まちづくり

淨國寺と夕霧太夫と

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取材先
淨國寺
協力
NPO法人まち・すまいづくり

夕霧太夫と淨國寺

大阪市天王寺区下寺町、浄土宗の寺院が立ち並ぶその中でも 450年以上の歴史を持つ無衰山淨國寺(むすいざん じょうこくじ)。
2021年4月4日、ここに眠る夕霧太夫の第344回目の法要が行われました。
淨國寺では2017年から4月の1週目の日曜日に「花祭り」夕霧太夫行列と法要を行っており、2027年には350回忌を迎えるといいます。

大夫(たゆう)とは、江戸時代に遊女の最高位とされ、夕霧太夫は、京・島原の吉野太夫、江戸・吉原の高尾太夫とともに「寛永の三名伎」として伝わっています。
江戸初期(1600年代半ば)京・島原で太夫となり、置屋である「扇屋」の大坂・新町への移転に伴い大坂に移り、豪商や大店に人気を集めます。しかしながら、大坂に移った6年後、病に罹り延宝6年(1678)1月6日息を引き取ります。夕霧はその没後もなお惜しまれ、近松門左衛門の「夕霧阿波鳴渡」をはじめ、浄瑠璃や歌舞伎の題材となります。
同時代に生きた井原西鶴は、「好色一代男」で「神代このかた又類ひなき御傾城の鏡姿をみるまでもなし・・・声よく琴の彈手三味線は得もの一座のこなし文づらけ高く長ぶんの書て物をもらはず物を惜まず情ふかくて手くだの名人」と描くように、容姿だけでなく、唄も琴・三味線も得意とし、一座の捌きにそつがなく、文章は上品で長文の書き手である、とだれもが認めるほどだったようです。

淨國寺の一角に夕霧太夫の墓碑が建てられています。本名は「照(てる)」法名は「花岳芳春信女」とされており、「延寳6年午正月6日歿、扇屋四郎兵衛」と夕霧が身を置いた扇屋によって埋葬されたことがうかがえます。

大坂・新町の遊郭で名を馳せた夕霧太夫の法要と行列が、下寺町の浄国寺で行われるようになったその由来と思いを淨國寺のご住職好川天臣さんにお尋ねしました。

太夫の御墓と淨國寺

Q:夕霧太夫は新町で亡くなったのですが、ここ下寺町の浄國寺におかれたのはどういう経緯があったのでしょうか。

淨國寺は永禄3年(1560)寂蓮社円誉上人が創建。当初本町の曲がりと呼ばれる東横堀川の一角に位置していました。
1600年代の初め、大坂の陣の後の復興にあたり、城下に点在していた寺院を大坂城の南側などに集約、移転ささせることになり、上町台地西側に作られたのが現在の下寺町となりました。
「本町にあった当時は、遊郭であった新町が近く、遊女の墓も多くあったようです。夕霧さんの預かりとなっていた扇屋さんの血筋にあたる初代中村鴈治郎(林玉太郎)さんのお墓が当寺にありましたので、そのご縁でで夕霧さんも淨國寺に葬られたのであろうと推測しています。」

