コロナで義父逝く。

同居していた義父が昨夜新型コロナウイルスによる感染症のため永眠しました。
記録として、4月6日から23日までの闘病生活を残しておきます。私的な内容を含みます。

4月4日:普段食事を残さない義父が食事を残す。
4月5日:デイサービス行く前の検温で37度台。デイサービス中止。午後から38度台になってきたので、行きつけの医院に連絡すると、本人は来なくてよいので、解熱剤、抗生物質等を処方するとのこと。このタイミングで家族が感染している可能性はあるが、その件については触れずで、薬をもらって処方。
4月6日(発症):近隣の大病院でPCR検査。その夜陽性。解熱剤が効いている間は37度台、そしてまた39度台とくりかえす。その日の夜22時くらいに陽性判定。家族全員濃厚接触者のため、22日までの自主隔離となる。別途濃厚接触者のPCR検査は追って連絡があるとのこと。人数など状況を確認してからPCRキットを送るので、家族全員の唾液を入れて検査場まで公共交通機関を使わずに持ってくるように電話口頭で指示あり。
81歳の義父にはできるだけ早く病院を見つけますとのこと。ただし危なくなったら救急車を呼んでくださいとのこと。それまでは発熱だけで咳や呼吸器系の症状がないため自宅待機。
4月7日(1日目):突然のことなので、マスクを二重にして、近隣で買い物。この際も自分自身がスプレッダーになる可能性があるが、全く食べ物がない状態ではどうしようもなく買い物に出る。
寝屋川市などでは、濃厚接触者家族には配給があるらしいが、大阪市はない。濃厚接触者用PCR検査で陽性キットは届かない。
4月8日(2日目):義父の容体に変化があり、胸が苦しいとのこと。救急車を呼ぶ。救急隊員到着も酸素濃度は92程度で機器を付けるかどうか微妙なレベルだったので様子見。待機すること約1時間。受け入れ病院が見つかり、救急搬送。1時間で受け入れ病院が見つかったのは義父にとっては限りなくラッキーでした。厚接触者用PCR検査で陽性キットは届かない。
4月9日-13日(3-7日目):コロナの山場は1週間くらいと聞いていたので、病院からの連絡がないのはコロナの山場は過ぎているのではないかと推測しつつ、ひたすら自宅にて連絡を待つ。病院からもPCR関連からも何の連絡もない。PCR検査については22日明けるまでにやっておきたいので区の保健福祉センターに連絡。PCR関連は大阪市で一括で行っているので、区の保健福祉センターではどうしようもないとのこと。
4月14日(8日目):病院から連絡。酸素吸入を始めたとのこと。4リットル/分でスタート。熱はなく、食事も採れていたが、肺炎症状がおさまらないらしく、コロナの独特の症状とのこと。
4月15日(9日目):病院から連絡。酸素吸入が4から8リットル/分となって予断を許さない状態とのこと。面会はできないかというと、モニター越しで可能だが、濃厚接触者は14日間が明けるまでは不可。とのこと。濃厚接触者のPCR検査の問合せを1日10回以上行っているにもかかわらず、電話は繋がらず、PCR検査キットは発送されないし連絡もない。
4月16日(10日目):週末が山場だと思っていたが、義父の病院からは連絡はなし。このタイミングで葬儀について検索、見積をとっておく。使わなければそれに超したことない。元気になったらまたデイサービスに行きたいだろうから、ケアマネージャーに連絡すると若干持ち直しているとの報告を受けているとのことで少し安堵。
4月20日(14日目):ようやくこちらからの電話がつながりPCR検査キットを送ってもらうことになった。
私「なんでこんなに時間が掛かったんでしょうか? 濃厚接触者は後回しですか?」
検査側「大変申し訳ありません、こちらのハンドリングミスかと思われます・・・」
氏名、年齢、人数、症状などの健康状態を確認した上で、
検査側「遅れていたうえに申し訳ないのですが、PCR検査今からやっても、
1)義父の発症からもう10日以上も経っていて恐らく陽性にはならない、
2)もし陽性になった場合はその時点から10日間彩度自主隔離してもらわねばならない、
ということになりますが、それでも希望しますか?」
つまり濃厚接触者でなおかつ症状が全くでていない人がPCR検査することに実はもうあまり意味がない旨のことを話されていました。
私「はい、それでもよいのでお願いします」
検査側「では、22日頃キットが郵送されますので、23日〇時に指定された場所まで公共交通機関を使わないで持ってきてください」とのこと。
4月21日(15日目):義父の病院に、22日で14日間が明けるため、23日にモニター越しでよいので面会したい旨伝え、午後からの面会予約。その際、あまり状態はよくなく15リットル/分めいっぱい入れているとのこと。
4月22日(16日目):検査キット届く。
4月23日(17日目):唾液を抽出して、13時に提出会場に自家用車で向かう。車のない人がとても歩ける距離ではなく、タクシーなのか、かくして公共交通機関を使うのか、はたまた発症していない濃厚接触者なら仕方ないのか、もう全く無政府状態。
その足で、病院に向かう。ほとんど認識できない状態に近かったが、義父とモニター越しに会える。かなり苦しそうだった。がんばってほしいと祈る。
4時間後、病院から危篤状態が知らされる。

それから15分後、義父逝く。81歳だった。

コロナ感染症による斎場は、大阪市内は鶴見斎場に指定されている。病院から直接納棺し、斎場で火葬とのこと。亡くなって2時間後、病院内で葬儀社と打合せ。

4月24日(18日目):コロナ対策で安置室ではなく病室にて待機していた義父の亡骸。これをウイルス防護の袋詰め後、納棺して、病院の作業出入口から出棺。霊柩車ではなく、普通のワンボックスカーだった。
私たち家族はこれでお別れとなった。その後、私たち家族は全員PCR検査陰性と電話連絡あり(書面は出ません)。

今の国政、府政、市政には言いたいことは山ほどある。しかしできるだけ客観的に事実だけを書きました。
お義父さん。安らかに眠ってください。

合掌。


PS
4月28日(22日目):死亡診断書、火葬証明書、領収書が葬儀業者から届く。
4月30日(24日目):リースしていた介護ベッド、車いす、歩行器を返却し、午後から区役所に届け出を行う予定。

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