街人口は、明治37年に早くも100万人突破。大正14年に約211万人で全国一、昭和15年約325万人で戦前のピーク。戦中の人口激減、焼跡からの復興を経て、昭和40年は約316万人と戦後のピークを記録します

戦前・戦後のピーク時の人口はいずれも明治元年の11倍以上。驚異的な激増です。人口増大が著しかった地域では、生活に関わる行政サービスの不均衡是正のために次々と分区を実施しました。人口爆発が区を急増させたのです。その進行過程を視覚化したのが下記の図で、この矢印はいわば街の成長エネルギーがそれぞれのエリアをめぐった軌道を描いたものでした。

ここで疑問。分区の要因が人口増大なら、人口増大の時間差はなぜ生じたのか。背景には産業と物流の変遷、各市域の土地柄があり、さらに戦災も関わっていて複雑です。今からその要点をお話します。まず、4段跳びの最初のジャンプの舞台は港区を中心とする湾岸でした。港湾の巨大インフラ、大規模物流施設・工場群は膨大な人口増に直結しました。この流れは戦災でいったん中断。焼失エリアを示す地図に見る通り、空襲で市街中心部とともに湾岸一帯は甚大な被害を受けました。

右回りの矢印は復興期のエネルギーを抱えて淀川を遡ります。空襲被害が比較的少なく、湾岸の上流に位置する水運の便に恵まれて工業地帯を形成しつつあった淀川北岸エリアが次の舞台になりました。東淀川区、西淀川区が1960年代の工業製品出荷額1位、2位を占めて躍進します。人口が増大した東淀川区からは淀川区が分区します。このあとも矢印は高度成長の波に乗って淀川のさらに上流、そして上町台地東部に移ります。工業化の進展とともに生活を支える商業地の成長、住環境の向上など新しい時代の波も起こります。東部エリアの巨大区だった東成区から分区した旭区の千林商店街、同じく東成区から分かれた生野区の鶴橋商店街などが、その流れのあらわれです。東部エリアの城東区から分区した鶴見区で1990年花の万博が開催され、跡地に鶴見緑地ができたのは都市環境に目が向いた時代の象徴でした。時間差を置いて発展しはじめたこのエリアは、新たなビジョンの発信地にもなったわけです。
右回りの矢印の終点は住吉区を中心とする市街南部です。このエリアには1970年代に人口最大となった東住吉区があります。東住吉区から分区した平野区は、現在の人口最大区で、同じエリアの阿倍野区、住之江区も人口上位区です。この南部エリアが戦後の人口増大の最終的な受け皿になりました。大正14年の大大阪誕生の時点では東住吉区・平野区・阿倍野区・住之江区は住吉区に属し、市中随一の広々とした田園地帯を形成していました。戦災被害が軽く、工場も少なかったことが居住地への鮮やかな転身を促したといえます。

13区一覧

ここで興味をひかれるのは、発足当時の住吉区の範囲が古代の住吉郡とほぼ同じエリアだったことです。明治の最初の4区が江戸時代の三郷プラスワンだったのとあわせて、古い時代と新しい時代が交差しながら融けあっていく道筋が垣間見えます。そういえば、今の24区の名前も歴史的な由来を持つものが多いです。大阪が、南北ラインの上町台地とその東西に海を望んだ古代以来の記憶が現在の街の姿と結びついているのです。約150年にわたる区の変遷には、何かしら歴史の後押しがはたらいていると感じます。

区の減少~一大転換期~

ここで、話は三つめのポイントに入ります。
平成元年(1989年)に初めて区が減りました。一つは、東区(図G)と南区(図H)が合併して中央区になったのが平成元年です。ちょうど大阪市が誕生して100周年の年でした。100年たって一大転換期、ターニングポイントを迎えたわけです。
同じ年に大淀区が北区に吸収されて現在の北区になりました。大淀区という名前が消えたわけです。26あった区が24に減りました。
なぜ東区と南区が合併されて中央区になったかというと、いわゆるドーナツ化現象が原因でした。都心の人口が減って、周辺の人口が増えていくという現象です。都心が商業ビルとかそういうもので活性化していけばいくほど、住む人口が減っていくということになったわけです。働く人たちは郊外や周辺の区に住んで、中心街はビルばかり、という環境に変化していった。これは都市化という現象の一つの側面で、止められなかったわけですが、最終的に区がなくなるということになりました。