夕霧太夫行列のきっかけ

Q:夕霧太夫行列は2017年から始められたとのことですが、そのきっかけには何があったのでしょうか。

「20年位前になりますが、私が京都嵐山で住み込みで寺院のお手伝いをさせていただいているときに、嵯峨清凉寺のご住職から、清凉寺では11月に夕霧忌をお勤めになっておられるとお聞きしました。なぜかというと、夕霧となった俗名「照さま」が清涼寺の近くの村のお生まれであったから、追善の法要をさせていただいている、と。淨國寺さんにはお墓があると以前からお聞きしていますが、何か奉納などされていますか、とお尋ねになりました。いずれはしようと思いますということで、清凉寺ではお生まれになったところで、淨國寺さんではお亡くなりになられたお墓があるということで、二箇寺でさせていただいたらいかがかというご提案をいただきました。」
「この話を持ち帰ったところ、うちの母が、扇屋さんの関係で夕霧さんのお墓があり、300回忌の時には盛大に務めたということを申しておりました。350回忌も近づいているので、何か奉納の行列なり追善の法要をするなり何かしてあげたいね、と母が申しておりました。それが母の亡くなる2週間か10日ほど前のことでした。そのことが気がかりとなっており、母の命日である4月16日にあわせて、夕霧太夫さんの追善法要をさせていただいたらどうかということで、1周忌にあたる次の年から始めさせていただきました。」
との話が聞かれました。

夕霧太夫行列に携わっている方々

Q:これだけのお祭りをされるのには多くの方の協力も必要だと思いますが、どのような方々が携わっておられるのでしょうか。
「女性が主役ですので、檀家様の娘さんやお孫さんに、夕霧大夫を演じてみませんかとお声がけをさせていただきました。その後、傘持ちさんとか、肩貸しさんといった役を探していました。その時にNPOのまちすまいづくりの代表の竹村様から、ぜひボランティアとして協力いたしますという、ありがたいお申し出をいただき、人員整理など約20人くらいの方に来ていただけるようになってから実施の目途がつきました。」

「また、堺で着付け教室をなさっておられる正蔵寺香苗さんという方が、さまざまな太夫道中というもののお手伝いをされていると。そして、高下駄もおつくりになり、煙草盆などの道具類もお持ちであるということでした。そうであれば、ぜひうちのやり方でお手伝いしていただければとお願いした次第です。」

「なおかつ、下寺町の若手の会で私が20年くらい雅楽の練習をさせていただいているので、行列の中で吹いていただけないかということで、雅楽の演奏をしていただくことになりました。お稚児さんは檀家さんの子どもさんにさんに。また太夫さん、禿さん、新造さんと、お手伝いしていただける方の年齢ごとに遊女の役を演じていただけことになりました。
徐々にお手伝いいただける方が増えていって、今年も初めてという方にお手伝いいただきました。

これからの思い

Q:今後、夕霧太夫行列がどのようにお祭りになればよいとお考えでしょうか。
「当初、太夫役を公募しては、というアドバイスもいただいたのですが、やはり淨國寺にご縁のある方に演じてこその奉納、法要であろうと思います。そこで、檀家さんの娘さん、お孫さんに演じていただくという形は変えたくないと思っております。
そして350回忌が2027年、6年後に迫っています。そのプレ行事という形で始めさせていただいたので、350回忌には盛大にお勤めさせていただけたらと思っています。毎年様々なご意見をいただいて、規模も大きくしています。」

墓碑の後ろには、十四代吉田屋喜左衛門により、昭和2年陰暦正月6日に夕霧太夫250回忌の正當にあたる追善供養を行った旨が刻まれている。
平成28年(2016)11月に檀家たちが資金を出し合って墓碑のまわりを整地して朱傘が設置されました。平成29年(2017)4月2日には、夕霧没後三百五十回忌を10年後に控え、「花祭り夕霧太夫行列」が地元の協力で初めて催されました。

ご住職は終始「ご縁」によってこの催しが行われていることを強調され、ご縁を繋ぐことで奉納、法要が続けていけることを望まれていました。扇屋さんのご縁によって今も夕霧大夫のお墓が淨國寺にあり、淨國寺のご縁により檀家の方々や地元のまちづくりを担う市民団体が歴史と文化を引き受け、新しいかたちにしてまちを彩ることで、多くの人にこのまちの魅力を知っていただくことにつながっていることがわかります。

次回は、夕霧太夫行列、法要を町の人々がどのような気持ちで支えようとされているか、まちづくりの視点からご紹介します。

夕霧太夫行列そのものについては淨國寺のホームページもどうぞ https://jyoukokuji.jp/yugiri/

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