合区当時の旧南区

合区当時の旧南区エリア
出典[ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター「歴史的行政区域データセットβ版」
国土交通省「国土数値情報 行政区域データ」

合区当時の旧東区

合区当時の旧東区エリア
出典[ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター「歴史的行政区域データセットβ版」
国土交通省「国土数値情報 行政区域データ」

人口減少時代という先触れがここに出ました。大淀区もそのようにしてなくなり、細長い北区ができました。これをよく見ると、現在の駅前再開発のグランドフロントとか、第2期開発の進んでいるのはこの辺りです。今まさに現在進行形で大注目を浴びている大阪北部第2開発のメインステージが旧大淀区です。北区は、大阪駅梅田を抱えて大阪を代表する大繁華街エリアです。この淀川の川沿いの工業地帯の一部として想定されていた大淀区は、60年代に淀川北岸が発展し、発展の矢印が大阪東部へ向かい、一段落した頃に大淀区エリアは、工業地から北区側の駅前繁華街ターミナルエリアの発展の流れに飲み込まれて姿を変えつつあるわけです。

合区当時の旧大淀区

合区当時の旧大淀区エリア
出典[ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター「歴史的行政区域データセットβ版」
国土交通省「国土数値情報 行政区域データ」

今でもそのように時代とともに産業の構造とか、求められているものが変わり、素見方も変わり、まちの風景も変わっていき、区の形も変わっていく。人口がそこに大きな要因として関わっています。いま現在の区の形は、これからも多分変わっていくのだろうと思います。

平成元年の合区以降、区は増えもせず、減りもせず、ある意味成熟の時代を迎えて、現在24区のまま落ち着いています。平成20年(2008年)に日本全体の問題として、はっきりと人口減少時代を迎えています。国勢調査、厚生労働省の調査は両方とも2008年を境に日本の人口は減り続けている数十万人規模で減り続けているということです。

人口減少時代、区の未来を考える

これからはどうやって人口減少の影響を柔らかく受け止めて、住みやすい街を作っていくのか、というのがクローズアップされていくはずです。今までとは何か違う発想が求められているのかなと思います。その時に忘れたくないのは24区の歴史です。「区」の150年の足跡には今の暮らしにつながるさまざまな記憶の彩りと知恵があるように思います。この駆け足で振り返ってきた150年間の大阪の区の足取り、ここにも何かを学ぶものがあるように思います。
各24区の名前も、由来をたどると、非常に古い時代のあるものが多くて、決して単なる行き当たりばったりにつけられた名前ではない、意味があってつけられています。区が分かれていくタイミングというのも、それぞれその時代の役割を担って、分かれるべくして分かれていったということです。今後もし、また区の形が変わっていくんだったら、そこで語られてきた歴史とか、そこで見えてくる何かの知恵とか、そういうのは活かしてもらいたいなと思うわけです。

人口増大で分区を繰り返してきた大阪は、ここで大きな時代のターニングポイントを迎えました。平成20年・西暦2008年を境に日本は本格的な人口減少時代に入り、現在の大阪24区の未来にも影が落ちています。今後は人口減少の影響をどのようにしてやわらげ、暮らしやすい街をつくりなおしていくかが問われます。

この後、次回からは各区の、24区の足跡をそれぞれ振り返っていきたいと思います。今日はその足掛かりになる全体像を一緒に見ていただきました。区の未来を語る時の参考にしていただけたらうれしいです。


「古地図でたどる大阪24区の履歴書」
著者:本渡章、出版:140B、定価2,200円+税

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本渡章 Hondo Akira
1952年生まれ。作家。
古地図昔案内シリーズなど著書多数。
講演、まち歩きツアー、古地図サロンなどの活動も行っている。


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